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言語以外の表現方法は
アジサイ の広場
ユウアイ ねも 高2
 泣くということに対しても「泣いたってわからぬ」、または「泣かずにわけ
を言ってごらん」などとよく言うが、そう言ったからとして左様ならばと、早
速に言葉の表現に取り替えられるものでも無い。言葉に頼りすぎるのが問題だ
 
 言葉に頼りすぎるのは、よくない。例えば、おいしそうな料理がだされてそ
れを食べてよくはごたえがあるとかいろいろなことを言う人がいるが本当にお
いしかったら何も言わないのが普通なのではないか。小さい子供が道端で転ん
だとして二通りのことが考えられる。それは、どうして転んだのとか、ちゃん
と歩いてなかったから転んだのよとかいう親もいたり中には大丈夫痛くなかっ
たかいと心配してくれる親もいる。私は、どちらかと言うと心配してくれる親
でした。逆にどうして転んだのとか聞かれても起きたことは何を言ってもしょ
うがないことだから私だったらそのようなことは言ってほしくない。今の親は
子供を育てるにしてもシミレ-ション的に育てようとするからよくない。例え
、近所の子は歩けるようになっても何でうちの子は歩けるようになん無いんだ
ろうと無理矢理歩かせようとする親もいるかもしれない。いろいろな面でその
ようなことをしているうちに終いには頭にきて何も抵抗できない子供を殺して
しまう事があるから恐ろしい。人間誰でも個人差というのがあるからそこを理
解して欲しい。
 
 私は、育てられている段階だからよく分からないが、子を育てるということ
は大変なんだなあと実感する。何故ならば、泣いて欲しくない時にべ-べ-な
かれたりすることもあるだろうし、子は泣いて育つのが普通だからそこで頭に
きて殴るなどそのようなことをする事、事態がおかしい。今は、ゲ-ム感覚で
子供を育てたりしてしまう傾向があるから、ちゃんとしつけもしないうちに体
だけが大きくなって何が良いことなのか何が悪いことなのかも分からずに大人
になってしまうのはその子もかわいそうだしその子の親も悪い。よく挨拶一つ
できない人間はろくでもない人間だと親から聞かされたことがあるがそうかも
しれない。いっくら勉強ができても人と接するのが下手だったりすると一種の
かたわになってしまう。
 
 確かに、言葉で説明するのはいいが、あまりにも言葉で説明する傾向が強す
ぎてもよくない。言葉に頼りすぎないことが大事だ。哲学者たちは、世界をさ
まざまに解釈してきた。しかし、大切なのは、解釈することでなく、変革する
ことである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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