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ある人物についての物語が
アジサイ の広場
玲子 あそわ 高3
人間は何かの選択あるいは決断を下さなければならないような場合みずからの
過去を振り返りそしてそれをその時自分が選び出した決断につなげ仮定し一つ
の物語として考えてゆく。しかし、多くの場合人間はその物語を自分自身の物
語としてではなく誰か別の例えば神などの存在などにたよりそれを自分の物語
に取り込み考えてしまう。これではその物語の真実がうもれてしまうのではな
いだろうか。
 
 日本人は信仰親が薄いと世界から言われている。たしかにそうだ。私も普段
は神社などに行きお参りをする機会もほとんどと言っていいほどない。しかし
、何か自分には大きすぎると思った問題や困難にぶち当たった時に神様のこと
を思い浮かべてしまうことがよくある。これはまさしく苦しい時の神頼みとい
うやつだ。人間は困難に出会うと神様にかかわらずなにかに頼ったり何かのせ
いにしたりする癖がある。なにか決断をするときだってそうだ。自分自身の問
題なのに何かに頼った考えをする。何かに頼ると言うことはとても楽なことだ
。それは別にいけないことではないと思う。自分自身と向き合うことは時には
つらいことだってある。しかし、現在の日本人はそれほど困難ではない問題で
あるのに何かに置き換えて逃げてしまう場合が多い。つまり我慢が足りないの
だ。ちょうど昨日見たテレビ番組でいじめの問題が取り上げられていた。その
番組ではいじめにあったことのある人達が自分達の体験談を話しその他の人達
がその問題について話していた。番組に出て意見を言っている人のほとんどが
原因は日本の社会や学校にあると言うようなことを言っていた。しかし、ある
一人の女性はそんな事を言っていては何も解決しない何か自分でできることが
あったら何でもいいからまずやっていかなくては駄目だ。確かにつらいだろう
けど自分の道は自分で切り放らなくてはいけない。と言っていた。私は彼女の
意見を聞いて目が覚めるような思いだった。大変なことかもしれないけど彼女
の言っていることは正しいのだ。
 
 たしかに何かにたよって決断を下すことは精神的に自分に負担のかからない
ことだしスムーズに物事が進んでいくかもしれない。しかし、自分にはとてつ
もなく大きな問題に感じていることでもそれを乗り越えることができた時その
ことは自分自身の自信に必ずつながってくると思う。時には自分一人で考えな
ければならないことだってあるの。それをしなければ自分自身の物語の真実な
んて見えてこないのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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