人間の頭のなかを 読解検定長文 中2 冬 1番
人間の頭のなかを支配しているのが、そうしたイメージであることを、あらためて 指摘したのは、アメリカの心理学者ケネス・ボウルディングです。と言っても、 彼は、イメージというものの 範囲を拡大して、人間の意識そのものを「イメージ」に置きかえているようですが、ともかく、ボウルディングは、人間の意識を形づくっているのがイメージだ、と言うのです。したがって、その内容は複雑で、なかなかことばにあらわせないのですが、 彼はそれを、つぎのように分類しています。
一、空間のイメージ。二、時間のイメージ。三、関係のイメージ。四、個人のイメージ。五、価値のイメージ。六、感情や 情緒のイメージ。七、意識、無意識、 潜在意識とみられるイメージ。八、確実なイメージと、不確実なイメージ。あるいは、 明晰なイメージと、 曖昧なイメージ。九、現実的なもののイメージと、 架空なもののイメージ。十、公的なイメージと、私的なイメージ。
こうなると、頭のなかのイメージなるものは、心のあらゆる相、と言ってもいいように思えますが、ともかく、 彼はそれらの意識内容を、すべて「イメージ」と考えているわけです。
私はここで、ショシャールのいう「内言語」の実体を、つきとめようというのではありません。ボウルディングのいう「イメージ」の 分析を試みようというのでもない。私は、たったいま、自分の頭のなかにどんな「内言語」や、どのような「イメージ」が 浮かんでいるのか、それを実験的にとらえてみようとしているのです。
ところで、そうした「内言語」や「イメージ」は、けっして長くとどまっておりません。それは、あたかも水の流れのように不断に変化しており、風のようにとらえどころがない。けれど、水が流れながら、やはり、ひとつの川を形づくっているように、そして風が 吹きぬけながら、しかも、春風や秋風、あるいは 木枯らし、といったそれぞれの風であるように、頭のなかのイメージや言語も、何となくまとまった像を形づくっているように思います。
かつて、私はベルギーの言語学者グロータス神父に、あなたはどんなことばで考えるのですか、とたずねてみたことがあります。グロータスさんは、母国語のほかに英語、フランス語、中国語、日本語など、たくさんのことばを自由にしゃべることができるのです。∵いったい、 彼はそのうちの何語で考えているのか。
すると、グロータスさんは、笑いながら、「ああ、何人から、その質問を受けたことでしょう! 答えをテープレコーダーに 吹きこんでおきたいくらいですよ」と言って、こう教えてくれました。
「わたしはいま、あなたと日本語でしゃべっていますね。そうすると、あながた帰ったあとも、わたしは日本語で考えつづけます。そこへフランスの友人がやってきて、こんどはフランス語でしゃべり合ったとします。そうすると、そのあとは、ずっとフランス語で、ものを考える。つまり、わたしの頭のなかの言語は、そのときまで使っていたことば、というわけです。」
もうひとり、私は中国の友人にも、おなじ質問をしてみました。 彼は、中国語と日本語を、まったくおなじようにしゃべるのです。 彼の答えも、グロータスさんと同様でした。その前まで使っていたことばで考えるのだそうです。
頭のなかの「イメージ」も、きっとそうなのでしょう。たとえば、その前に外界から強く受けたメッセージが、そのままイメージとなって残り、それを 押しのける他のメッセージを受けとるまで、そのまま持続しているように思われます。そして、もし、あるとき受けとったメッセージが、あまりに 鮮明であったならば、そのイメージは折りにふれて頭のなかに 浮かびあがってくるにちがいありません。
(森本 哲郎「ことばへの旅」)
一つの分類体系が支配し、 読解検定長文 中2 冬 2番
一つの分類体系が支配し、それが存在そのものの分類であるとして固定化されている領域の内部だけに生きている人にとっては、「わかる」とは、相手が自分と同じ分類系をもっていることの確認であり、対象を自分の分類体系のどこかに位置づけることであり、「わかり合う」とは、 相互に同じ分類体系をもっていることの 相互確認であり、それ故の安心である。 閉鎖社会での 特徴は、「わかり方」がこのような形になっていることである。「君の気持ちはよくわかる」とか、「いまの若者は理解できない」というときの「わかる」とか「理解」は、このような意味である。
