a 読解マラソン集 9番 怠け者でいくじなしの wa3
 怠け者なま ものでいくじなしののび太は、ドラえもんの道具さえ使えば何でもできると思い、ますます努力を怠るおこた 傾向けいこうがみえる。ドラえもんの道具に依存いぞんしょうを示し、ドラえもんはそれを嘆きなげ つつも、友であるのび太に奉仕ほうしせずにはいられない。いつも最後にはのび太が道具の使い方を誤ったり、悪用して問題を引き起こし、しっぺ返しを受ける。どんなにすぐれた道具を与えあた ても、誤用し悪用するのはいつも人間だというのだ。底知れぬ力を秘めた道具を不用意に貸し与えあた たドラえもんがとがめられないという問題はあるにしても、人間のドラえもんに対する絶対的な信頼しんらいは、ここに起因している。
 アトムはことあるごとに自ら飛んで行って、すべて自分一人でやろうとする。それは、ひとつの動力から発生する力を歯車やベルトコンベアで分配して使うのと同じ発想で、アトムは工業時代の原理を体現している。しかし、力だけならばロボットの助けを借りるまでもなく、ガンダムのバトルスーツや『エイリアン2』のパワー・ローダーのように、自己の力を増幅ぞうふくする方法を既にすで 人間は思いついている。または『ロボコップ』のように自分をサイボーグ化する方法もあるかもしれない。
 一方、ドラえもんは自分が何かを行うのではなく、心を持ち合わせていない道具に機能を託したく て、それを人間に使わせる。アトムは何かをなす判断を自らが下したが、ドラえもんは道具の機能に精通し、必要な道具を取り出して、その使用方法を説明するだけだ。その意味では、ドラえもんは最上のマニュアルであり、生き字引ならぬ生きマニュアル、ウォーキング・マニュアルなのだ。道具を使用するかどうかの判断は、あくまでも人間に委ねている。ドラえもんの場合には機能を道具化することによって、心をもった人工物のフェイル・セイフを施しほどこ ているのである。アトムにはそれが欠落していた。
 最近ではSFが、科学技術に遅れおく をとった裏返しとして、過去の技術に注目するようになっている情報技術の革命を経験することなく、過去の蒸気機関や時計じかけの技術がそのまま発展していたらどうなっていただろうかという設定の作品が増えている。こういった設定を、サイバーパンクに引っかけて「スティームパンク」と呼ぶらしい。この種の古典としてはいうまでもなく『メトロポリス』があるが、最近のスティームパンクの作品としては、ウィリアム・
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ギブスンとブルース・スターリングの『ディファレンス・エンジン』、宮崎みやざき駿はやおの『天空の城ラピュタ』、ティム・バートンの『シザーハンズ』などがある。『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』の蒸気機関車のタイムマシーンや、『未来世紀ブラジル』にも、スティームパンクの傾向けいこうが表れているし、古いところではチェコスロヴァキアの映画『悪魔あくまの発明』がある。スティームパンクが描くえが 古風な機械は、機能が顕在けんざい化しているので視覚化しやすい。スティームこそ出していないが、ロケット噴射ふんしゃで実際に移動をして、せっせと活動している姿を描くえが 鉄腕てつわんアトム』は、スティームパンクなのかもしれない。
 コンピューターを使いやすくするために、エイジェントというものが提唱されている。一九八八年にアップル・コンピューター           社が未来のマシーンを構想して視覚化したビデオクリップ「ナレッジ・ナヴィゲーター」では、エイジェントが使われていた。ちょうネクタイをした男性の秘書がディスプレイ上に現れて、外部データベースを検索けんさくしたり、かかってくる電話を選別する。
 人工知能を利用した一種の秘書であるが、あえてエイジェントと言って人工知能と区別しているのは、決断はあくまでも人間が行なうからである。本人の代理としてエイジェント同士で会話した場合、どうなるのかという気がするが、エイジェント同士での取りきめはできないようになっているのだろう。エイジェントは使用中に利用者の特性を記憶きおくしてゆく。エイジェントを「雇用こよう」する利用者は、特定の個性を持つエイジェントを選ぶことができる。
 高度成長時代の担い手が、テクノロジーのいきを集めたロボット、鉄腕てつわんアトムを見て育ったように、われわれの子どもは、すべてを成し遂げるな と  エイジェントであるドラえもんを見て育っている。『鉄腕てつわんアトム』がロボットに対する心理的抵抗ていこうをなくした後、日本ではロボットが急速に普及ふきゅうした。それと同じように、ドラえもんはエイジェント普及ふきゅうを先導しているのだろうか。

