a 読解マラソン集 5番 しかし、記事の生命は nnga3
 しかし、記事の生命は真実である。それに可能なかぎり接近するためには、膨大ぼうだいな取材が必要だ。取材は、もちろん相手の都合が最優先する。こちらの時間に合わせてくれるなどと思わないほうがいい。相手は、なにも記者に語る義務はない。もし、向こうから情報をもってやって来たら、利用されるのではないかと、逆に用心しなければいけない。そういう世界なのだ。昼間は多忙たぼうな政治家や財界人を追っかけるには、夜討ち朝駆けあさが となる。労多くして得るところ少ないことは、分かっている。だが、この積み重ねなくして信頼しんらいできる紙面はできない。
(中略)
 後輩こうはい記者が当時の実力者金丸信の担当を命じられた。だが、新米記者とあってなかなか相手にしてくれない。あるとき大雪になった。金丸は富士五湖の山荘さんそうにいるという。かれ吹雪ふぶきのなかを山荘さんそう到着とうちゃくした。金丸は感激した。おい、いつでも来ていいぞ。以来、かれにとって金丸は重要な情報源となった。「だから政治記者はいつまでも政治家べったり、おなみだ頂戴ちょうだいなのだ」という批判は甘んじあま  て受ける。だが、重要な政治情報が一部の政治家に独占どくせんされている時代にあっては、こうした取材も必要だった。
 政治部記者の取材の対象は、どうしても政治家・高級官僚かんりょう・財界首脳といった国の上層階層になる。その情報はすべて政治部デスクに集約され、繰り返しく かえ 比較ひかく検討され、補足取材され、真実へ向けてしだいに一本化され、紙面化されていく。これまで、一般いっぱんの人びとの視点がそこに入りこむ余裕よゆうはなかった。こういう取材と紙面化の仕組みをここでは「政治部中核ちゅうかく型構造」と呼ぶことにしょう。
 この政治部中核ちゅうかく型構造が問題にされなければならないのは、政治家密着型・夜討ち朝駆けあさが 型の身を粉にして働く記者の生活スタイルではない。問われているのは第一に、この構造のもとで得られた情報が国民の知る権利にこたえる形で読者に還元かんげんされたか、である。第二に、なるほどこの構造は上層部の極秘情報の取得に大きな成果をあげただろうが、半面、それが結果的に日本の政治の古い体質を助長したのではなかったか、ということである。
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 こうした反省が出てきたのは八〇年代後半から九〇年代にかけてだった。有権者の政治離ればな が加速していった時期である。政治への失望は、政治部構造が生み出す政治部中核ちゅうかく型の紙面への失望でもあった。有権者が政治を見限るということは、その一端いったんを担ってきた政治記事をも見限ることだった。しかし、私たち政治部記者の多くは当時それに気づかなかった。政治離ればな は政治が悪いから起きる、と思いこんでいたふしがある。その間に政治離ればな と新聞離ればな は密接にからみあい並行して進んでいたのである。読者の新聞離ればな を加速させた主因の一つは政治部中核ちゅうかく型の紙面づくりにあった、ということは認めざるを得ない。
 九八年の朝日新聞読者調査によると、「党利や派閥はばつに関する記事は読みたくない」という回答が多く、「いちばん読みたくない記事は自民党の派閥はばつに関するもの」というのもあった。半面、「客観的事実だけではなく、背後にどういうことがあったか、それがどういう影響えいきょうを国民にあたえるか、きちんと書いてほしい」「政治が決める数字が生活にどう影響えいきょうするか、シミュレーションをまじえて解説してもらいたい」といった希望が多かった。質の高い政治記事なら必ず読者は戻っもど てくることを確信させる。

(中馬清福『新聞は生き残れるか』による)
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a 読解マラソン集 6番 冷戦は「仮想の戦争」などとも nnga3
 冷戦は「仮想の戦争」などとも呼ばれました。実際に砲弾ほうだんが飛びかうことはなかったものの、米ソ両ちょう大国がいつも敵意を向け合い、一触即発いっしょくそくはつの状態が続く、ある種の世界大戦だったという理解です。四〇年あまり続いた冷戦が終わったとき、世界には「これで暗く危険な時代が終わった」という安堵あんど感が広がりました。たしかに、米ソかく戦争の脅威きょういが遠のき、圧政に苦しんでいた共産主義体制下の人々が解放されたのですから、そういう安堵あんど感にも無理からぬものがあります。これで世界平和が約束されたかのような、楽観的な雰囲気ふんいきさえ世界には漂いただよ ました。資本主義と自由主義が勝利し、もはや争いの種はなくなったのだから、これで「歴史は終わった」とする、いまにして思えば性急にすぎる予言まで飛び出したものです。
 言うまでもなく、世界の状況じょうきょうはそのように好転したりはしませんでした。むしろ、冷戦までの世界にはあまり見られなかった種類の戦争が見られるようになったのです。見られるようになっただけでなく、それが多発するようになったとさえ言えるかもしれません。
