先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
行動あるのみ!!
アジサイ の広場
馬のしっぽ はり 中3
 現代はアイデンティティ不足の時代である。武家社会では一定の年齢になっ
た時に行われる元服の儀式で、子供と大人ははっきりと分けられていた。とこ
ろが近代になると、子供は社会から隔離された家族の中で、大切に育てられる
ことになった。私は、自分自身を見つけるために、あらゆることに積極的に対
応していきたい。
 
 最近の私の日常は、平坦すぎてあまり面白味がない。月曜日から金曜日まで
学校で授業を受ける。休み時間は水をのみに行ったり、トイレに行ったり、次
の授業の準備をしたりと、学校にいてもやることが決まってしまう。土日は、
遅くまで寝て、起きてもごろごろして、宿題をしたりする。毎週毎週そんな生
活である。去年のクリスマス、私はそんな生活になんか新風を巻き起こしたく
て、私の学校と近くにある学校が、共同して毎年行なうボランティア活動に初
めて参加した。それは、小学生くらいの子供達と一緒に、遊んでお昼を一緒に
食べたり、学校側が企画した催し物を発表(?)するものだ。子供の人数が少な
すぎて、私は一緒に遊ぶことができなかった。だから、すごくつまらなかった
。年が明けて、学校がはじまったころ、何となく見てみた掲示板に、クリスマ
スに来た子供達のところに、今度は私たちが行く、というボランティア活動が
あったのを見て、友達と行ってきた。またクリスマスのように大勢の人が来る
と思ったら、その時は30人くらいだったので、子供と遊ぶことができた。一
通り子供と遊んだ後は、落ち葉掃きをした。子供達と一緒に過ごした時間は短
かったが、それなりにその日は充実したものになった。この活動は、毎月行な
っていることらしく、「もっと前から参加していれば良かったな。」と思った
 
 最近は、大学を出るものの、決まった職に就かずにへらへらと毎日を過ごす
「フリーター」と呼ばれる人が多くなっている。成人式も、成人になったもの
の、「成人」という自覚がなく、携帯が鳴れば、ペチャクチャ喋り、そうでな
くても隣の人と喋っていて、なんとなく落ち着きがない会場が増えている。そ
れは、大切に育てられてきた証拠であり、いつでも世間から守られていたから
、その中にどっぷりと身を委ねている人が多い証拠である。学校制度という教
育課程の中で、将来の目的を持つことができず、いつまでも、自己を確立でき
ない人が多くなっている。
 
 今年の国語の実力試験の問題は、小説家になった人の小説家になるまでの過
程をかいたものだった。幼い頃から、彼は本を読むことが好きで、そのうちに
読むだけでなく、自分で書くことを始めた。その中に、将来の目的や、自分は
何のために生きているかということは、幼い頃から堆積した全てのことが、ど
こかしらで必ず結びついていると書かれてあった。そして、その文を読んで私
は、「自分」というものは、誰かが見つけてくれるものではなく、色んな事を
経験して、ある時気がつくものだと思った。この文章のように、「自分」はそ
の人自身にしか分からないことである。試験の文章のように、いままで行なっ
てきた様々な経験が、ある時一つとなって、答えを導いてくれる。「夢がある
から行動するのではなく、行動するから夢が生まれる。」ように、自分を見つ
け出したいのなら、まずごちゃごちゃ言わずに、行動するべきである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ホームページ