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言語以外の表現方法は
アジサイ の広場
武照 あよ 高2
 黒い背景に二羽の足の長い鳥が写っている。そこには白抜きの文字で次のよ
うに書かれている
 
 娘の「ダーイッキライ」は「大好き」と同じ意味。いやはやコミュニケーシ
ョンて難しい。伝えたいなあ、ホントの気持ち。つなぎたいなあ、見えない気
持ち。
 
 これはジェイ・フォンの広告であるが、「ホントの気持ち」を伝えることの
難しさは誰でも感じたことがあるであろう。私は小学校用教科書の「手袋を買
いに」の挿し絵や、ネコの「ダヤン」シリーズで知られる池田明子のファンな
のであるが、たまたま知っていた友人は一言。「あんな幼稚っぽい絵のどこが
良いの。」違うのだ・・・と私は反論を試みるのだが、悲しいかな、先が続かな
い。思想がどうのとか、色使いがどうのとか、そんな形式的なことではなく、
絵のその雰囲気が良いのだとしか言いようが無い。しかし現実は、言葉で説明
出来なければ絵の良さを証明したことにはならないのである。丸山真男は「日
本の思想」の中で、日本の学界での議論は言葉の遊びになっている、と嘆いて
いたが、何やら通ずる話しではなかろうか。今日は世の中に形式的な言葉が溢
れている。「ホントの気持ち」や「見えない気持ち」より形式的な言葉が優先
される社会なのである。
 
 この社会を成り立たせている基盤は「契約社会」であろう。契約社会とは形
式的な言葉によって人間が結びついている社会ということが出来る。図式的で
はあるが、主君に仕えることを自体を目的とする日本の武士と、サインによる
期間契約で主君に仕える西洋の騎士にその構図をはっきりと見ることが出来る
。現在、離婚率が高くなっていると言われるが、否定的に見れば人間との関係
にまで解約可能な「言葉」が浸透してきた結果といえるであろう。契約社会に
おいては言葉という、はっきりと形に残る手段によって社会を維持することが
必要なのである。
 
 教育において「言葉」が重視されているという点も見逃すことは出来ない。
幼稚園入試というものがあるが、質問に大きな声ではっきり答えられることが
子供の判定材料になっているという。それは入社試験の面接でも分かるように
社会が言葉による即答能力を重視していることの反映といえる。即時に相手の
求める答を読み取り、それを答えることが社会では必要なのである。その答は
時に自分の気持ちとは相反する物かも知れぬ、しかしそれよりも形式的な言葉
を優先する事を覚えさせるのが教育の役割の一つなのである。
 
 確かに現在の社会はけ意識的な言葉が無ければ成り立たないだろう。言葉は
世の中を理解したり、他人と結びつくため非常に便利な道具である。しかしそ
の言葉の有用性ゆえに、「形式的な言葉」が必要以上に力をもっているのが現
在とは言えまいか。どのような説明を加えようとも池田明子の絵そのものの価
値が変わるわけではない。言葉の有用性を認めつつも「ホントの気持ち」を探
りあえる社会が求められている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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