ある日のこと、日本の明治維新が成功した理由の一つは、それまでの二世紀半にも及ぶ、対外関係に精力を取られることのなかった鎖国のおかげで、日本人は国内の社会基盤の整備、治山治水、農地の拡大、そして官僚制度の確立といったことに専念することができたため、近代化への準備が一応整っていたからではないか、という話になって、歴史の専門家でもない私が、乏しい知識を総動員して、一生懸命説明に及んだのです。
ところがよく知っていることが、英語としてうまく出てこないのです。参勤交代、お国詰め、譜代、外様、天領、お国替え、そして駕籠や関所といった、何でもない徳川時代についての日本語が、すっと右から左へ英語になって口から出てゆかないのです。
よく知らないことが言えないのなら当たり前でしょう。しかし自分としてはよく知っている日本のことが、さっぱり英語にならないというこの苦い経験は、私にとって、それまであまり気にもしなかったいろいろなことを、深く考えさせるきっかけとなりました。
じつはそのときまで私は自分の英語力に、かなりの自信をもっていたのです。しかしそれは考えてみると洋書をたくさん読み、西洋のことを長い間いろいろと勉強した結果として、西洋に関することならば一通り英語で考えたり、口に出して言ったりすることができる、ということに過ぎなかったのです。日本の歴史や文化、そして平素日本で見聞きするさまざまな事柄を英語で言い表わすという、日本人としての自己表現の訓練はまったく受けてこなかったし、また自分でする気もなかったため、日本人のくせに、いざこちらの問題を英語でちゃんと話す必要に迫らせたとき、あわてるはめになったのです。
このように外国の事情を知り、外国から何かを学ぶ目的で、もっぱら国内向けに学校で学んだ、情報の受信解読専用の英語力では、逆に外国に向かって、自分の考えや日本の事情を説明し、相手を納得させるという、外向きの発信は必ずしもうまくゆかないのです。
(中略)
日本のことを詳しく知りたいという気持も、またその必要も外国にはありませんでした。このような時代に、日本人が苦労して、日本の事情や歴史・文化などを、欧米のことばで海外に発信することは、殆ど意味がなかったのです。
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