 (浜野はまの保樹『中心のない迷宮』)
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a 読解マラソン集 10番 人の生活を支えるシステムには wa3
 人の生活を支えるシステムには、不如意ふにょいなことや予測し得ないことが起きても対処できるような仕組みが、本来あるはずだ。ところが、昨今の事件に対する社会の反応を見ていると、この柔軟性じゅうなんせいを欠いているように強く感じる。
 例えば、小学校に変わり者が乱入した。すると、変わり者がいつ現れても大丈夫だいじょうぶなように、警備員を配置し、登下校には親が付き添いつ そ 、絶対に再発しない形を目指す。台風で窓が割れないようにと、窓のない家を作るようなものだ。
 いつ何が起こるか分からないシステムは信用しないことにしようという方向に、社会全体が進んでいる印象を受ける。しかし、いつ何があるか分からないけれどまず信用する、というのが人間関係の基本であるはずだ。薬と言われれば、プラシーボ(偽薬ぎやく)効果で、うどん粉も効くことがある。信用が根底にない社会は悪事を増やす一面がある。
 本来めざすべき形は、子供たちがよりよい環境かんきょうの中で、自然とも地域の人間とも親しみつつ、教育の成果を上げることではないか。ところが、いざことが起こると、泥縄どろなわ式に、すべてを変えようとする。
 この傾向けいこうは、世の中全般ぜんぱんに見られる。例えば、今月の目標値を定めると、数字が独り歩きし、それに達しないと満足できなくなる。本当に大事なのは取り決めではなく、取り決める時の状況じょうきょう。しかも状況じょうきょうは刻一刻と変わる。今の状況じょうきょうでは、その時決めた数字はおかしいかも知れないのに、顧みるかえり  こともない。
 例外的なことが起こっても揺るがゆ  ないシステムが、かつての日本にはあった。それを私は「やおよろず的」と呼んでいる。いろんな価値観の並立を認め、いろんな考え方があっていいんじゃないのという寛容かんよう心に包まれた社会だ。
 パソコンで言うと、日本人のベースにあった基本ソフトが「やおよろず」ソフトだった。「和魂わこん洋才」と称ししょう 、外国の様々なアプリケーション(応用)ソフトを持ってきて使えた。キリスト教は悪と言っているが、イスラム教ではどうも違うちが ぞ、という風に。
 今、この基本ソフトの教育がないまま、応用ソフトばかりをたた
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きこまれた弊害へいがいが、一挙に噴出ふんしゅつしている。多様なものを単一化、画一化するという形で。企業きぎょうは経済原理だけで合併がっぺいを進め、政治も単一化につぐ単一化。個人のレベルでは、アイデンティティー(単一の個性)によって縛らしば れる。統一的なアイデンティティーを前提にすると、そこからはみ出すものは異常、となってしまう。人格の「ゆらぎ」を誤差として認めない。
 ただ、「やおよろず」的な時代に時計の針を戻すもど ことはできない。まず行うべきは、カオス(混沌こんとん)としての自然や身体を見直すことではないか。現代社会は、「身体」をあまりにも軽視している。日本語では、「身」「心」という。「身」には「心」が混じっているし、「心」には裏付けとして「身」が含まふく れる。相互そうごに重なりあっていて、西欧せいおうの精神・肉体の二元論とは全く違うちが 。これが日本の独自性だ。
 「あいまいさ」は日本人の欠点のように言われてきたが、「身」によって伝わるものが共通認識としてあるからこそ、「心」を全部言語化しなくても分かり合えるということだ。共通認識の部分が、論理ですべてを理解しようとするロゴス(理性)主義の西欧せいおう人より広い。欠点ではない。自信を持っていい。
 人間は自然の一部。人間そのものもまた、大いなる自然。自然そのものに矛盾むじゅんはないが、自然を解釈かいしゃくしようとする人間の頭の中に矛盾むじゅんが生まれてくる。自然の本質はカオスだから、ロゴスでは説明がつかない。何をするか、何が起きるかわからない自然というものを前提に、借り物でない、日本の実情に見合ったシステムを作り直す必要がある。
 あまりに強く因果律にしばられた効率重視の社会を越えるこ  ものの一つが遊びだろう。ぜんには「遊戯ゆうぎ」という言葉がある。何かをして、それに見合った結果を後に期待するのではなく、今していることの中に楽しみを見いだし、人生の喜びにかえてしまおうという考え方だ。
 七福神の精神をご存じだろうか。なぜ七福神がめでたいかというと、あの7人はどんな問題をぶつけても、必ず意見が割れるから。その代わり、6人が反対しても必ず1人は賛成してくれる。
