a 読解マラソン集 5番 個人主義的な功利主義傾向に nnzu3
 個人主義的な功利主義傾向けいこうにもとづいて「自分探し」がおこなわれるとき、「他者」がいかなる位置を占めるし  かを考えてみよう。各人が各人の「自分」を探し求めるとき、社会的空間はすべての「自分」実現を保証するようには構成されていないから、「自分」の獲得かくとくをめぐって必然的に客観的競争状態(受験競争など)が生じ、結果として社会関係が解体するということもたしかに重要である。しかし、それと並んでアイデンティティを問題に据えるす  観点から重要なのは、獲得かくとくされ実現されようとしている「自分」にとって、他者はその実現を承認するだけの道具的存在とみなされているのではないかという点である。本来的に人間は社会的動物であり、その社会性とは「他者」との相互そうご的認知・承認関係に他ならないとすれば、その関係は、錯綜さくそうする「自分探し」と表裏するかたちで互いにたが  道具主義的な「他者」探しとなっているのではないかということである。とすれば、「自分」がついに探し当てられたとして、その「自分」とはどのようなもので、どこにいるのであろうか。道具的存在でない「他者」といかにして出会うのであろうか。「他者」を道具的存在とすることに勝利して「生き残った」「自分」は、やはりそのようにして生き残った他の「自分」たちとどのような関係に入るのだろうか。そこでも、相手からの承認を求める道具主義的な関係――承認の争奪そうだつ関係――に入るのではないだろうか。そしてその絶えざる運動のなかで人格的存在としての「他者」が失われるとき、「自分」もまた非功利主義的な人格を喪失そうしつしていくのではあるまいか。かくして、排他はいた的な道具主義的「自分探し」は、その「自分」と非道具的・人格的に関係することのできる「他者」の喪失そうしつ過程であり、同時に人格としての「自分」を喪失そうしつする過程なのではないか。ひっくるめて言えば、人間同士の非道具的な人格的関係を喪失そうしつする過程なのではないかということである。
 では、なぜこうした帰結が生じるのか。それはやはり、そのような「自分探し」が原理的に近代社会のものだからである。つまりそれは、人を「自分探し」に追いやる社会的状況じょうきょうを作り出している主要な社会的原理と同じロジックでおこなわれているからである。たとえば、「自分探し」において参照されている書籍しょせき群の主たる
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

執筆しっぴつ者を思い起こせばよい。心理学を代表として、多くはいわゆる「こころ」を研究対象とする学問分野のひとびとである。近代心理学や近代精神医学とは、まさに近代科学であり、したがって近代社会の一部を成しているのではあるまいか。私たちは、「自分」であることをじつは私たちに可能としない近代社会のなかで、近代的手法によって「自分」を求めているのではないか。これを皮肉といわずして何といおう。「自分探し」はいまや二重の皮肉のなかにあるわけだ。
 問いを先に進めよう。ではなぜ人は功利主義的な「自分探し」に突き進んつ すす でしまうのか。それを個人の自由と片付けたのでは、社会学的認識は生まれてこない。アイデンティティの個人主義的獲得かくとくという発想、功利主義的「自分探し」の動きがどこから生まれてくるのか。答えはじつは簡単である。先に触れふ たように、「自分」を獲得かくとくすることを阻害そがいする社会的な要因や環境かんきょうに置かれているために、人間という存在にとって不可欠の「自分」を形成することが原理的に困難だからである。個性重視という社会的な美辞麗句びじれいくと、「自分」獲得かくとくのための社会・文化的基盤きばんが欠落しているという状況じょうきょうとの矛盾むじゅん引き裂かひ さ れて、個人主義的で功利主義的な「自分探し」という手法を採用せざるを得ないからである。

 (景井充「アイデンティティの行方」による)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 読解マラソン集 6番 自身の創造性や潜在能力を nnzu3
 「自身の創造性や潜在せんざい能力を信じろ」というのはたやすい。ところがまさに、この「潜在せんざい能力イデオロギー」が、私たちの生を苦しめてもいる。格差社会のなかで、私たちはこのイデオロギーに押しつぶさお    れそうになることがある。
 ここ数年、日本では格差社会論が大きなテーマとなっている。いまや格差社会論は、時代の流行言説となったといえるだろう。しかし実際のところ、日本の経済格差が急激に広がっているのかといえば、そうともいえない。大竹文雄ふみお分析ぶんせきによると、所得格差の拡大は、一九八〇年代からの傾向けいこうであって、近年になって急激に拡大しているわけではない。また、最近の格差拡大の主な原因は、人口の高齢こうれい化によるものであって、三十代から五十代の世帯主の所得不平等度は、ほとんど変化していないという。
 (中略)
 私たちは、低所得の人々に対して、救いの手を差し伸べるさ の  べきだという。低所得の人々は、教育や職業訓練の機会を奪わうば れているのだから、さまざまな政策を通じて、希望の道を与えるあた  べきだという。あるいは私たちは、反対に、低所得の人々を道徳的に非難することがある。低所得の人々は、総じて人生に対する意欲が低く、やる気がないからダメなのだ(自業自得)と非難することがある。低所得層をめぐるこうした同情/非情の両論には、しかし、一つの共有前提があるだろう。すなわち、現代社会においては「意欲をもって潜在せんざい能力を開花させること」が「よいこと」であって、ところが低所得の状態では「希望」や「意欲」を失ってしまう、という認識だ。
 格差を批判する人も肯定こうていする人も、あるいは、格差社会の「負け組」を哀れむあわ  人もそうでない人も、論者たちは総じて、潜在せんざい能力を実現することが大切とみなしている。そしてこの潜在せんざい能力イデオロギーの観点から、勝者と敗者の格差を問題にしている。格差社会論の本質は、実体としての経済格差よりも、むしろ「潜在せんざい能力イデオロギー」を投影とうえいすることから生じているのではないか。つまり、「勝ち組」は自己実現しているからすばらしいが、「負け組」は潜在せんざい能力を開花させていないからかわいそう、というわけである。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

