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読解マラソン集 9番 地球環境問題複合体の re3
地球環境問題複合体のどの部分を切りとり、そこにどのようにアプローチするか、その方法は、人によりさまざまである。それはその人の今までの経歴や現在の対象などに大きく依存しているからだ。しかし、ただ一つ、共通点がある。それは、どの切り方も二項対立に立脚していることだ。その結果、問題の「解決」は、二項対立の一方の極から他方の極へシフトすることとしてしか提唱されてこなかったのである。
(中略)
人間/自然の二分法は、そこに優―劣の直線関係をともなう。人間=優れたもの、自然=劣ったモノ。
この関係は動物どうしの中でも、縮小されて再現される。より人間に近いもの、たとえばチンパンジーや鯨は、より人間から遠いもの、たとえば蟻やクラゲより大切だということになる。商業捕鯨をめぐる一連の動きを思い出していただきたい。ぼくは鯨の肉を食べること自体には反対ではない。どこの民族が何の肉を食おうと勝手である。問題は、何を誰が食べるかではない。ある動物種が絶滅するかどうかである。この点に限ってみれば、商業捕鯨を規制(禁止ではなくて)する必要があるかもしれない。しかし、鯨やトキのようには騒がれもせず、おそらく人間に知られることもなく絶滅していく昆虫は数知れず存在する。
あるとき、このような意見をアメリカの友人に話したところ、彼女はどうしても納得できないと言い張った。日本で開かれた国際学会のために来日した彼女を含め、十人ぐらいで鍋を囲んでしゃぶしゃぶをつついていたときのことである。
「鯨は人間のように賢い動物だ。それを食べることがどうして許されるのか? あなたはチンパンジーの研究者でしょう(彼女もチンパンジーを研究している)。チンパンジーを食べることが許されますか?」
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それは困る。日本には、チンパンジーを食べる習慣はない。だから、日本の食習慣に囲まれて三十年間も過ごしてきたぼくにとっては、鯨を食べることとチンパンジーを食べることは、等価ではない。アフリカの奥地の人々がチンパンジーを食べる風習をもっているとしたら、おそらくぼくは反対するだろう。チンパンジーは貴重な種であり、絶滅寸前だ、という理屈をもって。これは百パーセント、ぼくの(さらに、多くは北側諸国に属しているチンパンジー研究者の)エゴである。アフリカ原住民の食習慣と、北側諸国のチンパンジー研究者の仕事と、どちらを優先させるか、という問題である。チンパンジー研究者や自然保護派は(少なくともぼくは)、自分の興味を優先させる。
捕鯨反対も同じことだ。しかし、私の友人にはその構造が見えていないようだった。彼女にとっては、鯨を食べること自体が、絶対的な悪なのである。その価値観を押し付けるのは、エゴイズムである。また、鯨を食べていいというのも、エゴイズムである。どちらも、まったく同じ穴の狢なのだ。だからこの論争は、声の大きいほう、あるいは味方の多いほう、力の強いほうが勝つ。
自然保護は先進国のエゴだ、という批判がよくある。しかしこれは、批判になっていない。当然のことだからだ。頭のてっぺんから足の先まで、先進国エゴなのだ。それ以外に自然保護は存在しえない。だから、先に批判は批判になっていない。自然保護をそもそも否定するのなら話はわかる。しかし、そうではなくて、先進国エゴでない自然保護がある、と思っているとしたら、とんでもない間違いではないだろうか。
自分たちが食べない物を人が食べていても、自分たちには理解できないから、批判も容易だ。それだけのことである。それだけのことであるのに、あたかもそこに、絶対的な真実や善意、「大文字で始まるTruth」が存在するかのように論じられるのはなぜだろうか。それは、自然と人間の間の差異を、断続ととらえる発想のなせるわざではなかろうか。動物に対する見方の違いである。
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読解マラソン集 10番 田辺がある女の子に re3
田辺がある女の子に好意を抱いていると気づいたのは、その年の夏休みが明けた頃だ。あんなにわたしの「保護」をうとましがっていた彼が、放課後よく目の前に現れるようになった。こちらの部活が済むまで図書館で時間を潰しているらしかった。図書館で宿題を済ませたほうが合理的だとか、貸出禁止の重たい辞典に用があるのだとか、田辺としては完璧な理由で防壁を築いたつもりだったろうけれど、わたしのクラスの子の話を聞きたがっているのは明らかだった。
色の白い小柄な少女で、勉強は抜群にできた。校則違反の赤いリボンを髪に結んでいて、ときおり注意されたけれども成績がよいせいかあまり強くは叱られない。先生や男子に対するときだけ声が一オクターブ高くなると言われ、同性の評判はきわめて悪い。たまに上級生の女子が数人、リボンを取れと彼女に詰め寄る場面が校内で見られるけれども、それはハタからはいたいけな美少女が虐められている図にしか見えず、こんなところに出くわすとクラスの男子たちは果敢に上級生と闘ってしまったりして、他の女子を余計いらいらさせていた。
