a 読解マラソン集 1番 母の死後、半年ほどすると ra3
 母の死後、半年ほどすると、姉に縁談えんだんが起こった。姉も好意を持っていた人で、話はすぐにきまり、挙式は一周忌いっしゅうきがすんでから、ということになった。
 自分の姉でしかなかった姉を、ぼくはあらたまった気持ちで、見なおすのであった。兄となるべき人も、家へ遊びに来るふうになって、三度に一度は、ぼくを加えた三人で、郊外こうがいへ散歩に行ったり、映画をみに出かけることもあった。その人と二人で居る時は、ぼくはその人に好意を持ったが、姉が加わると、心の底にきっと沸いわ てくる、悲しさに似た感情を、ぼくはどうにも出来ずに居た。
 嫁入りよめい 道具が、日増しにそろって行った。
 姉が一時に大人びて映り、まぶしく見えることもあった。母の死が別離べつりの日の悲しみや、父と共々この家に取り残されるさびしさに変わって、激しく胸を打たれる日もあった。
 ある日曜日の午後であったと思う、ぼくは姉と親せきへ行った。その帰りみちに、姉が何気ない風にいった。
「節ちゃん、あたしが居なくなっても、さびしくない?」
「――」
 ぼくはだまっていた。
「お父様だって、お困りになるわね」
 しばらく間を置いて、姉は思い切ったように、言葉をつづけた。
「あたし、節ちゃんに相談があるの。――鵠沼くげぬまの、かつらおばさま、ね、知ってるでしょう?」
「知ってるよ」
 突然とつぜんのことで、姉が何をいおうとするのか、ぼくには分からなかった。かつらおばさまというのは、死んだ母の遠縁とおえんに当たる、母より三つ四つ若い、美しい人であった。前にもいったが、母が逗子ずし療養りょうようしているころ、つき切りに看病をしてくれた人だ。結婚けっこんして二年ほどで、夫に死に別れた、ということはそのころから聞いていた。
かつらさんに、――あたしの代わりに、家へ来ていただいたらと思ったの。お父様に話したら、節雄せつおがよければ、っておっしゃるのよ」
 ドキンとした。みんな、自分をかわいがってくれる人は行ってし
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まって、お体裁に、代わりの人を置いてゆこうとしている。――そんな気もした。
「ぼく、いやだ」
 そういえば、かつらさんはこのごろ、二三度家へ遊びに来ている。自分には何もいわず、みんなでそんな事を進行させていたに違いちが ない、――そんな風にも想像した。
「このこと、あまり突然とつぜんだから、あなたにはのみ込めこ ないかも知れないけど、あたしがおよめに行ってしまったら、お父様だって随分ずいぶんお困りになるし……」
「お父様は勝手に旅行してればいいさ」
 ぼくはすげなくいい切った。姉はさびしそうに、そのまま黙っだま た。

永井ながい龍男たつお胡桃くるみ割り」)
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a 読解マラソン集 2番 日本人の文化は、共感の文化であると ra3
 日本人の文化は、共感の文化であるといわれる。共感は、発声されたことばを必要としない。目を見合えば、相手の心の動き、感情がわかり、「目は口ほどにものを言う」。日本人の目は視覚器官であるばかりか、人間の感情を表現すべき重要な言語器官でもあるから、「目くばり」には常に留意する必要があり、めったやたらに他人に対し視線を向けてはならない。電車の中で腰掛けこしか ている人々がいっせいに眠っねむ ているのは、まさに世界の奇観きかんであり、日本に来たことのあるパリのお嬢さん じょう  は、「本当にびっくりした。」と語っていたが、これは、単に日ごろの疲労ひろうや栄養不足からくる習性とばかりは言い切れまい。目と目を合わせてはならぬという、いわば意識下の意識が、座席にこしを下ろしたとたんに作動し、条件反射的に人々を眠らねむ せてしまうのだ。
 日本人は、したがって、「対話」によって自他の相違そうい点と共通性を確認することを好まず、またその必要もなく、外国語は常に不得手である。かれは、独り「文字」を読み、独り写真を撮りと 、独り映画を、独りテレビを見たとしても、内心で日本人を共感し合うことができる。したがってかれは、日本国内、日本人集団のうちにあって初めて人間としての価値をもちうる。そして、いったんこれから離れはな たが最後、赤ん坊あか ぼう同然となり、あたかもとらおおかみのいる森の中に独り置かれたときのように、周囲の「外人」に言い知れぬ恐怖きょうふ感を抱かいだ ざるをえないことになる。
