a 読解マラソン集 5番 ウィリアム・ジェイムズのことばで nngi3
 ウィリアム・ジェイムズのことばで「楽しかった思い出ほどわびしいものはない。苦しかった思い出ほど楽しいものはない」というのがあります。このことばは、感情について非常にみごとな洞察どうさつを示しています。
 ぼくたちは楽しかったときの情景は思い出すことができます。しかし、それはすでに対象化されてしまっていて、そのとき自分の中に起きる感情は、過去に自分が楽しかったという事実をかえりみている現在の自分の感じでしかないんです。過去が楽しかっただけに、思い出している現在のわびしさは色濃くいろこ なるのは当然です。
 苦しかった思い出も同じですね。軍隊生活をした人間が、あのころはひどい目にあった、くつの裏までなめさせられたよ、アハハハハなんて、しあわせそうに喋っしゃべ ているけれども、それは思い出だから楽しいのであって、軍隊生活が楽しかったなどと思われたら大変な迷惑めいわくなんです。
 一見、再生できるかに思われる感情は、はじの感じです。しかし、考えてみると、こういうことがわかります。あなたの家に昔出入りしていた老人がいて、「りっぱな女性におなりになった。でも、あんたは私のひざをよく濡らしぬ  たもんですよ」と言われても、あなたは別に恥ずかしいは    とは感じないでしょう。けれども、高校時代などに言わなくてもいいことを言ってしまったことを思い出したりすると、ひとりでいても、赤面したり、貧乏びんぼうゆすりをしたりしてしまう。それでは過去の感情を再生産することができたのかといえば、違うちが んです。その当時自分の心を傷つけた事実が、現在の自分をも傷つけているということであって、再生ではありません。思い出すたびに、現在の自我が恥じ入っは い ているんです。
 そういう点で、感情がそのままよみがえったと思われる場合というのは、現在の自我がそのころの自我に連続している場合にかぎります。
 こういう言い方は、しかし、ぼくたち自身にはね返ってきます。ぼくたちが戦地の思い出とか軍隊生活を軽い気持で笑えるというのは、一体なぜなのだろうか。軍隊時代に犯した自分の恥ずは べき行為こういをなぜニヤニヤしながら思い出せるのかといえば、それは当時の体験が現在の自我とつながってないからだということになります。
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 いわば仮装行列のつもりで悪いことをしてきた。こういうふうに、仮装をした自分ならば悪いこともできるという自我構造が、しいて言えば、日本人の精神構造の特徴とくちょうではないでしょうか。ほかの民族に共通性があるかないかは別として、私たちが注目しなければならない特徴とくちょうだと思うのです。
 それはおそらく「場所がら教育」のせいではないかとも思います。「今は酒の席だから」とか「おばあちゃまがいらっしゃる前で何ですか……」とか「あのときは先生がおいでになったから申し上げませんでしたけど」というように、その場その場でふさわしい切り札を出す。そのいずれの場においてもいぬい孝であり続けようとするのは、我が強すぎる、自我に拘泥こうでいしているというので、身分社会では悪だったのです。それが、戦後四十年たった日本の家庭教育はまだそういう段階なんじゃないでしょうか。
 それが自我の一貫いっかん性を育てない。むしろ、一貫いっかん性を欠いてその場その場にふさわしい切り札を使い分けられる子が、「しつけのいいお子さんだ」と言われてきたということが問題なのです。
 でっち上げ事件(フレームアップ)は世界中にありますが、その容疑者が取調べ官の言うなりに答えてしまう率は、日本人が非常に多いそうです。これは日本の拷問ごうもんの技術が進んでいるからとか、白人のように心の中にキリストを持っていないからだという言い方は間違いまちが だと思います。そうではなくて、いろいろな人間関係の中で自分自身であり続けることが認められてきた社会と、自分自身であり続けることが非難される社会、その自我構造の違いちが だと思うんです。

いぬい孝『信頼しんらいの構造』より)
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a 読解マラソン集 6番 論文「忠誠と反逆」(一九六〇年二月)の nngi3