じつは、このような理解であれば、対話も評論も不要なのである。同質の分類体系のなかに住んでいるのなら、言葉はいらない。「ハラとハラ」で十分わかり合えるし、以心伝心が可能である。
しかし、これでは本当に「わかる」ということにならない。 互いに「わかっている」、あるいは「わかり合っている」と 思い込んでいるだけで、じつはわかり合っていないかも知れないのである。子供たちが「理解のある」大人に対して不信感を 抱いたり、いらいらしたりすることのなかには、「理解のある大人たち」が、ちっとも「わかっていない」のに、「わかった」ふりをしたり、「わかっている」と勝手に 思い込んでいることに対する不満があるのかも知れないのである。
最近いかにも「ものわかりのいい」子供たちが増えているが、わたしは 彼らを見て、本当に「わかっている」とは思えない。ちっとも「わかっていない」のに、「わかった風」をしていると思う。それは大人の考えが本当にわかっていたり、大人のいうことにしたがおうとしているのではなく、「どうせわかり合えないのだ」と割り切って、無用な 摩擦を 避け、適当に「良い子」になって、生活と気分の安定をはかっているのだと思う。
親は安心するであろうが、結局は本当に「わかり合う」ための努力を、両方とも 放棄しているのである。これはいまの子供や若者が、ずるいとか老成しているということではない。 彼ら自身が少しあとの世代について同じことを感じているはずで、いまの大人が、自分と同じ分類体系が通用していると 思い込んでいるのに対し、若い人ほど実情が見えているのだと思う。
以上は、日本のなかでの世代間の話であるが、同様の関係が、日∵本と外国、アメリカとソビエト、 欧米諸国とイスラム 圏、イスラエルとアラブ諸国、先進国と 開発途上国などのあいだにあると思う。これらの当事者が、自分の分類体系だけが 唯一の真理であると信じ、それ以外のものを 排撃している限り、 相互理解は不可能で、「わかり合える」ことはできず、結局は、武力にものをいわせて相手をしたがわせるしかないという結果になる。世界全体がそういう方向に進みつつあって、本当にわかり合う努力が 放棄されていっているのが、現在の危機的 状況ではないかと思われる。
このように、異質の分類体系が 相互の理解を 拒否する形で対立し合っているとき、「わかった風」や「理解ある態度」を示すことは、かえって事態を混乱させる危険をはらんでいる。一つの分類体系に 固執している相手に「理解ある態度」を示すことは、しばしば相手方に、「自分と同じ分類体系をもっている。」と 思い込ませるばあいもあるからだ。このばあい、相手方がその態度を示した側の分類体系を理解することはもちろんない。結局は理解し合うことなく、理解していると誤解し合うだけである。
したがって、問題の解決はきわめて困難なのであるが、問題点はきわめて明白であると思う。要するに、 西欧的な分類体系こそ 唯一絶対のものだと信じられていた一つの時代が去ったのである。このときこそ、 思い込みの 幻想に安住することなく、本当に「わかり合う」ことが重要であり、その可能性もでてきたのである。
本当に「わかる」とは、異質的な分類体系を理解することである。それは簡単に「わかった」とか「理解ある態度」を示したりできるようなものではない。長い、困難な 相互の努力によってはじめて可能になるような、そして可能になっても、実現はきわめて困難な理解の道である。「 西欧的な分類体系こそ 唯一絶対のものだと信じられていた一つの時代が去ったのである。」と書いたが、だから 欧米はダメだとか、日本的分類体系を 唯一絶対にせよというのではない。百年たっても、われわれは 西欧的な分類体系が「わかった」などといえないのである。むしろ、いままでは、理解したと 思い込んでいた 傾向が強い。本当の 西欧理解はこれからなのである。それほどに「本当にわかる」ということは困難である。それ∵は、 欧米の人が、日本の分類体系を理解しようとしなかったことと関係がある。
異分野の人との共同研究のことと比べよう。一方的な理解などというものは、ありえないのである。 欧米人がわれわれを「本当に」理解しうることを 媒介にして、われわれも 欧米を「本当に」理解しうる。アラブやアフリカとの関係においても同じである。もっとも近い 韓国との間にさえ、「本当に」理解し合うという 相互努力は、まだきわめて弱いと思う。おのおの、自分の分類体系のなかに相手を位置づけて、理解していると 思い込んでいる段階にとどまっているのではないかと思う。
