a 読解マラソン集 5番 本当にしかしこの三人組は nu3
 本当にしかしこの三人組はそれからも間断かんだんなくいろんなことをやってくれた。近所の養鶏ようけい所の病気や体の弱ったにわとりだけを入れておく囲いをあけ、二十数羽のにわとりを道路へそっくり逃げ出さに だ せてしまった時はわたしが仕事で出張しゅっちょう中で、つま健二郎けんじろう君の母親が必死になってにわとり回収かいしゅうして歩いたらしい。
 この時は養鶏ようけい所の入り口の囲いを修理しゅうりしているさなかだったので、まあこれは仕方がありませんよ、といかにも人のいい老経営けいえい者が言ってくれたので、それ以上の騒動そうどうにはならなかったという話だった。
 イタズラは三人のうちのだれ首謀しゅぼう者ということでもなく、三人集まるとごくごく自然にそういう面白い「仕事」を発見してしまうようであった。
 そうして彼らかれ がまきおこしてくれた次の一件いっけんはサツマイモ騒動そうどうというものであった。(中略ちゅうりゃく
 仕事をすませて帰ってくるともう夕方近くになっていた。わたしつまはその日職場しょくば保母ほぼ研修けんしゅう会があるとかで、夕食はわたしがつくる約束になっていた。私鉄してつ駅の近くのマーケットで肉と野菜を買い、ビールが切れているのを思い出してかんビールも半ダースほど買った。そうして急いで家に帰ってくると、どうしたわけなのか家の門の前にさつま芋   いもが山のように積まれていたのだ。そのいもはいずれも土まみれでまさにそっくり全部いましがた掘りおこしほ    てきたばかりです、という状態じょうたいであった。
「はて、これはどうしたのだろう?」と首をかしげているうちに、例の三人組が裏庭うらにわからどんどん飛び出してきた。みるとまたもや三人揃っそろ どろだらけになっている。
「あのね、これね、今日みんなで取ってきたんだ」
 とがくわたしの前ですこしそりかえり、自慢じまんげに言った。
「三人で力をあわせたんだ」
と、健二郎けんじろう君がすっかりとはしたの回らないキンキン声で言った。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 


「これを……どこから?」
 そう言ってから、わたしの頭の中によくない予想がはげしくするどく迫っせま てきた。そう思ったのと同時にクルリとふり返ると、わたしの予想がまさしく大命中である、ということがわかった。
 すなわちわが家の前のいも畑が見事に掘り返さほ かえ れているのである。
「うひゃ」とわたしはうめき、その前でどろだらけの三人組はますます得意そうにそりかえった。
「ああ、おまえたち……」
 と、わたしは言った。
 それからが大変であった。調べてみると掘り返さほ かえ れたのは三うねそっくりで、それだけでもかなりの分量である。
 のぼる君がわけを話しに家に帰り、健二郎けんじろう君の母親がまたわたしの家にやってきた。「ああ、こんなに……」と健二郎けんじろうの母親は前かけを両手で握りしめにぎ   いまにも泣きだしてしまいそうな顔をした。足の早い夕暮ゆうぐれがあたりの薄闇うすやみを急速に深めていた。
「どうしましょう……」
 と、健二郎けんじろうの母親はひくい声で言い、わたしの顔を見つめながらいまにも本当に泣きだしそうにぎゅっとくちびるを引きしめていた。
「なんとかしましょう。大丈夫だいじょうぶですよ」
 と、わたしは言った。しかしそうはいってもあまり自信はなかった。あやまって先方の農家に引きとってもらうか、あるいはこちらで掘りおこしほ    た分を買うかそのどちらかしか方法はないような気がした。具合の悪いことに、そのいも畑の主は、このへんでも有名なケチで頑固がんこ者といううわさだった。そうして畑のなかに子供こどもたちがたびたび入って荒すあら 、と言って何度かわたしの家などに文句もんくを言いにきていたのでもある。


