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庭は原始社会では
アジサイ の広場
くみこ さく 高1
       庭は原始社会では
 
□ 磯野久美子
 
 
 日本は「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く」という言葉が表すとおり、
非常に狭い国である。狭い上にその中にたくさんの人々が住んでいるのだから
、混み具合は相当なものである。その上、人々は仕事や時間に追われ、いつも
せかせかしている。しかし、ゆとりのある空間や時間も必要なのではないか、
と思う。そんな場所や時間を持つために、公園というのは最適な場所である。
はずであるが、今公園はその本来の目的を果たすことが少なくなっている。公
園を皆が気持ちよく過ごせるようにするためにはどうすればよいのだろうか。
 
 第一に、どうして公園が「公園」でなくなりつつあるのかを考えてみる。そ
れは、公園がただのそう呼ばれる空間と化してしまっているためだが、国や市
が制約を多くしすぎていることによる。私も、たまに外の空気を吸おうと思っ
て公園へ行ってみても、禁止札がたくさんあって満足に遊べないことが多い。
なんと今では、危険だという事でキャッチボールをすることさえほとんどの公
園で禁止されてしまっているのだという。それでは「キャッチボールをしつつ
心までキャッチボールをしている美しい父親と子供のいる風景」をどこで見ら
れるというのだ。みんなで安全に、という願いは分かるのだが、まさかプロ野
球選手が練習するわけでもなし、注意くらいで良さそうな禁止令もいっぱいあ
る。もう少し公園の役割を優先して欲しいものである。
 
 もう一つ、みんながマナーを守るということが公園を守るために重要なので
はないか、と思う。皆が楽しんで過ごすためには当然守るべき常識、というも
のがある。ごみや犬の糞を捨てない、他の人に迷惑をかけるようなことをしな
い、と言った基本的なことばかりだが、これを守らない人が多く、そもそも禁
止札が多くなったことももとはここに関係しているのだろう。アメリカなどに
比べて、日本人は庭も何も自分の領土というものを決めてそこだけを大切にす
るという傾向があるらしいのだが、自分の土地ではないからといってどうでも
良いというのは危険な考えである。「旅の恥はかきすて」なようでは恥ずかし
い。
 
 確かに庭や公園を「見て楽しむもの」として位置づけ、きれいなままにして
おくという考えもよいものだと思う。しかし、本来の公園というのは子供達が
遊び、老人が憩い、夫婦が休息する場所のはずであり、大切なのは、公園らし
い外見でなく、公園自体なのである。特に自然が少ない日本では、「触れて楽
しむもの」にすべきだ。そしてそれが増えることで、皆が潤いのある生活を送
れるようになれば、そこで初めて公園はその役割を全うしたと言えるのではな
いだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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