 「おれは違うちが けど、お前も面白いね」と言って笑い合う態度。
 (玄侑宗久げんゆうそうきゅう信頼しんらい喪失そうしつ社会を語る」『読売新聞』)
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a 読解マラソン集 11番 耳にピアスをしている若者が wa3
 耳にピアスをしている若者が目につくようになって久しい。以前は女性でさえイヤリングはしてもピアッシングまではしなかったものだが、最近はピアスをしている男性が少しもめずらしくなくなってしまった。
 ことは日本に限らない。中国にはつい五十年ほど前まで弁髪べんぱつもあったし纏足てんそくもあった。西洋にしたって同じだ。三百年ほど前には、たとえば女性は額を大きく削りけず 上げていたのである。コルセットにいたっては今世紀初頭まで残っていた。身体を傷つけないことこそ文明であると見なされるようになったのは、つい最近の出来事にすぎなかったわけである。おそらく、十八世紀の啓蒙けいもう主義以降のことと言って大過ないだろう。その段階で文明に関する考え方が大きく変わったのだ。
 いうまでもなく、動物は自分の身体を傷つけない。ただ人間だけが傷つけるのだ。とすれば、身体加工こそ人間の特徴とくちょう、すなわち文明であるということになる。ピアスをしたり、毛髪もうはつ特殊とくしゅなかたちにしたりする若者は、したがってきわめて人間的であり、文明的であるということになる。ちょっとした逆説である。
 刺青しせいでも抜歯ばっしでもいい。人間が人間になったのは、明らかに自分の身体を傷つけることによってである。それではなぜ人間は自分の身体を加工するようになったのか。自分が自分であることを確かめたいため、社会における自分の位置を明らかにしたいためだ。とすれば、人間は自分が自分であることを確かめずにはいられない存在なのだということになる。逆に言えば、人間は、確認しないかぎりは、自分が自分ではない存在なのだ。
 これはとても興味深い事実だ。なぜならそれは、人間はじつは何にでもなれる存在だということだからである。きつねにでもおおかみにでもなれる存在、木にでも石にでもなれる存在だということだからだ。実際、憑依ひょうい現象は人間の文化と切り離しき はな がたく結びついている。
 憑依ひょうい現象といえば、まるで未開や野蛮やばんの典型のように響くひび 。だが、そんなことはない。むしろ文明の発端ほったんなのである。類人猿るいじんえん憑依ひょうい現象はない。人間は、巨大きょだい集団を形成することによって他の動物には見られない力を発揮してきたが、それが可能になったのはこの憑依ひょうい現象によってなのだ。宗教や芸術の根底にも同じ憑依ひょうい現象が
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あると言っていい。
 自分が自分であることを知るには、他人にならなければならない。人間の自己意識の仕組みは、そのまま社会の仕組みに重なっているのである。人間の社会が類人猿るいじんえんの社会から飛躍ひやくしたのはこの仕組みによってだが、そのもっともカンメイな表れが憑依ひょうい現象だったわけだ。自己とは小さな憑依ひょうい現象であり、社会とは大きな憑依ひょうい現象であると言いたいほどだ。だからこそ人間は、憑依ひょうい現象の一形式としての舞踊ぶようを、そして演劇を発明したのである。
 難しいことではない。要は、人間は何にでもなれるということにすぎない。けれど、この自由はそのまま不安をも意味している。身体加工は、何にでもなってしまいかねない自分というものを、あるひとつの何かに固定する技術として成立したのである。とすれば、いま若者たちが自分の身体を加工することに熱中していることの背後にも、同じ不安が潜んひそ でいると考えるべきだろう。
 問いはしたがって、若者たちに向けられるよりは、身体加工をしなくなった人間たちに向けられるべきなのだ。なぜ人間はこの二百年ほど不安を感じなくなったのか、と。
 身体加工は啓蒙けいもう主義のころから廃れすた はじめた。おそらくそのころから、自分は人間であると信じるだけで、不安がある程度は解消されるようになったのである。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい。これが人間主義すなわちヒューマニズム時代の標語だった。だがおそらくいまや、自分が人間であるといった程度のことでは不安が解消されなくなってしまったのだ。科学技術の驚異きょうい的な発展とともに、人間はついに自分たちの不気味さに本格的に気づきはじめたとでも言おうか。
 膨大ぼうだいな情報の洪水こうずいのなかに溺れおぼ ながら、いま人間はふたたび、原始時代と同じ不安にさいなまれはじめているように思われる。