椎名しいなまことがく物語」)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 読解マラソン集 6番 私はそのまま nu3
 わたしはそのまま健二郎けんじろう君の母親と一緒いっしょ犯人はんにんの三人組を連れて農家の主人のところに詫びわ にいくことにした。健二郎けんじろう君の母親はいったん家に戻っもど てエプロンをはずし、子供こどもたちのジャンパーを持ち、自分は薄いうす オレンジのカーディガンを羽織っはお て出てきた。心配でかたをすこしすぼめ、二人の息子の手をひいた若いわか 母親のオレンジ色の背中せなかが外灯の明りのなかでさびしかった。そしてそのときふいにわたしにはその小さな背中せなかがまったくもって場違いばちが ながらもおそろしいほどなまめかしく見えてしまったのでもある。
 その畑の主は、仕事のあとの早い風呂ふろに入ったばかりでひたいほおのあたりを気分よくほてらせていた。手拭いてぬぐ でごま塩の頭をごしごしとかきながら、
「そりゃあなあ……」
 とのどおくでかすれるような太くてひくい声で言った。「そりゃあなああんた、作物というものはこしらえているものにしかわからねえものですからね……」と、その老人はなんだか判じはん もののようなことをゆっくりした口調で言った。
「本当に申しわけありませんでした……」
 と健二郎けんじろう君の母親は相手が言い切らないうちに深々と頭を下げ、それから嗚咽おえつするように頭を下げたままくっくっとかたのあたりをふるわせていた。
 それを見ながらわたしはすこしいらだってきていた。いくら大変なイタズラだといっても、なにも自分たちの息子がその畑を二度と使えなくしてしまうようなとてつもない大打撃だげき与えあた てしまったわけではないのだ。その気になるなら相手の言うでそっくりこちらがいもを買い取ってしまえばそれはそれでとりあえず話は済むす ことではないか、何もそこまで、決定的に卑屈ひくつになり、ひれ伏す  ふ こともないじゃあないですか、と、その時わたしはよっぽど大きな声でそんなことを言ってしまおうかと思ったのである。
「まあしかし……」
 と、農家の主は太くてひくいしわがれた声を出した。「まあしかしね、これでまあそちらさんのほうでもすこしはわかってくれるん
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

ならいいんですよ……」と、そのごま塩頭は言った。そして結局掘りだしほ   いもの半分を先方が引き取り、残りのいもを、わたしたちが買い取る、ということで話はまとまった。
 空腹くうふくなのと寒いのと、それからどうも自分たちのしたことがあまりいいことでもなかったようだということがよくわかってきたのか、帰りの道は珍しくめずら  三人とも神妙しんみょう黙りだま こみがちであった。
 健二郎けんじろう君の家の前にきたとき、わたしは思い切って「このいもは全部うちで買いますからそちらは結構けっこうですよ。ただしあれだけの量はちょっと食べきれませんのでおいもの方は半分ぐらいは食べてくれませんか」と言った。
「そんな……」
 と、健二郎けんじろう君の母親はむすめのようにを丸くして言った。
「いやいいんです」
「でも、そんなことはできません。やっぱりこれは……」
「いや本当にいいんです。とにかく今度のことはこちらの気の済むす ようにさせて下さい。それに今日はもう遅いおそ から……子供こどもたちもおなかがへってますし……」わたしは必死になってわたし提案ていあん押し通しお とお た。母子家庭の、おそらくきっともう何年も続いているのだろうそのつましい生活に対してすこしでも力になれれば、という気負いがわたしの中にあった。


椎名しいなまことがく物語」)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 読解マラソン集 7番 夜中、仕事をしていたら、 nu3
 夜中、仕事をしていたら、背後はいごから空を切る音がした。右耳をかすめて、小さなかげが部屋の中を羽音をたててまわった。一瞬いっしゅん驚いおどろ た。はちに見えた。シャーッと乾いかわ た音をたてて一周し、手元のつくえの角に下りてとまった。
 せみである。
 東京の真ん中に近い、西麻布にしあざぶの小さなアパートに、しかも夜中の三時を過ぎす て入って来た。
 わたしの部屋にはまどがひとつしかない。そのまどわたしは仕事をする。夏場は暑いので、夜風が吹くふ 時分にまどを開けっ放しにして座るすわ まどのすぐ側に少し大振りおおぶ かしの木が伸びの ている。たぶんせみはこのかしの木で昼間過ごしす  ていたのだろう。
 小さな虫は時々やってくる。しかしせみは初めてである。
 せみはじっと動かないでいる。うるし塗りぬ のように黒いつやのある頭部と、こぶのように盛り上がっも あ  どう部が、よろいのようで勇ましい。羽は見事な曲線でふち取られ、すき通った羽まくに何本もの黒い細い線が、地図でよく見るかわ支流しりゅうのように流れている。なんと精巧せいこうにできているのか。
 小さいころ何度もせみ捕りと に行っていたのに、その時はこんなことに気付かなかった。
 今年の夏は、ほとんど外国に出かけていて、弟の命日に気付いたのはタヒチの島で、しかも夜だった。供養くように何も送ることができず、帰れないとの電話も入れられなかった。ひどく情けなかっなさ    た。
 わたしの弟は十六さいの時に海で遭難そうなんして死んだ。わたし二十歳はたちの夏だった。弟が死んでからしばらくして、わたしの町で、弟は自殺だった、といううわさが広がった。弟の性格せいかくを知っていたわたしは、世間はばかな話をするものだと気にもとめなかった。
 ところがある夜、わたしはお手伝いの小夜から、弟に関して思ってもみなかったことを聞いた。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

