地球環境問題複合体のどの部分を切りとり、そこにどのようにアプローチするか、その方法は、人によりさまざまである。それはその人の今までの経歴や現在の対象などに大きく依存しているからだ。しかし、ただ一つ、共通点がある。それは、どの切り方も二項対立に立脚していることだ。その結果、問題の「解決」は、二項対立の一方の極から他方の極へシフトすることとしてしか提唱されてこなかったのである。
(中略)
人間/自然の二分法は、そこに優―劣の直線関係をともなう。人間=優れたもの、自然=劣ったモノ。
この関係は動物どうしの中でも、縮小されて再現される。より人間に近いもの、たとえばチンパンジーや鯨は、より人間から遠いもの、たとえば蟻やクラゲより大切だということになる。商業捕鯨をめぐる一連の動きを思い出していただきたい。ぼくは鯨の肉を食べること自体には反対ではない。どこの民族が何の肉を食おうと勝手である。問題は、何を誰が食べるかではない。ある動物種が絶滅するかどうかである。この点に限ってみれば、商業捕鯨を規制(禁止ではなくて)する必要があるかもしれない。しかし、鯨やトキのようには騒がれもせず、おそらく人間に知られることもなく絶滅していく昆虫は数知れず存在する。
あるとき、このような意見をアメリカの友人に話したところ、彼女はどうしても納得できないと言い張った。日本で開かれた国際学会のために来日した彼女を含め、十人ぐらいで鍋を囲んでしゃぶしゃぶをつついていたときのことである。
「鯨は人間のように賢い動物だ。それを食べることがどうして許されるのか? あなたはチンパンジーの研究者でしょう(彼女もチンパンジーを研究している)。チンパンジーを食べることが許されますか?」
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