 その一つは、国家対国家の戦いではなく、他者との差異を意識する人間集団の間で、その差異を誇示こじすることが目的であるかのように戦い合う武力紛争ふんそうです。典型的には、一九九二年から九五年まで続いた、ボスニア=ヘルツェゴヴィナ紛争ふんそうを考えればよいでしょう。それまでユーゴスラヴィア人として共存していたモスレム(ムスリム)人、セルビア人、クロアチア人等の人間集団が、凄惨せいさんな殺し合いをくり広げた戦いです。
 分かりやすく、「民族紛争ふんそう」と呼ぶこともできますが、一九四五年からの四六年間は、ユーゴスラヴィア国民として上手に共存していたのですから、全く異質な民族同士が争うのとはやや違いちが ます。また、民族ごとに自前の国家を持とうとした、というのとも少し違いちが ます。各共和国が「独立」した後も、それぞれの中で「民族」混在は続いているからです。むしろ、何かに憑かれつ  たように他者との差異、つまり自分たちのアイデンティティを強調し、相手にそれを押しつけるお    ために戦った、という面が多分にあるように思われる
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のです。
 このように、自己のアイデンティティを主張することが目的であるような政治関係を、イギリスの平和研究者であるメアリー・カルドーは「アイデンティティ・ポリティックス」と呼び、それが引き金となって起きる武力紛争ふんそうを「新しい戦争」と名づけました。それに対する「古い戦争」とは何か。それも説明が簡単ではないのですが、しいてひとくちで言うなら、国益をめぐって国家と国家の間でおこなわれる戦い、ということになるでしょうか。
 国益というものが一応は具体的であるのに対し、アイデンティティというものは多分に抽象ちゅうしょう的です。自分のアイデンティティと他者のアイデンティティとの違いちが を強調したところで、それが必ずしも自分の利益に結びつくわけでもない。そのために殺し合いまでしなければならないことだとは考えにくいのです。それまで一つの国民として共存できていたのなら、なおさらそうでしょう。にもかかわらず、それが起きやすくなりました。旧ユーゴと似たような紛争ふんそうが、冷戦終焉しゅうえん後、それぞれに違いちが はありますが、ソマリアでも、ルワンダでも、コンゴでも起きたのです。

(最上敏樹としき『いま平和とは』による)
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a 読解マラソン集 7番 明治の新しい日本が nnga3
 明治の新しい日本が、西洋文明の移入を合言葉とし、その移植によって成立したことは、だれしも知るところですが、この輸入された西洋の「文明」のなかには、少なくもはじめのうちは「文学」は含まふく れていませんでした。
 明治初年の代表的思想家である福沢ふくさわ諭吉ゆきちは、坪内つぼうちが「当世書生気質」を発表したとき、「文学士ともあらう者が小説などといふ卑しいいや  ことに従事するとはる(しからん。」と憤っいきどお たと伝えられています。
 この挿話そうわ真偽しんぎの点で多少うたがわしいようですが、少なくもこういううわさが不自然でなく流布したという事実は、象徴しょうちょう的な意味を持っています。
 それはまず諭吉ゆきちらの代弁した「文明」の性格を、次にそのような時代の常識に敢えてあ  逆った若い反抗はんこうの意味を、さらにその作品の内容よりむしろ「文学士」の肩書かたがきで世間を騒がせさわ  の仕事の実質を、巧またく ずして現わしています。
 諭吉ゆきちはともにすぐれた啓蒙けいもう家であり、西欧せいおう文化の紹介しょうかい者であったのですが、彼等かれらは二十さい年齢ねんれいの差とともに、異った価値の秩序ちつじょに生きていたのです。「西学の東漸とうぜんするや、初その物を伝へてその心を伝へず。学は則格物窮理きゅうり、術は則方技兵法、世を挙げて西人の機智きちの民たるを知りて、その徳義の民たるを知らず。況やいわん その風雅ふうがの民たるをや。ここ於いお てや、世の西学を奉ずるほう  者は、ただ利をれ図り、財にあらでは喜ばず。……天下の士は殆どほとん かれのプラトオが政策を学びて詩人をはんとするに至れり。」と森鴎外おうがいが「しがらみ草紙」の創刊号でいいますが、ここにと並んで「風雅ふうが」の偉大いだい啓蒙けいもう家であったかれに、明治初年の時流がどう映ったかがはっきり示されています。
 福沢ふくさわ諭吉ゆきちは西洋の武力とその根底をなす知力、あるいは西洋の社会をきずきあげた「人民の活発な気性」については、透徹とうてつした理解の持主でしたが、幾度いくどか西洋の地を踏んふ だにもかかわらず、その芸
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術にたいしてはまったく何の興味も同感も示していません。
 幕吏ばくりとして外遊し、「の国の『ダンス』を見れば捧腹ほうふく堪へた ず、」としたかれは終生その説を改めなかったので、自分の西洋さん美は、その「美術の美を見てこれ心酔しんすいするにも非ず。」といいきっています。