 論文「忠誠と反逆」(一九六〇年二月)のころから丸山眞男まさおは、理想の姿としての「主体」よりも、あるがままの個人としての「自我」に視線を定めて、議論を展開するようになってゆく。そして、その自我は内部に亀裂きれつ抱えかか 、不安定に揺れ動いゆ うご ている。安東仁兵衛との対談「梅本克己かつみの思い出」(一九七九年)で丸山は、みずからが立脚りっきゃくする「西欧せいおう的な個人主義」が、実は深い困難にぶつかることを告白するのである。

 伝統的個人主義をいわゆる原子的な個人主義として見れば、全ての人間に備わっている理性というようなものによってくくられてしまう。ですから、啓蒙けいもうの個人主義をつきつめていくと類的人間になるんですよ。そういう普遍ふへん的理性によってくくられない個、ギリギリの、世界に同じ人間は二人といないという個性の自由は、むしろ、啓蒙けいもう的個人主義に抵抗ていこうしたロマン主義が依拠いきょした「個」です。この西欧せいおう的な個人主義に内在する矛盾むじゅんの問題はぼく自身も解決がつかない。

(中略)
 いまや、政治体制の側も、それに対する批判者の側も、みずからの正当性を支える確固とした「原理」をもたず、それぞれに曖昧あいまいな一体感のうちにただよっている。それは、人々の自我が、(内なる相剋そうこくの意識)を失い、陰影いんえいを欠く平板なものになった結果でもあろう。丸山は、明治後期からの日本のこの状況じょうきょうに対して、むしろ内部の分裂ぶんれつこそが、自我に輪郭りんかくと活動力を与えあた ていた、武士たちの精神を想起する。そうした歴史の描きえが なおしを通じて、現代人が直面している難問を、新たに照らしだした。
 さらに、現代の情報洪水こうずいの中で、目に見えない画一化の作用にさらされながら、みずからの「個」としての独自性を保ち、しかも欲望に押し流さお なが れずに、適切な「政治的判断」を働かせることは、いかにすれば可能になるのだろうか。そこで丸山がぎりぎりの期待を
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かけるのは、「他者感覚」にほかならない。一九六一年の論文「現代における人間と政治」では、チャールズ・チャップリンの映画『独裁者』(一九四〇年)にある、飛行機にのり雲海の中をゆく主人公が、機体が上下さかさまになっているのに気づかない場面をとりあげて、実は人間がこうした「逆さの世界」に住んでいるのがいまや常態であり、現代とは「人間と社会との関係そのものが根本的に倒錯とうさくしている時代」にほかならないと述べている。つまり、国家やさまざまな組織の「内側」に属し、その内部だけに浸透しんとうするイデオロギーや「常識」によって、世界を見る目がはじめから一定の「イメージ」の眼鏡をかぶせられているのである。
 では、そのイメージによる境界線をこえ、「外側」の住人の声にも耳を傾けかたむ られるようになるには、どうすればいいのか。だれもが自分の属する世界の外に出て、人類全体の共通空間で語り合えるという理想論は、すでに「逆さの世界」に生きていることを前提とする丸山のとるところではない。人間に残されている道は、あくまでも「内側」にとどまっていることを自覚しながら、外との「境界」の上に立ちつづけることである。――「境界に住むことの意味は、内側の住人と「実感」をわかち合いながら、しかも不断に「外」との交通を保ち、内側のイメージの自己累積るいせきによる固定化をたえず積極的につきくずすことにある」。
 こうして、「他者をあくまで他者としながら、しかも他者をその他在において理解する」ことを、丸山は呼びかける。現にある自分から理想の「主体」へと飛翔ひしょうするのではなく、「内側」に身をおきながら、少しでも「外」へと視線をのばし、コミュニケーションを続けていくこと。この現実の自我による、「他者」にむけた水平次元での営みが、重要なかぎになる。

苅部かりべ直『丸山眞男まさお−リベラリストの肖像しょうぞう』による)
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a 読解マラソン集 7番 こう考えると、人類にとって nngi3
