a 読解マラソン集 5番 さわやかな男として、 ni3
 さわやかな男として、わたしの頭に真っ先に浮かんう  だのは、若田わかた光一さんである。スペースシャトル・エンデバーに搭乗とうじょうし、ロボット・アームで衛星えいせいをみごと回収かいしゅうした人だ。
 若田わかたさんの何がそんなに魅力みりょくかというと、一にも二にも表情ひょうじょうだ。わたしの目にした限りかぎ では、宇宙うちゅうについて語るかれは、常につね 笑顔であった。宇宙うちゅうに関する仕事に携わったずさ  ていることそのものが、心から嬉しいうれ  ように。「自分は幸運な人間です」とかれは語っている。子どものころ、アポロの月着陸を見て以来、あこがれはあったが、米ソの人しか機会はないと思っていた、と。同じ空の仕事として、航空会社に入社、やがて新聞で宇宙うちゅう飛行士の募集ぼしゅうを知る。
 九日間の旅を終え、地球に帰り着いたとき、エンデバーの機体を右手でそっといとおしむようになでていた。その姿すがたを見てわたしは、
(この男は、人生を愛せる男だ)
と感じた。日本人初の搭乗とうじょう運用技術ぎじゅつ者となった名誉めいよや、衛星えいせい回収かいしゅうの成功ゆえではない。「幸運な人間」と自らも言っているように、それらは後からついてきた結果であって、かれとしては、ゆめに向かって生きているそのことが、喜びなのではないだろうか。あの表情ひょうじょうは、内面が満ち足りた人だけに、できるもののように思うのだ。
 そこで思い出すのは、イギリスの探検たんけん家スコットである。若田わかたさんを「成功者」とするなら、こちらはまぎれもない「失敗者」だ。南極点到達とうたつ競争に敗れ、引き返す途中とちゅう遭難そうなん、帰らぬ人となった。
 死ぬまでの間にかれは、たくさんの手紙や日記を書き残している。凍傷とうしょうむしばまれ、食料や燃料ねんりょう尽きつ ていく中で、「この遠征えんせい後悔こうかいしてはおりません」「すべて承知しょうちのうえ、覚悟かくごのうえでの冒険ぼうけんだったのです。結果は裏目うらめに出ましたが、わたしたちが文句もんくを言う筋合いすじあ ではありません」「家にいて、安楽すぎる生活を送るよりははるかに有意義ゆういぎでした」「最期も近くなりましたが、わたしたちは今までも、そしてこれからも朗らかほが  さを失わないでしょう」
 死に臨んのぞ でも、すがすがしいとさえいえる態度たいど貫いつらぬ た。それ
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は、氷雪に果てる結果になりはしても、その生き方がだれに強いられたのでもない、自分の価値かち観に基づきもと  、自分で決めたものだったからだ。だからこそ、結果もすべて引き受けることができた。「自己じこ決定、自己じこ責任せきにん」という、生きる上での大原則げんそくが、冒険ぼうけん者たちによって、もっともわかりやすく表現ひょうげんされているといえる。
 むろん、多くの人は南極へも宇宙うちゅうへも行かない。家庭と会社の行ったり来たりのうちに人生の大半を過ごすす  だろう。が、そのなかでも「自分がかくあることを人のせいにしない生き方」を、かれから学べるのではないか。

(岸本葉子「ゆめに向かって生きる喜び」)
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a 読解マラソン集 6番 日本人は働きすぎだと ni3
 日本人は働きすぎだとよくいわれます。どうやら平均へいきん的な日本人は、そもそも働くことが好きなのだ、としかいいようがなさそうです。いいかえれば、働くこと以外の楽しみを知らないのが日本人ということなのでしょうか。