閉鎖社会では、同じ分類体系を共有していれば「わかり合え」、物事が「わかる」ことも容易であった。また世界支配の時代には、支配国の分類体系によることが「わかる」ことであり、それ以外の体系は、「わかる必要がない」、あるいは「無意味な」ものとされた。
日本で 鎖国時代にすでに、異質的なものの理解の方法を意識化しえたのは、 遊廓という日常性とは別の社会の理解を通じてであったが、いまは、科学の諸分科間、科学者と民衆、国家と市民、文科系出身者と理科系出身者、世代間、民族間、国家間、宗教間で、異なった分類創造が行われつつある。やがては、地球外文明との 相互理解が必要になるかも知れない。その意味でこの文章は、「異星人とのつきあい方入門」なのである。
(坂本 賢三『「分ける」こと「わかる」こと』)
夜中に喉の渇きを覚えて 読解検定長文 中2 冬 3番
夜中に 喉の 渇きを覚えて目をさます。ほんとうは健やかな感覚であるはずだ。
起き上がって水道のところまで行き、冷たい水をコップに 一杯、腹の中に流しこむ。その混じり気のない満足がすぐにまた 眠りにつながっていく。 酔いの重しをつけて底に 沈められたような今までの 眠りと 違って、心地よく小波立ちながらどこまでも平らかにひろがっていく 眠りだ。
ところが、起き上がれない。ひたむきな肉体の欲求が、ほんのわずかのところで、どうしても動作につながっていかない。暗がりの中で頭を起こして 腹這いにまではなっている。 枕元の水は 寝る前に飲み 尽くしてしまった。酒と 一緒に水をそんなに飲むというのは、あまり良い 酔い方はしていなかったしるしだ。 壁のクーラーが 控え目な音を立てて、わずかに 涼しい風を首筋に送ってくる。妻と子供たちが 薄い毛布の下で三人からだを寄せあって 眠っている。水辺の宿に 泊まるという楽しみは、三人の中でどんなふうに満たされているのだろう。
目に映る物の動きがからだの底のほうから軽い 眩暈を 誘い出す。 悪酔いの時のあの感じに似ている。波の動きとともに、なまなましい力が 闇の中に 遍く満ちわたり、 蠢きあっている。それに 釣り合うだけの活力が、いまこのからだの中にない。背中のほうで妻と子供たちが 交互にふくらます 寝息さえ、水のゆらめきと、ふとひとつに 融けかかる。動きに取り囲まれていることに、つかのま、言いようのない 堪え難さを覚えた。しかし目覚め際の感覚にすぎない。目覚めの際に、肉体が生命感をひょいとどこかに置き忘れてきたとしても、不思議はない。よくあることだ。
鹹水湖(塩水をたたえた湖)が山の間まで深く 入り込んでいる。向こう岸はもう山地の夜の暗さだ。空もどんより 靄って、星ひとつ見えない。都会の 夜更けを 覆うスモッグに似ている。大勢の人間の 吐き出すいきれが空にのぼり、夜気に冷やされて白く 凝りはじめ∵る。このあたりに何 軒もある旅館やホテルの客たちの 寝息だろうか。全部で二、三百人は 眠っているはずだ。それとも、人間どもの存在にかかわりなく、大昔から、夏の 夜更けになると水面からのぼる 靄なのかもしれない。人家も見えぬ山あいの 闇の中に立ちこめるいきれ……。草や樹は 気孔を開ききって葉を重く垂れ、 獣たちは 喘ぎながら水辺へおりていく。このあたりでも、水はまだよほど塩からいのだろうか。
眩暈の感じは 徐々に引いていった。水はまだゆらめいている。とりとめもなく動く水を、とりとめもない気持ちで 眺める。そういう時間を 幾度か重ねて、年を取っていく。何年かに一度ずつ、判で 捺したように同じ気持ちで水を 眺める自分が 繰り返され、それからいつか、存在しなくなってしまう。それでもこの放心の状態の中には、 物憂い永遠の感じがたしかになにがしかふくまれている。
舷側に 押し分けられた水がしなやかに反りかえる 翠色の 壁をつくって 滑り退いていき、波頭をざわめかせながら、うねりの中に巻きこまれる。そのうねりの群れの前に、二つになる下の子供が立っていた。水の動きにぼんやり 眺め入っている様子が細いうなじに表れていて、思わず近づいて背中にそっと手をかけたくなるような後ろ姿だった。そばに行ってやろうかな、と思いながら、遠くから 眺めていた。子供の前から、水がじかにひろがっている。 甲板からの 昇降口にあたるらしく、そこだけ手 摺りが切れていて、太いロープが二本ゆるく 渡され、その下のロープを子供は左手に 握って、からだの重みをわずかにかけている。ロープがその手のところでやや 押し下げられて、心もち、外側へ、水のほうへ 傾き気味に張っていた。