 つまり日本人にとっては、ことばがなくても通じ合う者だけが、とどのつまりは人間なのであり、それぞれ相手の目の中から、一瞬いっしゅんのうちに自分に対する好意・敵意あるいは無関心を読み取る。まさに、「目は心の窓」であり、集団を形づくっているのは、このような情緒じょうちょ反応である。それ以外のもの、例えば互いたが の意思を確認し合うための言語などは、本来的な必要性をもっていない。仲間うちとわかれば親しげにおしゃべりが始まり、仲間でないとわかれば形式的なことばが交わされるか無言かのどちらかがあるにすぎない。仲間うちであろうとなかろうと、人間関係にとってだいじなのは「見合い」の情緒じょうちょ反応であり、「話し合い」のことばは、あってもなくてもいいもの、余計なもの、あるいはしらじらしいも
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のとしか受け取らない。
 言語により形づくられる欧米おうべいの思想は、一人一人がはっきりした声で自己を表現するところから生み出されたものである。日本人の場合、内心ではそれぞれ違っちが た考えを抱いいだ てはいるのだが、それは決して声にならず、結果として情緒じょうちょ的な一体化が生み出される。したがって、個人的には不平・不満がいっぱいありながら、国単位・地方単位・企業きぎょう単位・部課単位で統一的な人格が構成されるために、本来個人的であるべき欧米おうべいの諸思想は、結局、「借り着」でしかない。菅原道真すがわらのみちざねの唱えた和魂漢才わこんかんさいが、幕末・明治以来、和魂洋才わこんようさいに形を変えたとはいえ、実質は、九世紀以来、どれだけ変化したといえるであろうか。日本人は、コミュニケーションの手段としての言語を本当の意味ではもっていない。
 イギリスでは今なお、例えばロンドン塔の前とう まえなどで、小さな個人演説会が開かれている。人々は、弁士の話に熱心に聞き入り、議論し合う。傍らかたわ には、サンドイッチやコーヒーを売る屋台も店を出している。この情報化時代にそんな牧歌的なミニ−コミが何になる。年寄りの暇つぶしひま   にすぎないではないか、と受け取るむきが多いかもしれない。しかし、その神経はおよそ正常とはいいがたい。
 マス−コミの時代、情報化社会の時代であればこそ、このような個人レベルでの日常的議論が必要なのだ。マス−コミの独占どくせん的な世界操作をチェックし、無意識的にせよマス−コミが犯す過ちを防ぐために、また、自らが情報のうずに巻き込まま こ れて、風に舞うま 木の葉のごとく右往左往するはめに陥らおちい ないために、ほかにどんな方法があるというのか。議論すなわちことばによる闘争とうそうを通して、私たちは、初めて自分と他人との相違そういと共通性を明確に認識し、そこから相互そうご依存いぞんの共同生活の論理を発見していくことができる。そして、個々人すべてがこうして自らを客観化しえたとき、初めてマス−コミは自らのものとなり、いたずらに過剰かじょうな情報に振り回さふ まわ れることなく、これを、自分なりに整理しうる強靭きょうじんな精神態度、主体的な知性が存立可能となるのだ。
(木村尚三郎しょうざぶろうの文章)
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a 読解マラソン集 3番 イギリス人は、なぜお茶に砂糖を ra3
 イギリス人は、なぜお茶に砂糖を入れるという、とんでもないことを考えたのでしょうか。
 はじめの理由は、こうだったはずです。まだシェイクスピアが生きていた十七世紀のはじめごろであれば、砂糖も茶も薬屋で扱わあつか れる貴重な「薬品」でありました。したがって、病気でもないのにそんなものを用いるのは、貴族やジェントルマンといった高貴な身分のあかしのためか、大金持ちの貿易商人などが、みえをはってのことでしかありませんでした。つまり、茶や砂糖は、「ステイタス・シンボル」だったのです。