 こうした文学にたいする態度は、福沢ふくさわ個人の資性より、むしろ明治の初年という時代の性格であったので、艦隊かんたい脅威きょういのもとに鎖国さこくをとき、「列強」の圧力に対抗たいこうし、亡国の運命をさけるために、その文明の採用を焦眉しょうびの急とした時代の人々が「近時文明の骨髄こつずい」を「蒸気電信の発明、郵便印刷の工風……他医薬殖産しょくさん工業……政治経済論」とのみ見たのは当然のことであり、もっぱら国家に有用という立場からなされた明治初期の西洋文明移植が、後代から想像し得ぬほど、急激な革命として断行されたのと照応して、この時代を支配した啓蒙けいもう家たちの功利思想はいわば革命期の偏狭へんきょうさを持つ徹底てっていした性格のもので、そこに小説のような「無用」の存在を許す余地はなかったのです。
 したがってこの啓蒙けいもう家たちの頭脳に宿った文学不要論は、儒学じゅがくと結びついた英国風の功利主義として後の時代まで明治の政治家の思想の基調をなしたので、以後の明治小説は、硯友社けんゆうしゃも、自然主義も一貫いっかんしてこのような社会の良識にたいするさまざまな反抗はんこうの形式として発達したのです。
 このような時代の性格がもっとも露骨ろこつに現われた明治初年には、西洋の「文明」は新しい文学をおこすどころか、逆に在来の文学を枯らすか  作用しか持たなかったので、ことに戯作げさくとして江戸えど時代にはまともな文学としても扱わあつか れなかった小説は、わずかに社会の片隅かたすみ余喘よぜんを保つだけでした。

(中村光夫の文章より)
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a 読解マラソン集 8番 さらに、人格を形成していくための nnga3
 さらに、人格を形成していくための重要な場所として、かつては技術の修得が今日よりもはるかに重い手応えを持っていました。現在も技術の修得が人間を作っていることは事実ですが、しかし、これもまた、残念ながらその重さの点で戦線を縮小しつつあるといわなければなりません。たとえば、昔は大工さんになるためには一生の努力を必要とするといわれたもので、私のうちへ時たま来てくれる大工さんは三十年のベテランですが、そういう人が、「大工というものは一生修行ですよ」と今でもいっています。しかし、その後でかれは頭をかいて、「今どきこんなこといっていると、時代からとり残されますがね」とつけたすのです。
 というのは、現代では技術そのものが現実体験ではなくて、情報化された一種の知識の組み合わせになっていて、その分だけたいへん修得しやすいかたちに変わっているからです。早い話が、板というもの一枚を取り上げても、昔の板は人間が握っにぎ て、そのを動かす自分のうでを通して体験する本当のものでありました。しかし、現在の板はほとんどが合成樹脂じゅしで、や手は必要ではなく、いわば、人間の目さえあればそれで用のすむ存在になりつつあります。一枚の板がものであることをやめて、しだいに板のイメージ、すなわち一種の情報になりつつあるわけです。
 そうなると、それを扱うあつか 個人の技術はいちじるしく単純化されて、肉体に触れるふ  体験の領域が小さくなって来ます。今日、技術の修得は一生の仕事だという人は、だんだん少なくなり、だいたい免許めんきょ証をもらえば、技術はそれで完全に習得されたことになっています。料理人や理髪りはつ師、自動車の運転手に学校教師、すべて免許めんきょ証をもらえば、かれにとって職業および技術の修得段階は終りだという意識が拡がっています。現に、それさえ持っていればまず最低限度の生活はできるわけですが、その代わり、その技術をさらに伸ばしの  て、かれ独特の技術にする楽しみもなくなりました。
(中略)
 職業のことをドイツ語ではベルーフ(Beruf)といいますが、ベルーフとは「神の呼び声」という意味です。日本語にも「天職」ということばがあるわけで、職業とは食うために勝手に人間が選ぶものではなく、最終的には運命か、あるいは神が人間をそこへ呼びこむものだ、という考えが伝統的にありました。それほど職業
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には神秘的といってよいほどの重みがおかれていたのですが、そのひとつの理由は、人間が職業訓練の中で意識的な知識以上のものを獲得かくとくする、という事実ではなかったでしょうか。ものに触れるふ  体験というものは、たんなる知識の学習とは違っちが て、人間が自分で意識できない自己の部分を豊かにします。で板を削っけず て十年、二十年を過ごすということは、かれの肉体の思いがけない部分をふとらせることもあるし、「職人気質」などという、いわくいい難い精神の部分を養うこともあります。じつは、人間の個性とはそうした無意識なものの集積として生まれるものであり、この部分こそ個人の中で真に交換こうかん不可能な要素だというべきでしょう。
 これに対して、現代の現実が情報化していくということは、いいかえれば、現実のすべてが知識化していくことであり、その内部の意識を越えこ た部分が消滅しょうめつしつつある、ということだといえるでしょう。そして、それにつれて、現実とかかわる人間もまた情報化され、肉体も気質も持たない観念的な存在に変質しつつあるわけです。ひとつの中心を持ち、有機的な統一を持った「私」としての人間が解体し、巨大きょだいで、しかし全体像の見えない、奇妙きみょうな機械の部分品になりつつあるのが現代だと見るべきでしょう。

山崎やまざき正和『混沌こんとんからの表現』による)
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