 それは弟が、小夜と二人で春先から何度も近くの川へたるいかだを運んで、川下りの練習をしていた、という話だった。
 わたしは弟の意外な面を耳にしてとまどった。弟はどちらかというとおくびょうな性格せいかくであった。幼いおさな ころ、二人で道を歩いていて放し飼いはな が の犬にでくわすと、そっと後ろからわたしの上着を引っ張るひ ぱ ようなところがあった。
 小夜の話と自殺のうわさ話が気になって、その夜、わたしは弟のことをいろいろと考えてみた。わたしは弟のことを他人よりよく知っていると勝手に思い込んおも こ でいた。だが、それは兄としてのわたし思い過ごしおも す  で、弟の性格せいかくや、考えていたことは、本当はまるでわかっていなかったのではないか……。
 わたしが最後に弟に会ったのは、かれ遭難そうなんした年の正月で、大学の野球部を退部たいぶしたわたしに、父は大学をやめてすぐに家業を手伝うか、将来しょうらい役立つ勉強をしろと命じた。それは文学部から他の学部に転部しろということだった。わたしはそうしたくないと返答した。つかみ合いに近いもめ事になった。父に逆らうさか  ことなど我が家わ やでは考えられないことだった。わたしは飛び出すように家を出て、東京へ向かった。しばらくして、弟が家を継ぐつ という話し合いがついたと知った。

伊集院いじゅういん静「夜半のせみ」)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 読解マラソン集 8番 初七日の終わった夜、 nu3
 初七日の終わった夜、わたしはふとんを抜け出しぬ だ 、母屋を出て離れはな にある弟の部屋に行った。電灯のひもをさがしていると高校生特有の、運動部の選手独特どくとくあせのしみた匂いにお 漂っただよ た。
 あかりをつけると、そこには受験勉強の最中だった弟の時間が停止したまま浮かび上がっう  あ  ていた。わたしは弟のつくえてのひら触れふ た。ひんやりとした木目の感触かんしょくから、つい十数日前まで、ここで笑ったり、うたを歌ったり、悩んなや だりしていただろうわかいゴツゴツした弟の気持ちのようなものが感じられた。
 部屋を見回した。かつてわたしも使っていた本棚ほんだながあった。『たるにのって二万キロ』『コンチキ号漂流ひょうりゅう記』『冒険ぼうけん×××』、そんな本が並んなら でいた。小夜の話は本当であった。
 してはならないと思ったが、わたしは弟の引き出しを開けてみた。大学ノートが一さつあった。それは弟が高校に入学してからの日誌にっしで、毎日ではないが日々のこと、サッカーの練習、小遣いこづか 出納すいとうも記してある雑記ざっき帳のようなものだった。真面目な弟の性格せいかくがよくあらわれていた。
 二月のある日、そのページだけが文字がていねいに書いてあった。その日は弟の誕生たんじょう日である。わたしが父と争って出ていった翌月よくげつだった。
 要約すると、――兄が父と争って家にもどらないことになった。母に相談し父に命じられて、自分はこの家を継ぐつ ことにした。医者になる。父は病院をたてると言った。だが自分はシュバイツァーのような医者になりたい。アフリカに行きたい。しかし親孝行おやこうこうが終わるまでがんばって、それからアフリカに行き冒険ぼうけん家になりたい。その時自分は四十さいだろうか、五十さいだろうか……。それでも自分はそれを実現じつげんするために、体を鍛えきた ておくのだ。わたしは兄にずっとついてきた。兄が好きだ……――
 弟はその冬、北海道大学の医学部志望しぼう担任たんにん提出ていしゅつしたという。
 わたしは自分の身勝手さ、いいかげんさを思った。済まないす   と思っ
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

た。長男であるわたしのわがままが、弟を泣かせ、孤独こどくにしていた。
 あの夏の午後、川向こうの屋敷やしき町にわたしは弟と二人でせみ捕りと に行った。わたし達の町と違っちが てそこはへいの上にまで大きな木々が茂りしげ せみ捕りと 放題にいる。たちまち弟の持つかごはせみ一杯いっぱいになった。
 帰ろうとした時、屋敷やしき町の子供こども達に囲まれた。せみを置いて行けといわれた。四、五人の相手は身体も大きかった。弟は背後はいごわたしの上着を握りしめにぎ   ていた。わたしはだまっていた。すると背中せなかで急に弟が大声で泣き出した。子供こども達は笑った。そして弟の持っていたかごからせみをわしづかみにして、何ひきかを道に投げつけた……。
 家に帰ってから、わたしは弟をなじった。二度とおまえをどこにも連れて行かない、と言った。そういわれても弟はわたしのそばを離れはな ないで、しゃくりあげながらわたしを見ていた。そんな弟によけいはらが立ったわたしは、弟をなぐりつけた。弟はあやまりながらわたしを見つめていた。
 ふとした時に、あの夏の日の弟の目を思い出し、日誌にっしの文字が浮かぶう  。あの少年達に立ち向かうこともしなかったひきょうな自分を思う。あやまることのできない自分が生きている。
 せみかべにじっとしている。まどを開けたまま、わたしは電灯を消した。どこか他人とは思えぬ一ひきと、自分を情けないなさ   と思っている一人が暗闇くらやみの中にいる。
 もう秋がそこまで来ている。


伊集院いじゅういん静「夜半のせみ」)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534