 とくに、このころからだんだん豊かになってきた商人たちは、自分たちの財力を誇るほこ ために、ぜいたくをほしいままにしましたから、その上の社会層にあたる貴族やジェントルマンたちは、それ以上にぜいたくな生活をしてみせなければ、体面を保つことができなかったのです。このような派手な消費生活の競争は、邸宅ていたく建て替えた か やファッションの面ではなはだしかったのですが、十七世紀のはじめに、ジェイムズ一世が身分によって消費生活を規制する法律を全廃ぜんぱいしてしまうと、ますます競争が激しくなりました。
 しかもこの時代には、アントウェルペンなどの国際的な市場から、アジアやアメリカ、アフリカなどの珍しいめずら  商品が輸入されはじめましたから、貴族やジェントルマン、豊かな商人たちは、競ってこうした「舶来はくらい品」を使っていたのです。外国からきたもの、とくにアジアやアメリカからきたものは、高価だっただけに、何でも「ステイタス・シンボル」になりやすかったのです。タバコでさえ、はじめは上流階級のしるしとして利用されたくらいです。なかでも、茶や砂糖はその典型でした。
 ですから、紅茶に砂糖を入れれば二重の効果が期待できるわけで、これはもう文句なしの「ステイタス・シンボル」になったはずなのです。じっさい、十七世紀のイギリスの料理では、ありとあらゆる種類の香料こうりょうをふりかけるのが大流行となりましたが、これも、香料こうりょうが同じ重さの銀と同じくらいの値段だといわれたからこそ、つまり「ステイタス・シンボル」であったからこそ、なのです。つまり、紅茶に砂糖を入れたのは、いまの日本でも、味がよくなるとはとうてい思えないのに、上等の日本酒に金箔きんぱくを入れて飲む人がいたりするのに、多少似ているのかもしれません。
 先にもふれたように、イギリスでは、お茶を飲む習慣は、どこよ
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りも王室からはじまりました。十七世紀中ごろのイギリスでは、オリヴァー・クロムウェルをリーダーとするピューリタンとよばれた人びとが革命を起こし、政権を握りにぎ ました(ピューリタン革命)。その革命を逃れのが てフランスに亡命していた前国王の息子チャールズが、一六六〇年に帰国して国王チャールズ二世となりました(王政復古)。ところが、かれの妻となったキャサリンといえば、ポルトガル王室の出身で、インドのボンベイという島を、持参金としてイギリスにもたらしたことで知られています。しかも、お茶を飲む習慣も、彼女かのじょがイギリス王室にもちこんだものといわれています。アジアと関係が深かったポルトガルでは、すでに王室でお茶を飲む習慣があったといわれ、キャサリンはイギリスでも同じことをはじめたわけです。
 だから、イギリスでは、お茶を飲むことは、王室で行なわれている「上品な」習慣ということになり、とくに貴族やジェントルマン階級の女性たちに、もてはやされることになったのです。当時の貴族は、連日のようにパーティーをくり返していましたが、二次会になると男女が別々になるのがふつうで、男性たちが深酒を重ねて酔いつぶれるよ     のに対して、女性たちは、お茶を飲みながらゴシップに花を咲かせるさ   のが通例だったといわれています。
 いずれにせよ、ティー・パーティーは「上品な」ものということになりましたから、東インド会社も抜け目ぬ めなく、毎年、新茶を王室に献上けんじょうし、「王室御用達ごようたつ」の茶、王妃おうひも貴族の夫人たちも飲んでいるお茶、としてひろく宣伝に利用したといわれています。
 けっきょく、茶と砂糖という二つのステイタス・シンボルを重ねることで、砂糖入り紅茶は「非の打ち所のない」ステイタス・シンボルになったのです。

(川北みのる「砂糖の世界史」)
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a 読解マラソン集 4番 私ども彫刻に志すものが ra3
 私ども彫刻ちょうこくに志すものが、人の顔を見て先ず心をひかれるのは、皮膚ひふ毛の色とか、目鼻だち口もと等のこまかいところよりも、もっと根本的な彫刻ちょうこく的の美しさにあります。すなわち一つのかたまりりとしての美しさ、凸凹おうとつ、面、線等がつくる美しさであります。