 けれども、こうした潜在せんざい能力イデオロギーの「投影とうえい」の仕方は、どこか間違っまちが ていないだろうか。はたして、経済的に成功した人たちは、本当に潜在せんざい能力を開花させることに成功しているのだろうか。成功者といわれている人たちの多くは、むしろ職場では自分の可能性を試すことがあまりなく、長い残業労働に苦しめられているのが実状ではないだろうか。
 また反対に、低所得の人々は、本当に潜在せんざい能力を開花させていないのだろうか。むしろ、「ナンバーワンよりオンリーワン」を目指しつつ、自分なりの潜在せんざい能力を開花させている人も多いのではないだろうか。低所得層の人々が総じて潜在せんざい能力を実現していないというのは、私たちの偏見へんけんであるだろう。にもかかわらず、多くの人々は、「低所得層ほど自己実現していない」という錯覚さっかく抱いいだ ている。そのよい例は、「ニート批判」である。
 「ニート」とは、年齢ねんれい十五さいから三十四さいで、仕事も通学も家事もしていない者を指しているが、その数は二〇〇二年以降、しだいに減少してきた。にもかかわらず、人々は、ニート批判に強い関心を示している。その理由はおそらく、人々は「潜在せんざい能力イデオロギー」の観点から、意欲のない者や自身の潜在せんざい能力を試さない者を、以前にも増してはげしく軽蔑けいべつするようになったからであろう。ニート批判は、自らの潜在せんざい能力を開花させずにストレスを抱えかか ている人たちが、自分よりももっと潜在せんざい能力を開花させていない人を非難するという、いじめの構造から生じているように思われる。

 (橋本努『自由に生きるとはどういうことか』による)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 読解マラソン集 7番 メリトクラシーを nnzu3
 メリトクラシーを社会の編成原理のひとつに置く近代社会において、不平等の生成と正当化は、学校にゆだねられた重要な役割である。教育を通じて測定される「業績(メリット)」をもとに、人びとを社会経済的地位に配置する。先進産業社会ではどこでも、教育を通じたメリトクラシーが、社会的不平等の生成と正当化に大きくかかわっている。
 ところが、教育を通じたメリトクラシーといっても、その具体的なプロセスには、社会によって大きな違いちが がある。たとえば、イギリスやフランスでは、教育の場で業績を測定する際に、論述式の試験や口述試験が重視されている。このような場合、正しい語法やアクセント、レトリックの使い方といった、主に言語表現にかかわる出身階層の文化が、業績評価のプロセスに入り込むはい こ 。出身階層の文化と試験で測られる文化とのたりが小さいのである。その結果、学校での成功のチャンスは、どのような階層文化を身に付けたか――いいかえれば、どのような家庭に生まれたのか――によって左右されることになる。
 フランスやイギリスにおいて、あるいは人種間の問題として見た場合のアメリカなどで、「文化的再生産」の議論が盛んに行なわれるのも、階層文化を媒介ばいかいとした不平等の生成が、可視的でリアリティをもつからだ。学校は、どの階層の子どもたちに対しても、公平な扱いあつか をしている。どの子どもにも、学校で成功するうえで、同じ条件が与えあた られているはずだ――そうした信念への疑義の提出。「文化」の顕在けんざい性ゆえに、これらの社会では、学校を通じた不平等の再生産が、その過程で不覚にも綻びほころ をみせてしまうのである。
 それに対し、日本の学校は、そのような綻びほころ をほとんど外に見せることなく、見事に不平等の再生産を果たしてきた。日本でも、家庭で伝達される文化資本が、学校での成功を左右していることはたしかである。文字や数字などの記号を操る能力、丹念たんねんに論理を追う能力、ものごとをとらえるうえで具体から抽象ちゅうしょうへと飛躍ひやくする能力。これらの能力の獲得かくとくにおいて、どのような家庭のどのような文化的環境かんきょうのもとで育つのかが、子どもたちの間に差異をつくりだしていることは否定しがたい。そして、こうした能力の違いちが が学校での成功と失敗を左右するであろうことも容易に想像できる。それ
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

