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小さな世間から爪弾きされないために
イチゴ の広場
太一 あうけ 中1
しゃかいは個人から成り立つものとされている。したがって実情はどうであれ
それぞれの個人は社会の構造、運営、将来について責任を持つものとして意識
し、行動していることになっている。しかし、このような意識は明治以降に輸
入されてきたものであり、現実の日本人の多くは、社会を構成する個人として
よりも、世間の中にいる一人の人間として行動している部分のほうが多いので
ある。欧米人は日本人を権威主義的だと見ることが多いが、それは日本人が常
に世間の目を気にしながら生きており、彼らから見ると、個性的ではないよう
に見えるためである。日本人が何よりも怖いと思っているのは、「世間」から
爪弾きされることである。日本人の一人一人にそれそれ広い狭いの差はあれ、
世間がある。世間は日常生活の時限においては快適な暮らしをする上で必須な
物に見えるが、その世間が持つ排他性や差別的閉鎖性は公共の場に出たときに
ははっきり現れる。
 
 僕はどちらかというと、世間から抜け出して一人行動するというのは苦手な
ほうだ。学校でも何かやることがあると、「いっしょにやろう」と、友達を誘
ってしまう。そして、グループになってやっている人たちは、勇気を出して人
の手を借りずに一人でそのことをやっている人を、まじめなどと言って小さな
世間から爪弾きする。そう言うふうにされるのがいやだから、ますます一人行
動する人たちが減り、まだ一人行動をしている人を今度はさらに大人数で世間
から離していく。しかし、そんなことにもめげず、一人でこつこつとやってい
くひとはすごいと思う。僕はこういううときに一人行動したくないとも思わな
いが、爪弾きされるのがいやだから、ついついグループの中に入っていく。し
かし、グループは爪弾きするだけというものでもない。グループのほうが都合
のいいときもある。しかしたいていは個人でやったほうが能率が上がる。だけ
ど今のところは能率を上げることよりも、世間から爪弾きされないことのほう
が重要だ。なぜなら、この小さな中学のクラスの中の人気のある人一人にでも
爪弾きされると、祖のうち、全員にはじかれることになりクラスにはとても僕
の気力ではいられなくなるからだ。
 
 僕みたいなこてこて?の日本人だと、自分のことよりも、まず自分に一番近
い世間にいることのほうが大事だと僕は思う。それだけ僕は一人だと弱いのか
もしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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