「ほんっと、おまえって見る目がないな」
吐き捨てるようにわたしが言うと、彼はまず別に好きなわけではないと甲斐のない言い訳をムキになってし、次にわたしは彼女を誤解しているのだと少女を弁護し始めた。互いに腹立たしくなり、ずいぶん口論した。
「ちがうよ、みんな嫉妬されて孤独なんだよ」
「孤独ぅ? どっからそんな言葉が出てくるんだよ。言ってて恥ずかしくない?」
「孤独なんだ。高岡にはわからないんだ。」
「あー、そうかよ。じゃあ、孤独な美少女にラブレターでもなんでも書きゃいいだろ。そんな度胸、あんのかよ」
彼がこんなふうに何かを主張するのは初めてだったから、わたしは多少狼狽していた。もういいよ、と背をむけて歩き出す田辺に追
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い打ちをかけずにはいられなかった。
「書けば? なんだったらあたしが聞いてきてやろうか、田辺君をどう思うって。知らないかもしれないな、おまえのことなんか」
そしてげらげらと下品な声で笑った。
田辺はくるりと振り向いてわたしを突き飛ばした。顔が真っ赤だった。声が震えていた。
「ぼくが……、ぼくが、もしも君津さんに高岡のこと聞いたらどんな気がする」
どきりとした。君津さんというのは剣道部の男子の主将だ。わたしの秘かな憧れをまさかこの愚鈍な田辺に見透かされているとは思いもよらなかったのだ。わたしは見事にしどろもどろになり、何を勘違いしているのだという声に力がこもらず、どうしてそう思うのかとおそるおそる尋ねた。田辺はにじんだ涙を手でぬぐった。
「いつも君津さんのこと話してるじゃないか。蹲踞(剣道で、試合に入る前の、つま先立ちで腰を下ろす姿勢)の姿勢がいいとか、負けても言い訳しないのが立派だとか、高校から特待生のお呼びがかかってるとか」
怒りの解けない低い声だった。そうかもしれない。いじけたような田辺をなじるのにいちいち君津さんを引き合いに出し、田辺とは無関係なのに君津さんを見習えとさえ言った気がする。うるさそうに聞いていないような振りをして、田辺は全部聞いていたのだし心の中で苦笑していたのかもしれない。口に出してからかったりしなかったのは、同病相憐れむといったような心持ちか、あるいは武士の情けか、いずれにしてもわたしの態度とはえらく違った。
「……ごめん」
わたしはむすっと呟いた。田辺もむすっと答える。
「いいよ。言われなくても知ってるよ。デブなんか相手にされないって」
それはわたしにしても同じことだ。どんなに一生懸命稽古しても、君津さんの目に留まることはない。彼が好むのは、剣道ではなくお茶とかお華とかをやるような女の子だ。彼が好きなのは三年生
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読解マラソン集 10番 田辺がある女の子に のつづき
の誰々だと、妹の気持ちも知らずに能天気な兄が教えてくれていた。クラス委員をしているそのひとは知的で落ち着いた雰囲気を持っていて、実際にはピアノとバレエを習っているそうだけれど、たしかにお茶やお華も似合いそうだった。あんなひとと比べたら、わたしなど棒を振り回すただのガキ大将だ。君津さんに近寄っていくにもチャンバラで切り結ぶ以外に方法がない。
すると、なんだかいまさらながらに自分の立場がよくわかった気がした。それまで、わたしは何でもしゃにむに我を通せば思うようにならないことなどないと思っていた。たしかに君津さんには届かないが、少なくとも自分は田辺よりは優秀な人間であり田辺よりは世界の中心に近い場所にいて、彼を保護してやるのは余裕からくる慈悲心だと思っていた。でも気づいてみれば、田辺もわたしも大した違いはなかった。好きなひとに好きだと堂々といえるだけのものを己に備えておらず、駄目だとわかっていてもなお告白するだけの勇気などもない。
「それに、ぼく、もうすぐ転校するし」
わたしはゆっくりと首を回して彼を見た。
「どこに?」
東京だとつまらなそうに彼は言う。
「そうか」
わたしはなんとなく道の端にしゃがみ込んだ。目の前を川が流れている。水量は少なく、乾いた土手には手を切りそうな薄の葉が揺れている。そんなものを眺めながらしばらく黙っていた。田辺と別れることがそれほど淋しかったというわけではない。少しばかり考えることがあったのだ。
(松村栄子「001にやさしいゆりかご」)
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読解マラソン集 11番 一九六〇年十二月二十三日。 re3
一九六〇年十二月二十三日。