 「生産せい」という言葉があります。その定義ていぎはさまざまなのですが、雇用こよう者一人あたりの付加価値かち(売上げマイナス原材料費)で生産せいをはかることにすれば、イギリスの生産せいは日本のそれよりも圧倒的あっとうてきに低いものと予想されます。また、イギリスの工場でつくった製品せいひんよりも、日本の工場でつくった製品せいひんのほうが、品質ひんしつがすぐれており、しかもムラのないことが予想されます。こうした予想はたしかに当たっています。しかし、だからといってイギリス人の生活ぶりがよくないとか、イギリス人はもっと働くべきだ、ということにはなりません。働く時間を最小限さいしょうげんにとどめておいて、働くこと以外の「生活」をエンジョイするというのも、長い歴史をへたうえで、イギリス人がたどりついたひとつの「選択せんたく」なのです。
 逆にぎゃく 、日本人のように働くことが生きがいだと考えるのも、ひとつの「選択せんたく」であることに変わりはありません。大切なことは、選択肢せんたくしがほかにいくつもありうることを、君たちがちゃんと心得ておくことなのです。働きバチになることが日本人の宿命だ、などと考えてもらっては困るこま のです。君たちのお父さんやお祖父さん じい  の「選択せんたく」にしばられる必要はまったくありません。多様な選択肢せんたくしのありうることを知ったうえで、君たちの一人一人が、自分の価値かち観にてらして自分の生活の仕方を「選択せんたく」すること、すなわち「選択せんたくの自由」をもつことが必要なのです。
 フランスや西ドイツでは、かなり長期間の夏休みをとるのがあたりまえとされています。三―四週間の夏休みをとって、家族や友人と連れだって避暑ひしょ地にでかけて、ゆっくりとすごします。もし日本でおなじような夏のすごし方をしようものなら、別荘べっそうのもち主でないかぎり、途方とほうもない大金がかかります。四人家族が三はく四日で海水浴にでかけようとすれば、二十万円ぐらいの出費を覚悟かくごしておか
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ねばなりません。電車や飛行機の運賃うんちん、高速道路の通行料、ガソリン代、リゾート・ホテルの宿泊しゅくはく費、レストランでの食費、遊興ゆうきょう施設しせつの入場料などが、しょ外国にくらべて日本では、格段かくだんに高いのです。日本でフランス人なみの夏のすごし方をしようとすれば、いくら倹約けんやくしても、締めてし  百万円ぐらいはかかるでしょう。たかが避暑ひしょのために、こんな多額たがくの出費をする人はまずいないと考えてよいでしょう。
 しかも三週間の夏休みをとれば、夏休みをとらない場合に得ていたはずの収入しゅうにゅう犠牲ぎせいにしなければなりません。このことをむずかしくいえば、それだけの「機会費用」を支払わしはら なければなりません。たとえば、日給一万円のタクシーの運転手さんが三週間も仕事を休めば、二十一万円の機会費用を支払っしはら たことになります。その分までふくめて考えると、三週間の夏休みを避暑ひしょ地ですごすのに要する費用はもっと高くなります。
 ですから、多くの日本人にとって、夏のお盆 ぼんの時期に、猛暑もうしょの中、渋滞じゅうたいする高速道路を運転していなかに帰って、親せき縁者えんじゃとの再会さいかいを楽しむのが、精一杯せいいっぱいの夏休みなのです。いなかに帰れば、宿泊しゅくはく費はタダのはずですし、四人家族が自家用車で帰省すれば、JRで帰省するよりも、費用はぐんと安上がりになります。お盆 ぼんには会社が休みになりますから、機会費用も支払わしはら なくてすみます。フランスでは、夏の二ヶ月かげつ間が、事実上のお盆 ぼんなのです。パリの街は、夏場、お盆 ぼんの東京なみに閑散とかんさん します。子どもの夏休みも、日本よりは一ヶ月かげつ以上も長いはずです。
 日本人がなぜ働きすぎるのかを説明する理由のひとつとして、余暇よかをすごすためのコストが、日本では異常いじょうに高いことをあげておかねばなりません。もうひとつの理由は、日本の学校制度せいどが子どもたちに過酷かこくな課外学習を強いることです。

佐和さわ隆光たかみつ豊かゆた さのゆくえ」)