はっとした時には、 手肢が 金縛りになって、 頭髪がほんとうに逆立っていくのがわかった。夢の中で空足を 踏むような 焦りが全身を走った。その時、タラップの方で軽やかな足音がして、上 甲板から 駆けおりてきた若い学生風の男が子供の姿を目に止め、こちらが走∵り寄るよりも一足早く、子供をロープのそばから 抱き取った。後ろで妻が短い悲鳴を上げ、 蒼ざめた顔で男のそばに 駆け寄って、子供を 奪い取った。男はちょっと 唖然とした面持ちで妻を見やってから、また軽やかな 駆け足で下の船室におりていった。
すぐに船室に行って、からだじゅうに 冷や汗を 掻きながら、礼と 詫びをしどろもどろに述べると、男は具合悪そうにうつむいて、「ちょっと危ないなと思って……」と、まるで言い訳のようにつぶやいた。
下の子がいつのまにか毛布を 蹴飛ばして、オムツを当てていた 頃のままガニマタにひらいた短い足を母親の 腰の上にのせている。あの 金縛りの状態では、とっさに後を追って 飛び込めはしなかった。 呆然と見送ってしまった 一瞬を 取り戻そうとして、人の見る中で、余計な物 狂わしい身振りをしたにちがいない。船べりと子供の間に無数のうねりが生き物のようにひろがり、波間から小さな頭が見えて、また 呑みこまれる。ガニマタにひらいた短い足が遠くに 一瞬のぞく……。
「水が飲みたいな」と、つぶやきがふと口から 洩れ、なにか 空恐ろしい気紛れの声のように聞こえた。 喉の 粘膜がささくれ立ったように火照って、 濃くなった 唾液が不快な 臭いをときおり内側から鼻に送ってくる。しかしからだは 頑固に 寝床に 沈みこんでいく。
目をつぶると、水のゆらめきが全身を包みこんで、 奥から 眩暈をまたくりかえし 誘い出した。
「こんな大量の水に囲まれていながら、コップ 一杯の水に 焦がれるとは……」という思いが 顰め笑いを 浮かべて通り過ぎた。
(中西 幸雄「友情」)
子どもたち全員と 読解検定長文 中2 冬 4番
子どもたち全員と学校の裏手の雑木山に出かけました。日かげの 沢にはまだ 汚れた雪が残っていましたが、陽だまりは 枯れ葉が 柔らかい熱を 含み、そこを歩くときに 頬に暖かみを送ってきます。子どもたちは 歓声をあげ、木に登ったり、 蔓にぶらさがったり、カタクリを 摘んだりしました。教室にいるときとは別人のようでした。
枯れ草に 腰をおろしていると、六年生らしい女の子が寄ってきました。 頬に赤い 痣のあるひっそりとした感じの子でした。女の子はだまってわたしのそばにすわり、しばらく 枯れ草を 引き抜いては編んでいましたが、やがてぽつりと言いました。
「こんどの先生ァ、男先生も 女ゴ先生もいい先生だね。」
「…………。」
わたしはとっさにはこたえることができませんでした。今の今まで村や分校や子どもたちをよく思っていなかったような気がしました。わたしは小さな 狼狽を 押し隠しながら、女の子の名前や家の仕事のことや兄弟のことを聞きました。里枝というその女の子は、一言一言 恥ずかしがるように 言い淀みながら自分のことを語りました。 訛の強い方言は、わたしには耳ざわりなはずでしたが、おとなしい里枝の口からそれが 洩れると、素直にわたしのからだの中に 溶けこんでいくようでした。
先生! とだしぬけに後ろから背中をたたかれ、わたしは思わず悲鳴をあげました。どんぐり 眼の一年生の明が、眼をいっそう大きく見開き、息をはずませていました。
「先生ァ、おらァ卒業するまでいてくれるね。」
「どうして?」
「ほだって……。」
明は後ろをふりかえりました。明をからかったらしい背の大きい男の子が 朴の木によりかかり、照れ笑いを 浮かべてこっちを見ていました。
「 兼吉がな。ハイカラ先生などァ一年で分校なんかやめて、すぐ町サ帰るって……。」
「先生はハイカラじゃないよ。」∵
「ハイカラださァ、金色の眼鏡かけてェ。」
わたしは思わず笑いました。女学校の卒業記念に、役場の書記をしていた父が買ってくれた旧式の 金縁の眼鏡を、わたしは大事に使い続けていたのでした。
(三好京三「分校日記」)
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