日本人は、一般的には、神社仏閣、能や茶道など、古きよき日本の伝統が好きで、それを誇りに思っているのだが、その一方で、実生活を見ると伝統破壊者とも言える側面をもっている。
まず、屈指の横文字カタカナ氾濫社会であることを見、若者の言葉を聞けば、国語における伝統の軽視は一目瞭然である。古典としての言語の純粋性に対する感度が、フランスなどに比べてきわめて低い。実際、現在の日本語は横文字カタカナを抜きには成り立たなくなっている。年々大袈裟になるクリスマスのイルミネーションが終わると、正月には、依然として大勢の人が神社仏閣に初詣に行く。クリスマスまではまだよいとして、最近は、ハロウィーンも定着しつつあるようだ。
その一方で、立春から大寒までの二十四節気にそった日本の伝統的季節行事は、テレビのニュースの枕詞である。
また、食べ物に強いこだわりをもつ日本人は、旬にこだわるが、いまは養殖、輸入、ハウス栽培などで、ほとんど一年中手に入る。イチゴやスイカも一年中あるといってよい。二十四時間営業のコンビニが繁茂するように、消費者が望むことなら、利便性の向上のためならなんでもやる。アメリカに勝るとも劣らない商業マインドである。こうした高度消費者中心資本主義が、日本の一面としてすでに社会に根を下ろしている。
さらに最近では、シュンとなると日本のものではなく、ボジョレー・ヌーボーに始まり、イタリア産ポルチーニやトリュフなどといった外国産のものでシュンを感じて楽しむといった本末転倒なことを国民挙げて行なっている。
コメは日本人にとってただの主食ではない。依然として文化的、象徴的意味合いをもっている。だからこそ、コメの輸入を解禁しないのであり、国民もコメの自由化を要求しないのである。そのコメは「洗う」ものではなく「とぐ」ものである。にもかかわらず無洗米といってのけて何も感じない。こういうところにも日本における伝統のあり方があらわれているだろう。
もっと面白いのは正月である。新年を新暦で祝うのは、アジア諸
|