a 読解マラソン集 5番 村の伝兵衛さんの家に、 ti3
 村の伝兵衛でんべえさんの家に、子ねこが六ぴきうまれました。そのうち五ひきは、ほうぼうにもらわれていきましたが、親によくにためすねこだけは、もらい手がなくて家にのこりました。そして、一年ほどもたつと、どれが親だか子だか、家の人でも、ちょっとわからぬほど大きくなりました。
 ある夜、村のわかいしゅうが、酒もりをしようと、伝兵衛でんべえさんの家にあつまりました。ところが町へ酒買いにいくことになると、だれもじぶんがというものがありません。すると、ちえじまんの伍一ごいちというわかものが、この親子ねこを見て、
「おい、みんないいことがある。彦一ひこいちをよんできて、このねこの親と子を見わけさせようじゃないか。いかに彦一ひこいちでも、ひと目でこれがわかるはずはない。しかし、まけん気の彦一ひこいちは、けっしてわからぬとはいわぬから、まちがったら町へつかいにやろうじゃないか。」
といいました。それはおもしろいというので、むかえにやると、すぐ彦一ひこいちがやってきました。伍一ごいちは親子のねこをまえにおいて、
「おい彦一ひこいち、このねこはどっちが親で、どっちが子が見わけがつくか。もしうまく見わけたら、ここにあるおかしをみんなおまえにやろう。そのかわりまちがったら、おまえは町まで酒買いにいくんだ。」
というと、彦一ひこいちは、へいきで、
「いいとも。」
と、こたえ、いろりのそばにあったさかなのほねを、二ひきのねこのあいだになげてやりました。二ひきのねこはいちどにとびかかって、そのほねをおさえましたが、一ぴきのねこが、うまそうにたべるのをじっと見つめています。
 彦一ひこいちはこのありさまを見て、
「さかなのほねをたべているほうが子どもで、見ているほうが親ねこだ。伝兵衛でんべえさん、そうであろうが。」
といいました。ほんとうにそうだったので、伝兵衛でんべえさんがかんしんしてうなずくと、彦一ひこいちは、ことばをついで、
「なあ一どん、ねこだって親は子から先にたべさせる。親というものは、ねこだって子どもをこんなにかわいがる。ああ、ありがた
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

いのは親だ。おれははやくかえって、このかしをおかあさんにあげよう。」
 こういうと、まえにあったおかしをもって、どんどんかえってしまいました。

(小山勝清かつきよ彦一ひこいちとんちばなし」)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 読解マラソン集 6番 むかし、からからにかわいた砂漠で、 ti3
 むかし、からからにかわいた砂漠さばくで、ある男が、十頭のラクダを水飲み場につれていこうとしていました。
 しばらくあるいたところで、男は一頭のラクダのにのり、あとなん頭いるか、かぞえてみました。ラクダは九頭しかいませんでした。男はあわててラクダのからおりると、いなくなった一頭をさがしに、いまきた道をてくてくあるいてもどりました。
 けれども、どこにも姿すがたが見えません。きっといなくなってしまったんだ。男は、そう思ってさがすのをやめ、大急ぎでラクダたちのところへもどりました。
 がっかりして、もどってきてみると、これは、またどうしたことでしょう。ラクダはちゃんと十頭いるではありませんか。大よろこびで、男は、そのうちの一頭の背なかせ  にのりました。
 ところが、しばらくすると、もういちど、数をかぞえてみたくなりました。九頭しかいない!男は、とほうにくれて、ラクダのからおりると、またいなくなった一頭をさがしにいきました。どこにもいません。
 男は、群れむ のところにとんでかえって、数をかぞえてみました。すると、おどろいたことに、十頭ぜんぶそこにいて、ぶらぶらあたりをあるきまわっています。
 男は、これは砂漠さばくの暑さのせいだと、もんくをいいながら、こんどは、いちばんうしろのラクダにのりました。そして、三度めの正直とばかりに、もういちど、のこりのラクダをかぞえました。さっぱりわけがわからない。また一頭たりなくなっている! 男は、悪魔あくまをののしりながら、ラクダからとびおりました。そして、のろのろと群れむ のあいだをあるきながら、一頭ずつかぞえていきました。ちゃあんと十頭います。
「わかったよ、わかったよ、この根性こんじょうまがりの悪魔あくまめ。」
と、男は吐きは すてるようにいいました。
「のって一頭をなくすくらいなら、十頭つれてあるくほうがましさ!」

(ユネスコ文化センターへん「アジアの笑いばなしわら    」)

 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

 国家試験しけんを目前にひかえた三人の受験生じゅけんせいが、結果けっかをうらなってもらいに、ある占師うらないしのところへいきました。
 すると、占師うらないしは、なにもいわず、ただだまって指を一本立ててみせました。
 結果けっかが発表されてみると、三人のうちひとりだけが合格ごうかくしており、おかげで、この占師うらないし評判ひょうばんはぐんとあがりました。
 占師うらないしのわかい弟子は、どうしてそれがわかったのか知りたがりました。
成功せいこう秘訣ひけつは、ものをいわぬことじゃ。」
と、占師うらないしはいいました。そして、それをきいた弟子がぽかんとしているのを見て、こうつけくわえました。
「いいかね、おまえは、わしが指を一本だしたのを見ておったろう。それは、三人のうちひとりだけが合格ごうかくするという意味にも取れる。事実、そうなった。だが、もし、ふたり合格ごうかくしておったとしても、わしの見立ては、やっぱりただしい。指一本は、ひとりおちるという意味にとれるからな。三人ともとおっていたとしても、指一本は、三人そろっていちどに合格ごうかくという意味にとれる。その反対もおなじこと。どんなばあいも、わしはただしいんじゃ。」