 こう考えると、人類にとって平等は実現できないばかりか、あるいは不必要な価値ではないかという疑いも芽生えてくる。もちろん極端きょくたんな貧困者を生まないために、一定の所得再配分は不可欠だし、不正な蓄財ちくざいを防止すべきこともいうまでもない。だがそのうえで必要なのは、じつは格差のない社会ではなく、人が不平等を痛感しない社会であり、自己蔑視べっしや他人への嫉妬しっと苛まさいな れない社会ではないだろうか。そしてもしそうだとすれば、われわれは二つの予想によって、未来に多少の希望を抱くいだ ことができるかもしれない。
 第一の予想は、二十一世紀の富裕ふゆう層が従来にまして不安定であり、はかない偶然ぐうぜんに支配されるということである。先端せんたんを切る知識産業は、内容が投機であれ企画きかくや発明であれ、人知では計れない運命に左右される。固定資産と巨大きょだい組織に基礎きそをおいて、成功すれば果実を維持いじしやすい工業社会の富裕ふゆう層とは違うちが のである。
 ベンチャーは文字通りの冒険ぼうけんであり、情報の創造は芸術制作と同じように成功の持続を保証しない。しかも工業の大企業きぎょうのなかでも今後は能力主義が強まるとすれば、今日の勝者が明日の敗者になる危険は明らかに高まる。このことは将来の富裕ふゆう層を謙虚けんきょにしないまでも、少なくとも、彼らかれ を見る世間の嫉妬しっとの目をやわらげることを予想させるだろう。
 第二の予想は、現在のサービス産業がさらに多様化し、とくに消費者に触れるふ  対人職業が隆盛りゅうせいを見せるだろうということである。流通や娯楽ごらく医療いりょうや教育の現業部門、製造業なら商品の修理や保全を行う部門、伝統的な職人仕事と呼ばれる職業がこれにあたる。拙著せっちょ『大分裂ぶんれつの時代』に詳しくくわ  書いたが、市場の世界化、巨大きょだい化が進むほど、不安な消費者は信用を求めて身近な小市場に頼るたよ ことが考えられる。物資消費から時間消費へ移る昨今の嗜好しこう趨勢すうせいも、対人サービスの需要じゅようを増大するだろう。さらに環境かんきょう、資源保護の点から見ても、商品の修理や保全、リサイクルへの要求は強まるだろ
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うし、それに応えるには個別的なきめ細かなサービスが必要になる。
 こうした対人職業の特色は、それが顔の見える人間関係をつくり、そこで消費者の評判を感じ、他人の「認知」に励まさはげ  れて働く職業だという点である。仕事によって小共同体を組織し、情緒じょうちょ的にも帰属感を覚えやすい職業だということである。本来、人間はたんに所得によってではなく、他人の認知によって生きがいを覚える動物であった。嫉妬しっとや自己蔑視べっしの原因は、しばしば富の格差よりも、何者かとして他人に認められないことに根ざしていた。
 これに対して、二十世紀の大衆社会は万人を見知らぬ存在に変え、具体的な相互そうご認知を感じにくい社会を生んだ。隣人りんじんの見えにくい社会では、遠い派手な存在が目立つことになり、これが人の目を「富裕ふゆう層」や「特権階級」にひきつける結果を招いた。ジャーナリズムの煽情せんじょうも手伝って、嫉妬しっとの対象がたえず再生産される構造が生まれたのである。
 こう考えれば今、急がれるのは社会の「視線」の転換てんかんであり、他人の注目を受ける人間の分散であることがわかる。普通ふつうの人間が求める認知は名声ではなく、無限大の世界での認知ではない。むしろ人は自らが価値を認め、敬愛する少数の相手に認められてこそ幸福を覚える。必要なのは、それを可能にする場を確保することである。
 そしてそういう場の可能性も見え始めている現在、残るは社会の価値観の一層の転換てんかんであろう。サービス産業の中で高度情報技術だけが注目される世論を改め、多様な対人職業のイメージを高めることである。すでにそれは料理人のような職業では見られることであるから、さまざまな教育手段によってこの転換てんかんを助けることは夢ではないはずである。

山崎やまざき正和『世紀を読む』による)
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a 読解マラソン集 8番 俗に言う重箱のすみを nngi3