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a 読解マラソン集 7番 ギフチョウの幼虫は、 ni3
 ギフチョウの幼虫ようちゅうは、アンアオイとよばれる非常ひじょうにかわった植物の葉を食べて育つ。早春にあらわれたギフチョウは、やがて交尾こうびし、めすはカンアオイの葉のうらに、真珠しんじゅのような光沢こうたくのあるたまごを、数個すうこから数十かためて産みつける。――中略ちゅうりゃく――
 毛虫はカンアオイの葉をむさぼり食い、六月のはじめにはサナギになる。六月いっぱい、サナギはまわりの温度とは関係なく、ひたすら休眠きゅうみんする。そして七月になると、なぜだかまったくわからないが休眠きゅうみんからさめる。
 けれど、そのころから始まる夏の暑さが、サナギからチョウへの変化をおさえる。チョウへの歩みが始まるのは、野山に涼風りょうふうのたつ十月である。
 けれど、ふたたびそこで、今度はたちまちにして訪れるおとず  秋の夜の寒さが、チョウへの歩みをにぶらせる。チョウの姿すがたができあがるのは、その年の末、十二月ごろである。
 木枯らしこが  吹くふ この寒さのなかで、やっとできあがった春の女神は、かたいサナギのからのなかでじっと冬の寒さに耐えた つづける。
 長かった冬も終わりに近づき、寒さがゆるんでくると、女神の衣はいよいよ最後の仕上げにかかる。それとともに囚われとら  の身の女神は、サナギのからをとかす液体えきたい分泌ぶんぴつしはじめる。こうしてまもなくサナギのからは割れわ 、いよいよ女神が、自由の姿すがたをあらわす。
 温度に対する反応はんのうにもとづいて組まれたこのカレンダーが、ギフチョウの一年をきめていく。そしてギフチョウは、毎年早春のある一定の時期に、春の女神として舞いま でるのである。
 「ほかのチョウでも、基本きほん的には同じことだ。いずれも冬の間は、じっと寒さに耐えた 眠っねむ ている。そしてじつは、この一定期間寒さを過ごすす  ということが、春を迎えるむか  ために積極的に必要なのである。秋の終わりから寒さにあわせず、ヌクヌクと暖めあたた てやった過保護かほごサナギは、ついにチョウになることなく死んでしまう。つまりチョウたちは、冬の寒さを受身的に耐えた ているのではない。彼らかれ 
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はきびしい寒さを要求しているのである。暖冬だんとうの年の春、チョウたちの姿すがたは例年よりも減るへ ことが多い。
 チョウの美しさは、その大部分を鱗粉りんぷんに負うている。鱗粉りんぷんはしかし、単にはねの表面にばらまかれた粉ではない。それはこまかな毛の変化したもので、の表面に一まいずつしっかり生えている。
 チョウは文句もんくなしに美しい。しかしほかの多くの動物と同様に、より美しいのはおすのほうである。めすは色ももようもずっと地味で、よく装飾そうしょく品に作られるあの青く光る美しいモルフォチョウも、めす褐色かっしょくでおよそ冴えさ ない色をしている。
 けれど、その美しいおすはひたすらめすの色にかれる。つまり、チョウのおすは、めすの色を目印にして、めすをみつけ、急いで飛んでいって、思いをとげるのである。
 このとき、めすのチョウのの色は、まさに目じるしなのであってそれ以上の何物でもない。ただの紙切れに色をぬって、適当てきとうな場所においてやれば、おすはおろかにもそれに飛んでくる。紙の形などは極端きょくたんにいえばどうでもよい。四角でも三角でもかまわないのだ。
 アゲハチョウはおすめすも黒と黄のしまもようをもっているが、おすはこの黒と黄のしまもようにきつけられる。黒い長方形のボール紙に、の黄色い部分をいくつか貼りは つけた「モデル」を作り、アゲハのおすめす探しさが て飛びまわっているところに出してやると、おすはほんもののめすに対するのと同じ真剣しんけんさでこの紙モデルに飛びついてくる。
