怠け者でいくじなしののび太は、ドラえもんの道具さえ使えば何でもできると思い、ますます努力を怠る傾向がみえる。ドラえもんの道具に依存症を示し、ドラえもんはそれを嘆きつつも、友であるのび太に奉仕せずにはいられない。いつも最後にはのび太が道具の使い方を誤ったり、悪用して問題を引き起こし、しっぺ返しを受ける。どんなにすぐれた道具を与えても、誤用し悪用するのはいつも人間だというのだ。底知れぬ力を秘めた道具を不用意に貸し与えたドラえもんがとがめられないという問題はあるにしても、人間のドラえもんに対する絶対的な信頼は、ここに起因している。
アトムはことあるごとに自ら飛んで行って、すべて自分一人でやろうとする。それは、ひとつの動力から発生する力を歯車やベルトコンベアで分配して使うのと同じ発想で、アトムは工業時代の原理を体現している。しかし、力だけならばロボットの助けを借りるまでもなく、ガンダムのバトルスーツや『エイリアン2』のパワー・ローダーのように、自己の力を増幅する方法を既に人間は思いついている。または『ロボコップ』のように自分をサイボーグ化する方法もあるかもしれない。
一方、ドラえもんは自分が何かを行うのではなく、心を持ち合わせていない道具に機能を託して、それを人間に使わせる。アトムは何かをなす判断を自らが下したが、ドラえもんは道具の機能に精通し、必要な道具を取り出して、その使用方法を説明するだけだ。その意味では、ドラえもんは最上のマニュアルであり、生き字引ならぬ生きマニュアル、ウォーキング・マニュアルなのだ。道具を使用するかどうかの判断は、あくまでも人間に委ねている。ドラえもんの場合には機能を道具化することによって、心をもった人工物のフェイル・セイフを施しているのである。アトムにはそれが欠落していた。
最近ではSFが、科学技術に遅れをとった裏返しとして、過去の技術に注目するようになっている情報技術の革命を経験することなく、過去の蒸気機関や時計じかけの技術がそのまま発展していたらどうなっていただろうかという設定の作品が増えている。こういった設定を、サイバーパンクに引っかけて「スティームパンク」と呼ぶらしい。この種の古典としてはいうまでもなく『メトロポリス』があるが、最近のスティームパンクの作品としては、ウィリアム・
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