よく人からこんなことを聞かれます。
「どうして高い山へ登るんですか」
あの有名な登山家マロリーは、
「山がそこにあるから……」
と答えましたが、これはほんとうの気持ちではなかったようです。なんでも答えるのがめんどうくさくて、なにげなく冗談めかしてそういったらしいのですが、それがいつのまにか名言となって、それが通りことばとなったようです。
たしかに山がそこにあるから登るのでしょうが、わたしはそこのところをもう少し掘り下げてみたくなりました。わたしは絵描きです。よく人が、
「なにもそんなに高いところへ登らなくても、もっと楽をして絵を描くようにすればいいのに」と、いってくれます。でも、せっかくそう言ってくれても、やっぱり高いところへ登ってしまうのです。
では、どうして高いところへ登るのかという問題です。人にはそれぞれ自分なりに持っている、自分自身にたいする鍛え方というものがあるはずです。たとえば体操をしたり、かけ足をしたり、大きな声で詩を吟じたり、いろいろその人なりの鍛え方があると思います。わたしの場合は、高いところへ登るためについてくるつらさというものを、わたしの鍛え方としたいのです。(中略)
なぜこんなにつらい思いをしてまで、おれは登るのか、たしかに自分でもそう思うことが始終です。そこで解答を出すわけなのですが、じつはそのつらさを体験するために登っているのです。自分の今の状態の限界を試してみて、そこで耐えられる自分の強さを知りたいのです。耐えられる強さは、なぜ自分はこうやって生きているのか、という自分自身への解答になります。自分は絵を描くためにこうやって生きてゆくんだという確かめが、はっきり形となってとらえられるのです。これはわたし自身にとって、とても大切なことなのです。
そこで、みなさんの大好きな野球を例にとってみましょう。たとえば、個人ノック。
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