でも、日本の場合には、学校で測られる学力は、特定の階層の文化から「中立的」であると見なされている。しかも、生得的な能力の差異をなるべく否定し、「子どもにはだれでも無限の能力、無限の可能性がある」と見る能力=平等観が広まっている。そして成育環境かんきょう違いちが と成績との関係をむすびつけて見ること自体にも、子どもに差別感を与えるあた  のではないかと慎重しんちょうな態度がとられるのである。がんばればだれでも「一〇〇点」がとれるとする努力主義信仰しんこうも根強い。日本でも「客観的」に見れば、子どもの出身家庭と成績との間に相関関係を見いだせるのだが、そうした事実自体を、教育実践じっせんの前提とはしない傾向けいこうが強いのだ。それゆえ、大衆教育社会が完成の域に達した以降は、特定の階層や集団にとって日本の教育システムが有利にはたらいているという見方それ自体が、多くの人びとにとってはあまりピンとこない現実となっている。それほどまでに教育を通じた社会の大衆化が進展したのだ。実際には学校を通じて不平等の再生産が行なわれていても、そのような事実にあえて目を向けないしくみが作動しているといえるのである。

 (苅谷かりや剛彦たけひこ『大衆教育社会のゆくえ』による。一部改変)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 読解マラソン集 8番 徳川家康自身は nnzu3
 徳川家康自身は、戦国武将の常として、漢詩文の読み書きはできなかった。しかしかれは、「漢文の力」をよく理解していた。
 家康が「漢文の力」を実感した最初の契機けいきは、一五七二年の三方ケ原の合戦であった。若き日の家康は、「孫子の兵法」に精通した武田信玄しんげんと交戦し、生涯しょうがい最大の大敗を喫しきっ た。武田家の滅亡めつぼう後、家康は武田家の遺臣を多く召し抱えめ かか 信玄しんげんの兵法や軍略を研究させた。
 (中略)
 日本史上、「漢文の力」を活用して日本人の思想改造に成功した統治者は、聖徳太子と徳川家康の二人であった。
 江戸えど時代は、王朝時代に次ぐ日本漢文の二番目の黄金時代であった。江戸えど期の漢文文化の特徴とくちょうとしては、
(一)漢文訓読の技術が、一般いっぱんに公開されたこと
(二)史上空前の、漢籍かんせきの出版ブームが起きたこと
(三)武士と百姓ひゃくしょう町人の上層部である中流実務階級が、漢文を学んだこと
(四)俳句や小説、落語、演劇などの文化にも、漢文が大きな影響えいきょう与えあた たこと
(五)漢文が「生産財としての教養」となったこと
 などがあげられる。
 室町時代まで、漢文訓読の方法、例えば訓点の打ちかたは、平安時代以来の学者の家の秘伝とされていた。訓点が一般いっぱんに公開され、われわれが見慣れている「レ点」「一二点」「送り仮名」などの訓点を施しほどこ 漢籍かんせきが広く出版されるようになったのは、江戸えど時代からであった。
 (中略)
 日本に来た朝鮮ちょうせん通信使は、日本側の文人と漢詩の応酬おうしゅうをした。これは国威こくいをかけた文の戦いでもあった。初期のころは、日本側が作る漢詩のレベルは低かった。あとになると日本側の漢詩のレベルが急速に向上したため、朝鮮ちょうせん側も一流の漢詩人を選んで日本に送るようになった。
 例えば、新井あらい白石は、幕府に仕える漢学者として、朝鮮ちょうせん通信使
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

と礼をめぐって激しい論争をかわした。朝鮮ちょうせん側は、論争は別として、白石の漢詩を高く評価した。白石のほうも、自分の漢詩集の序文を朝鮮ちょうせん通信使に書いてもらうなど、彼らかれ の文学的能力に対して深い敬意を払っはら た。政治では対立しても、文化では友好をつらぬく、という態度が、日朝双方そうほうに見られたことは、興味深い。
 戦国時代まで野蛮やばんだった武士は、江戸えど時代の漢文ブームによって、朝鮮ちょうせんや中国の士大夫階級とわたりあえる文化的教養人になった。
 日本に渡っわた てきた朝鮮ちょうせん通信使は、華夷かい思想の立場から、日本固有の文化や風俗ふうぞくを低く見る傾向けいこうがあった。そんな彼らかれ さえ、日本の出版業の盛んなこと、とくに漢籍かんせきの出版物の豊富さと値段の安さには、驚きおどろ の目を見張った。
 (中略)
 江戸えど末期には、下級武士のみならず、ヤクザの親分や農民までもが漢文を学んだ。当時の漢字文化けんのなかで、このような中流実務階級が育っていたのは、日本だけである。日本がいちはやく近代化に成功できた理由も、ここにあった。
 中国でも、医者だった孫文のような中級実務階級は存在したが、彼らかれ の力は士大夫階級より弱く、そのため中国の辛亥しんがい革命(一九一一)は日本の明治維新めいじいしんより半世紀も遅れおく た。
 もし、初代将軍・徳川家康が儒学じゅがくを幕府の官学にするという構想をもたなかったら。もし、日本に漢文訓読というユニークな文化がなかったとしたら――。
 日本の近代化は、もっと困難な道をたどっていたに違いちが ない。

 (加藤かとうとおる氏の文章に基づく)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534