ニューヨークに着いて、きょうで五日目だ。そして私のアメリカ滞在もやっと一と月近くになる。D君とは十九日に別れたが、クリスマスがすんだらまた一緒にセントルイスへ出掛ける約束をした。こんどは母君がクリスマス・プレゼントに買ってくれた五十九年型のシヴォレーだからガスの危険はないという。「本当は君たちもクリスマスによべるとよかったんだが」D君が困惑したようなハニかんだような顔で言い出すのに、私たちはあわてて、そのこころざしは感謝するが、こちらにも予定があるからと辞退した。D君の家に泊めてもらったことは貴重な体験になったし、一家の温かいもてなしは心から有難かったが、何といっても気骨は折れた。「ショウ」だの「ミチュ」だのと呼ばれることは、慣れれば何でもないことだろうし、はやく慣れてしまうべきかもしれないが、一方ではそんなことになってしまっては大変だという気もする。何が大変なのかは自分でもよくわからないが、とにかく困ることは困る。
アメリカが理解しにくい国だというのも、一つはこんなことが原因なのかもしれない。つまり、われわれはこの国に同化されてしまうか、離れて外側に立つかどちらかで、その中間にいることが許されない。私にしても、もしもう二十歳も若ければ「ショウ」と呼ばれても平気だろうし、英語ももっと早くおぼえられるかもしれない。しかし、そうなるともう私は日本人ではいられなくなるはずである。アメリカを愛するにしろ、憎むにしろ、アメリカの枠の中でしか、ものが考えられなくなる。だが、また私のように女房づれで、こうやってブラブラしている者にとっては、アメリカはひどくとっつきにくい。街を歩いていても、どこを眺めていいのか眼の焦点の合わせようがない。二度目のニューヨークでは、さすがにこの前のときのようにブロードウェイをそれと知らずに歩くことはなくなったが、依然としてどこを向いて何を見るべきか見当がつかない。こんどニューヨークで私は、ミュージック・ホールのライン・ダンスを見た。近代美術館へ行った。『マイ・フェア・レイディー』を見た。グリニッチ・ヴィレッジの酒場や詩人が即興詩みたいなものをやっている地下の喫茶店へ行った。五番街のサックス百貨店やダンヒルの店で買いものをした。けれども、これはみんな東京にいてもできることばかりだ。近代美術館へ行ったとき、ピカ
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ソやマチスやアンリ・ルッソーやの絵ハガキでさんざん眺めてきた有名な絵ばかりどっさり並んでいるのを見た。しかし見終わって外へ出たとき、街の様子は入る前とちっとも変わって見えなかった。ちょうど京橋のブリヂストン美術館を出てきたときと同じだ。中で一枚でもニューヨークの街の絵を見つけていたら、たぶんこんなことはないはずだ。いやニューヨークの絵でなくとも、アメリカを描いた何か、アメリカを現している何かを見つけたら、こういう変にサッパリした気持ちではいられないだろう。いま私が近代美術館で憶えていることといったら、なかのカフェテリアで食った鮭の燻製と、絵や彫刻をまえにして女房が私の写真をとったことぐらいだ。鮭はナッシュヴィルでは食べられないニューヨークの味がしたし、美術館の中での記念撮影は日本にいては絶対に不可能なことだからだ。(じつは美術館へカメラをさげて行ったのは偶然のことだ。当然それは入口のクロークであずけさせられるものと思ったから、そのむねを申し入れると、係りの婆さんは妙な顔をして「なぜ持って入らないのか」と言う。こういう無造作な寛大さはアメリカ特有のものではないだろうか。そのかわり中で絵を見るより写真ばかりとっている人が多かったのも、いかにもアメリカ的だった)。
(安岡章太郎「アメリカ感情旅行」)
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読解マラソン集 12番 要するに、ニューヨークは re3
要するに、ニューヨークは何もない街らしい。だから、その点、東京によく似ているといえる。実際、商店の飾り窓のかざりつけだの、道路から直接二階へ上る狭い階段の入り口だの、そんな何でもない街のたたずまいの中に、ときどき「おや」と思うほど東京にそっくりの情景が眼につく。そう思って眺めると、東京がニューヨークを真似しているのか、ニューヨークが東京を取り入れたのか、一瞬どっちがどっちだかわからなくなるようだ。私の前を、ゴムの半長靴をはいた女が一人、前かがみの姿勢で歩いて行く。踏み荒らされた舗道は毀れてデコボコだし、おまけに一週間まえに降った雪が凍りついたり溶けかかったりして、よほど気をつけないと滑ってころぶか、氷まじりのヌカルミにぞっぷり足のクルブシまでつかってしまう。道の片側に高い板塀がつづき、中ではコンクリート建築の作業をやっている。間断なしに響く重苦しい金属音。道路をうめつくしてやっと動いているタクシーや乗用車。……
見るものは何もない(その気になれば芝居でも、美術品でも、世界の一級品がふんだんにあるにもかかわらず)、ぼんやり休んでもいられない、そのくせ黙って空気を吸っているだけでも金がへって行くようなニューヨークの街は、およそ観光客には不向きのようだが、住んでみたら案外暮らし好いかもしれないと思わせるところもある。近代美術館がそうだったように、ここには伝統や権威や際立った性格的なものは何もないかわり、外来者が眼に見えぬ圧迫感を加えられることもなさそうだ。ナッシュヴィルのようにホテルのロビーでまわり中から眺められることもないし、どんな恰好をして歩いていても平気だ。黒人の男が白人の女とつれだっているのを見掛けたが、これはナッシュヴィルでは夢みたいなことだ。……朝、コーヒー・ショップで食事をしていると、眼にクマどりのある顔色の悪い女の子がドーナッツを半分だけ惜しそうに食べ、あとの半分を紙ナフキンに包んで、木綿のワンピース一枚の姿で雪と氷の戸外へ、ゆっくりと出て行った。彼女の痩せた肩先には、無残で優美な都会の無関心さが肩掛けのようにかかっている。