 (三浦みうら雅士まさし『考える身体』)
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a 読解マラソン集 12番 一九世紀の自由主義は wa3
 一九世紀の自由主義は、危険とはだれの目にも見えるもので、危険回避かいひは各自の自己決定に委ねればいいという考え方に立脚りっきゃくしていた。危険の経験的自明性と自由主義は内側でつながっていた。すなわちJ・S・ミルの『自由論』が出された一八五九年には、見えない微生物びせいぶつが危険だという医学思想はまだ成立していなかった。病原体説の成立は、コッホによる結核けっかくきんの発見が一八八二年であり、パスツールによる狂犬病きょうけんびょう研究が一八八〇年以降である。自由主義の原則は、危険の経験的自明性というある意味では誤った想定の上に作られてしまった。
 その後、われわれは見えない危険の時代を迎えるむか  ことになった。自動車を走らせると地球が温暖化する。だれもその因果関係を見ることはできない。手に取った黒土のひとかたまりにダイオキシンがどれだけ含まふく れているか、見ることはできない。トウモロコシDNAの中の危険な塩基配列も見えない。吹きふ 寄せる風のなかの放射能も見えない。
 現代で安全性を理解するためには、「地球全体で人間が空気の中にすてる炭酸ガスが原因になって地球が温暖化し南極にある氷河が溶けと て、二〇年後に太平洋のなかの珊瑚礁さんごしょうの国を水没すいぼつさせる」ということを理解しなくてはならない。
 この文章の中には見えないものがたくさんある。「地球全体」は見えない。「空気の中にすてる炭酸ガス」は見えない。「地球の温暖化」は見えない。「炭酸ガスという原因による温暖化という結果」は見えない。「南極の氷河」は見えない。「二〇年後」は見えない。「太平洋のなかの珊瑚礁さんごしょう」は見えない。それではどうして「ゴミをへらせば地球を守ることになるのか」が分かると言えるだろう。もしも、「疑わしいことを信じてはいけない」というタテマエを守るなら、「ゴミをへらせば地球を守ることになる」と信じてはいけないという結論になるのだろうか。
 そこで真理をつきとめることにしよう。「科学的真理は何度も同じ条件で実験を繰り返すく かえ ことによって確かめられる」というタテマエにしたがうとする。石油をたくさん燃やして何度も実験をして見たら、「地球に砂漠さばくが増える」、「たくさんの生物が絶滅ぜつめつする」、「人間が生きていくための地下資源がなくなる」、「地面の下がゴミだらけになって水が飲めなくなる」という結果が起こったと仮定
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しよう。やっぱり「ゴミをへらせば地球を守ることになる」というのは正しかったという結論がでるだろう。しかし、そのことを確かめる人間は、生き物のいない砂漠さばくで食べ物も水もないという状況じょうきょうにいるかもしれない。
 「ゴミをへらせば地球を守ることになる」が本当かどうか。何度も繰り返しく かえ て確かめることができない。環境かんきょう問題は日常の経験だけでは判断がつかないので、高度の専門的な知識を学ばなくてはならない。情報依存いぞん的にしか因果関係は把握はあくできない。悪い結果がでてしまった後では取り返しがつかないので、後悔こうかいしないですむように情報を捉えとら て事前に予防しなくてはならない。
 どんな事柄ことがらでも「悪い結果がでないように完全に予防すること」はとてもむずかしい。「風邪かぜの予防」の場合には、予防に失敗してもあまり心配はいらない。予防に失敗しても風邪かぜは必ずなおるからである。ところが「砂漠さばくが増える」とか「珊瑚礁さんごしょう水没すいぼつする」とか「明日から使う石油がない」とか「くじら絶滅ぜつめつする」とかということは、予防に失敗したら永遠に取り返しがつかない。完全予防という側面からも安全の情報依存いぞんが成立する。
 ベックは、その『危険社会』(一九八六年)で「ヒューム以後明らかとなったように、因果関係は本質的に知覚を通じては推定できない。因果関係の推定はあくまで理論に基づくのである」と述べている。
 安全性について情報依存いぞん型の社会を作りあげることなしには、われわれは安全を確保できない。安全性は古典的自由主義のタテマエからすれば自己決定権の範囲はんい含まふく れる。これは自分の生命の自己防衛権と同種のものと受けとめられている。実際には、安全であるか否かは経験的に自明ではなく、信頼しんらいできる情報に依存いぞんしている。

 (加藤かとう尚武なおたけ『価値観と科学/技術』)
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