 ぞくに言う重箱のすみを突っつくつ   たぐいの学術論文は別にして、歴史書を書くほどの人は学者でも、ということは世界的に有名な大学の教授の地位にある研究者でも、その人たちの歴史著作を読めば、必ずしも「イフ」は禁句ではないということがわかる。
 もちろん彼らかれ でも、カエサルがブルータスらに殺されずにあと十年生きていたら、ローマはどうなっていたか、とは書かない。しかし、カエサルの暗殺以後のローマの分析ぶんせきは、「イフ」的な思考を経ないかぎり到達とうたつ不可能な分析ぶんせきになっている。ということは、書かなくても頭の中では考えていたということである。
 では、専門の学者でもなぜ、「イフ」を頭の中だけにしてももてあそぶのか。
 それは、歴史を学んだり楽しんだりする知的行為こういの意義の半ばが、「イフ」的思考にあるからである。ちなみに残りの半ばは、知識を増やすことにある。「だれが」、「いつ」、「どこで」、「何を」、「いかに」、行ったか、だけを書くならば、今や流行りのインターネットでも駆使くしして、世界中の大学や研究所からデータを集めまくれば簡単に書ける。ところが史書が簡単に書けないのは、これらに加えて「なぜ」に肉迫にくはくしなければならないからである。
 ギボンは、『ローマ帝国   ていこく衰亡すいぼう史』の最後を、東ローマ帝国   ていこくの首都コンスタンティノープルの陥落かんらくで終えた。だが、五十余日にわたった攻防こうぼう戦を日々刻々記録したあるヴェネツィアの医師が残した史料は、ギボンの死んだ後で発見されたのである。それを基にして今世紀、現在では世界的権威けんいとされているランシマン著の『コンスタンティノープルの陥落かんらく』が書かれたのだった。
 この二書を読み比べてみると、たしかにランシマンの著作のほうが、五十余日の移り変わりが明確になっている。だが、本質的にはまったく差はない。ギボンの鋭くするど 深い史観は、一級史料なしでも歴史の本質への肉迫にくはくを可能にしたのである。つまり、「なぜ」の考察に関しては、データの量はおろか質でさえも、決定要因にはならないということだ。歴史書の良否を決するのは、「なぜ」にどれほど
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肉迫にくはくできたか、につきると私は確信している。
 そして、史書の良否に加えて史書の魅力みりょくの面でも、「なぜ」は大変に重要だ。だれが、いつ、どこで、何を、いかに、まではデータに属するが、それゆえに著者から読者への一方通行にならざるをえないが、「なぜ」になってはじめて、読者も参加してくるからである。その理由は、「なぜ」のみが書く側の全知力を投入しての判断、つまり、勝負であるために、読む側も全知力を投入して、考えるという知的作業に参加することになるからだ。書物の魅力みりょくは、絶対に著者からの一方通行では生れない。読者も、感動とか知的刺激しげきを受けるとかで、「参加」するからこそ生れるのである。
 そこで、「なぜ」という著者・読者双方そうほうにとっての知的作業には、必然的に「イフ」的な思考法が必要になってくる。
 私の言いたいのは、なぜ信長は本能寺で死なねばならなかったのか、の「なぜ」ではなく、生前の信長はなぜ、これこれしかじかの政策を考え実行したのか、に肉迫にくはくする「なぜ」である。
 それには、信長の立場に立って考えることが必要だ。かれだって、本能寺で死ぬとは予想していなかったのだから。ゆえに、もしも信長があそこで死なずに十年生きていたら、と考えることではじめて、生きていたころの信長の意図に肉迫にくはくできるようになる。反対に「イフ」的思考を排除はいじょすると、話は本能寺で終ってしまい、日本史上空前の政策家信長の真意も、連続する線上で捕えるとら  ことが困難になってしまうのだ。
 われわれは大学から給料をもらっている身でもないし、それゆえに学術論文を書く義務もない。彼らかれ が禁句にしているからといって、われわれまでが恐縮きょうしゅくして従う必要はないのである。歴史を、著者・読者双方そうほうともが生きる現代に活かすのにも、「イフ」的思考は有効である。

(塩野七生「『イフ』的思考のすすめ」)
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