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アベイ・ホテルの地下室にはストックホルムの海賊料理のレストランがある。その他、ちょっと足をはこべばヨーロッパの各国から集まった各国の料理店がそれぞれ軒を並べている。しかし前を通っても別段、どの店へ入ろうという気もしない。アメリカへ来て「戦前並み」のフランス料理を食うというのが馬鹿馬鹿しいからではなく、興味がまったくわかないからだ。それなら日本料理屋はどうかというと、最初から私はこれに最も反発を感じた。話に聞くだけでもイヤなことだと思っていた。しかし一度でも誘われて入ってみると、ここには麻薬のような吸引力がある。先月末、アメリカに着いて三日目だったが、M紙の特派員Y氏につれられて行った店で、ミソ汁を一と口すすった瞬間、私は嘘もかくしもなく、全身から一時にシコリが脱けて行くのを感じた。まるで毛穴が全部ひらいて、そこから自由な空気がいっぺんに流通しはじめるみたいだった。それに給仕人に母国語で注文を発し、母国語でこたえられるのは何としても避けがたい魅力だ。汽車や劇場の中などで同国人に出会うと、本当のところ顔をそむけたくなる気持ちがある。それが食い物屋では逆の作用をあらわしてしまうのは、どういうわけだろう。ドルが円で呼ばれ、51 streetが五十一丁目と言いなおされるようなことを、どうしてうれしがるのかわからない。けれども腹が空いてくると、脚が自然に日本料理店の方へ向いてしいまうのである。
(安岡章太郎「アメリカ感情旅行」)
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問題
re-03-4 問題1
問1 読解マラソン集9番「地球環境問題複合体の」を読んで次の問題に答えましょう。
次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。
■人間は、自分たちより遠い動物種の絶滅にあまり関心を向けない。
1 ○ 2 ×
解答1
re-03-4 問題2
問2 読解マラソン集9番「地球環境問題複合体の」を読んで次の問題に答えましょう。
次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。
■「貴重な種であり、絶滅寸前だ」と理屈を持っているほうが、論争に勝つ。
1 ○ 2 ×
解答2
re-03-4 問題3
問3 読解マラソン集10番「田辺がある女の子に」を読んで次の問題に答えましょう。
次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。
■「わたし」は、田辺が自分に会いに来る理由を誤解していた。
1 ○ 2 ×
解答3
re-03-4 問題4
問4 読解マラソン集10番「田辺がある女の子に」を読んで次の問題に答えましょう。
次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。
■「わたし」は、こと恋愛に関して田辺が自分と同じ立場にいると気が付いていなかった。
1 ○ 2 ×
解答4
re-03-4 問題5
問5 読解マラソン集11番「一九六〇年十二月二十三日。」を読んで次の問題に答えましょう。
次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。
■アメリカという国は、外国人の立場から見なくては理解しにくい。
1 ○ 2 ×
解答5
re-03-4 問題6
問6 読解マラソン集11番「一九六〇年十二月二十三日。」を読んで次の問題に答えましょう。
次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。
■筆者は近代美術館でアメリカ特有の寛大さに触れ、サッパリとした気持ちになった。
1 ○ 2 ×
解答6
re-03-4 問題7
問7 読解マラソン集12番「要するに、ニューヨークは」を読んで次の問題に答えましょう。
次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。
■ニューヨークの個人に対する無関心さは、外来者にはかえってやりやすい。
1 ○ 2 ×
解答7
re-03-4 問題8
問8 読解マラソン集12番「要するに、ニューヨークは」を読んで次の問題に答えましょう。
次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。
■汽車や劇場など公共の場で同国人に出会えると、とても安心できる。
解答8