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立派な大人
イチゴ の広場
ひまわり あなつ 中3
 現代はアイデンティティ不定の時代といわれている。近代以前は幼児期を過
ぎると、ごく早い時期から子供は大人の集団に仲間入りして彼らの話や行動か
ら見よう見まねで大人社会の規範やそのありさまを学んだ。ところが近代にな
って「家族」が成立し子供期という時期が誕生した。そして子供は親に大切に
育てられいくつかの段階を抱え持ちつつしだいに大人になっていく。すると親
との同居期間は長くなり、身体的に成長した子供も社会的には未成熟の存在と
していつまでも家族のもとに留めおかれていしまうのだ。
 
 最近のお年寄りは立派な大人の代表だと思う。とても苦労している。私の祖
母の話によれば、結婚も勝手に決められたらしい。そんなことは当たり前だっ
たようだ。まずそこで反発しないでそのまま結婚するところが、私は信じられ
ない。結婚してからも子供五人をかかえお金が無くて死にもの狂いで働いたそ
うだ。当然子供のことなんて見る余裕など無かった。その中で父は育ったのだ
。父もそんな生活の中、苦労したのだろう。中学、高校で、自分は何なのだろ
うか、これから何になろうか、ということをゆっくり考えるひまがなかったし
、考える必要さえも無かったのかもしれない。もうきっと分かっていたんだ。
早いうちから大人と同じことをやらなければならなかったから。しかしそれが
、今立派に現代についていける理由なのかもしれない。
 
 昔の人は、大人にならなければならなかった。貧しかったし生活が苦しかっ
たからだ。だから身につくべきものは勝手に身につき、ちょっとしたことでも
ぐらつかない人間になれるのだ。現代はどうだろうか。生活も豊かになり、苦
労も少なくなってきたので、子供たちは自由に勉強ができ自分はなんなのかな
んて考える必要がまったくない。働かなくても親がついている。確かにその方
が好きなことができるしやりたいことが思いっきりできる。しかしそのままだ
と社会に出たとき困ることがあるのだ。苦労を知らないで苦しいことがたくさ
んある社会にでてしまうと自分で戦う力がなくすぐに倒れてしまうのだ。
 
 しかしそんなこといっても義務教育は変えられない。そのような状況の中で
どのようにすればいいのか。やはり「苦労は買ってでもしろ」という言葉のと
うりにするべきだとおもう。苦労することがない時代にある苦労を(苦労とい
わない苦労でも)いやがらず諦めずにやりとげられる図太い力を身につけるこ
とが大切だとおもう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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