(ユネスコ文化センターへん「アジアの笑いばなしわら    」)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 読解マラソン集 7番 一九七七年。 ti3
 一九七七年。初めてはじ  ケニアのマサイ・マラ動物保護ほご区をおとずれたとき、とてもふしぎに思う光景こうけいにぶつかった。
 車を走らせていると、シマウマとトピがいっしょになって草を食べているかと思うと、シマウマとトムソンガゼルがいっしょになっているときもある。
 わたしは、「せまい草原ならいざしらず、ここはかぎりなく広がる草原である。なにも同じ場所でいっしょになることもあるまい。べつべつにわかれて、のんびり食べればいいのに」
と、思った。いっしょにいれば、同じ草をめぐって、うばいあいが起こるのではないかと考えたからだ。
 ところが、草食の哺乳類ほにゅうるいたちは草をめぐってのあらそいを起こしていない。同じ場所で、それぞれのしゅがゆうゆうと草を食べていた。
 それ以来いらい、それぞれのしゅが草をどのように食べているのか、注意深く観察かんさつをするようになった。草の食べ方が、それぞれのしゅによってちがっていると思ったからだ。
 同じく、マサイ・マラ動物保護ほご区のサバンナを車で走っていると、三〇頭ほどのヌーと、二〇頭ほどのシマウマがまじりあうようにして草を食べていた。車を止め、わたしは両者の食べ方をくらべてみた。
 シマウマのほうは、まだのついている草むらの中にはいりこんで食べているのに対し、ヌーのほうは、草やくきがすでに半分以上いじょうも食いつくされたところにたって、シマウマの食い残しのこ の部分をしきりに食べているのだ。すぐかたわらに、まだぜんぜん食べていない草があるというのに、どのヌーも、それには口をつけようともしない。背たけせ  がみじかくなった草ばかりをしつこく食べつづけていた。
 わたしは、ヌーの口のかたちに注意をした。横に広がり、いかにも、みじかい草を食べるのに適してき ている。
 そのうえ、ヌーの門歯は上あごにはなく、下あごだけにはえている。この門歯のつくりも、みじかい草を刈りとるか   のに適してき ている。事実、ヌーはみじかい草をじつにたくみに刈りとっか   て食べているのだ。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

 シマウマのほうは、のついた草も刈りとっか   て食べている。シマウマのこの門歯は、ヌーとちがって、上あごにも下あごにもはえている。背たけせ  の高い草も、シマウマには食べやすくなっているのだ。
 シマウマとヌーは、同じ場所にいっしょにいても草をめぐってあらそいを起こすどころか、草をじょうずに食いわけていたのだ。自然しぜんは、いろいろな動物が、同じ場所で食べてくらしていけるようにつくりだしているのだ。

(黒田弘行ひろゆき「サバンナをつくる生きものたち」)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 読解マラソン集 8番 アフリカ・オーストラリア・南アメリカの ti3
 アフリカ・オーストラリア・南アメリカの三大陸たいりくには、肺魚はいぎょというさかながいて、真水の中に住んでいます。肺魚はいぎょという名まえからもわかるように、うきぶくろが、たいへんはいによくています。
 肺魚はいぎょも、ふだんは、えらで呼吸こきゅうをしていますが、雨のない季節きせつに水が干あがっひ   てくると、はい、すなわち、うきぶくろで、呼吸こきゅうをするようになります。
 南アメリカの肺魚はいぎょは、自分の住んでいるぬまがかわいてくると、まず土にあなをほってはいりこみ、からだが水から出るにしたがって、うきぶくろで呼吸こきゅうを始めます。土がすっかりかわいてしまいますと、からだがからからにかわかないように、ねばっこいえきでからだをくるんで、ふたたび、雨の季節きせつになるまで、じっとしています。
 このようにはい呼吸こきゅうすることのできるさかなが、だんだん水からりくに上がってきて、やがて、すっかり陸上りくじょう動物になってしまうことが、想像そうぞうされないでしょうか。実際じっさいに三おく年ぐらいのむかしに、空気を呼吸こきゅうするさかなが、陸上りくじょうと水中と両方で生活するようになって、両生類りょうせいるいのなかまが生まれ出ました。
 動物が陸上りくじょうで生活するためには、陸上りくじょうに植物がはえている必要ひつようがあります。たとえ肉食の動物でも、そのえじきになる動物は、植物を食べているのだし、すみかや、かくれがとしても、植物が必要ひつようだから、植物がはえていなければ、動物は生活できません。
 だから、どう考えても、陸上りくじょう生物が生まれる前に、陸上りくじょう植物が生まれているはずなのです。動物は、植物のあとをついて、水中から陸上りくじょうに上がりました。
 陸地りくちに植物が大いにしげって、動物が住めるようになったときに、さかなから両生類りょうせいるいが生まれたばかりでなく、それと前後して、サソリやこん虫、そのほかいろいろの陸上りくじょう動物ができました。それが、今から三おく年ぐらい前のことなのです。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 


八杉やすぎ龍一りゅういち「進化の道しるべ」)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534