 人の顔は、たとえば巧みたく を極めた、不思議な技法でつくられた建築です。目鼻や口はこの建築の細部の装飾そうしょくのようなものでしょう。この建築の構造の不思議なこと、容易に人のうかがい知るを許さぬ処です。この秘密を開く事そこに私どもの苦しみも喜びも一にかかっているのであります。
 先頃さきごろ八月の初旬しょじゅん、信州に彫刻ちょうこくの講習会がありました。どういう方法でどんな風にやったらよいものかと、最初に相談を受けました時、私は人の顔について研究する事をすすめました。生人のモデルと造台と粘土ねんどを用意して置く事、そして一人のモデルに研究者は八人位を限りとし、各自モデルについて見るところを粘土ねんどを以ってつくって見る、粘土ねんどをひねってはモデルを見る、こういった方法で勉強を続けて行ったら、その間にだんだん彫刻ちょうこくの会得も出来て行くでしょうと答えて置きました。
 人の顔ならだれしも平生見馴れみな ている処ですから、取りつきにくい事もないでしょう。しかし実際にこうしてやり出して見たら、平生見慣れている人間の顔が実はどんなにむつかしいものかという事に気がつくでしょう。それは平生ぼんやりものを見ているからです。で、こうしてだんだんものを見る修行が積まれてくると、見馴れみな ている人間の顔にも、実に微妙びみょうにして複雑極まるいろいろの仕組みのある事がわかって来ましょう。して見れば、毎日同じ顔の人間の顔を見てくらすという、一見つまらなさそうな仕事も決して無意義ではありますまい、となおいい添えそ て置きました。
 考えて見ると私は人の顔を見る事が余程好きのようです。以前、私は長らく苦しい境遇きょうぐうに置かれていました。ほとんど慰めなぐさ のない生活でした。その中にあって、唯一ゆいいつ慰めなぐさ は人の顔を見る事でした。電車の中で向かい側にいる人々の顔を見ているとすべてを忘れ
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る事が出来ました。電車賃のない時は、麹町こうじまちの勤め先から本郷の自宅まで、空腹と疲労ひろうのからだをひきずって歩いて帰る事さえしばしばありました。その折りさえ途上とじょうに出会う沢山たくさんの人々の顔が見られるので、どんなに苦痛をやわらげられたでしょう。
 本を読むよりも、人の顔を見る方がどんなによいか知れない、とよくそのころ思ったものです。もっとも本を読むひまも多くは持たなかったけれど、本を読むよりも私は人の顔から、どんなに多くの学問をしましたろう。
 相者は人の顔を見て、その人の過去現在未来、その他いろいろの事をいいあてますが、全く人の顔にはその人の事は何でもありありと書いてあるものです。ただこれを読む事が大変むずかしいのです。
 友人中川一政氏がかつていった事に、芸術家は作品を作るが、一方においておのずからその顔を作ってゆくものであるとありましたが、まことに然りと思います。芸術家でなくてもだれも人の生活はその顔をつくることにあるともいえます。
 人間が一生の苦心でつくられたその顔は、その人と共にどこへ行くのですか。私は友人知人の死面をいくつか石膏せっこうにとったことがあります。死面はぬけがらです。その人の顔はその人の死と共に何処かへいってしまうのです。思うと全く神秘です。
 言葉はうそをいう事ができましょうが、顔は人を偽るいつわ 事ができません。話を言葉だけで聞く人は真相を誤る事がありますが、顔から聞く時は先ず誤る事がありません。
 電話というものがあります。便利なものだとは思います。が、私はどうも電話を好みません。それはなぜかと考えて見るに、相手の顔が見えないという事に大部分その原因があるようです。ほんの通り一遍いっぺんの用談だけは済まされますが、少しこみ入った話になると電話では充分じゅうぶん通じません。こう感じる人は恐らくおそ  私ばかりではなかろうと思います。で、いかに私どもは平生顔によって人と話しているかという事がわかります。顔がものをいい、顔がものを聞く、この働きは全く不思議です。

石井いしい鶴三つるぞう『顔』)
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