 もっと驚いおどろ たことに、このしまは黒と黄でなくともよい。黒と緑のしまでも一向にかまわないのである。とはいえ、黒と青ではさすがにだめだし、黒と赤でもいけない。そして黒と黄の場合でも、特定の黄色でなければ、おすはそれをめすの目じるしだとは思わない。

(日高敏隆としたか「生きものの世界への疑問ぎもん」)
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a 読解マラソン集 8番 イヌが喜びを ni3
 イヌが喜びを表現ひょうげんするときに振るふ ことはよく知られている。イヌの喜びが大きいときには、激しくはげ  振りふ 、体をくねらせる。耳は後方に絞らしぼ れるような形で伏せふ ている。いてもたってもいられぬように跳びと はねることもある。生後半年前後の若いわか めすでは、嬉しうれ すぎて尿にょうをもらす場合もある。
 このような喜びを表すのは、たとえば、長い間、旅に出ていたご主人が帰ってきたようなときである。イヌは家族をひとつの群れむ として考えているが、むれにはひとりひとりに順位の格付けかくづ がある。当然、順位の上の人に会えたときのほうが喜びの表現ひょうげん激しくはげ  なる。人に対して喜んでいるときのイヌは、年齢ねんれい若いわか ほど人の顔を舐めな たがるものである。
 犬種によって喜びの表現ひょうげんに差があり、一般いっぱんに日本犬は洋犬ほどオーバーではない。洋犬でも小型の愛玩あいがん犬種と、シェパード、シベリアン・ハスキーなど使役犬種との比較ひかくでは、飼主かいぬし居住きょじゅう区を同じにしている愛玩あいがん犬種のほうが喜びの表現ひょうげんは大きい。
 イヌには人と共同作業をしてほめられたときも嬉しくうれ  なる習性しゅうせいがある。たとえば、ボールを投げての「持って来い」の訓練をさせると、イヌは嬉々ききとして投げたボールをくわえてきて飼主かいぬし渡すわた が、このときのボディランゲージは、「大喜び」とはやや違うちが 。「上機嫌じょうきげん」あるいは「親愛」である。ボールを渡しわた た後、「よーし、よくやった」という賞賛しょうさんの言葉で嬉しくうれ  なっている。激しくはげ  振らふ ず、ゆっくりと振っふ て、耳は後ろに伏せふ ている。ボールを主人に渡しわた た後、あし側に坐っすわ て待つ訓練までよくできているイヌは、首を伸ばしの  て主人がもう一度ボールを投げるのを待つ。ときには「わん、わん」と催促さいそくすることがある。
 また、イヌは叱らしか れた後、許しゆる 乞うこ ために「甘えあま 」のボディランゲージを見せるが、そのときのの位置は催促さいそくのときとは違っちが 
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て、下に向けている。つまり、恐縮きょうしゅく表現ひょうげんしながら、遊びに誘いさそ 、なんとか主人に機嫌きげんをなおしてもらいたいという魂胆こんたんである。
 ただし、イヌがこういう様子を見せたからといって、叱らしか れた理由を理解りかいして二度と同じことをしないかといえばそうではない。叱らしか れて懲りこ たときは、まず恐怖きょうふを覚えるものである。恐怖きょうふを覚えたときのイヌは、を完全に股間こかんまるめ込み   こ 、耳を後方に伏せふ てうずくまってしまう。まるめられた振らふ れることはない。叱らしか れても「甘えあま 」を見せるイヌには、叱らしか れた意味が分かっていないものである。
 イヌが知らないイヌに出あって、を上にあげて小刻みこきざ 振るふ ときは、相手に警戒けいかい心を持ったときである。同時に攻撃こうげきすべきかいなかの迷いまよ がある。耳は前方に向けてしっかりと立てられている。垂れた 耳のハウンド種でも、耳の付け根が前向きになるので、警戒けいかい心と攻撃こうげき的な気持ちを抱いいだ たことが判断はんだんできる。
 この場合、を高い位置で振るふ イヌほど気性きしょうが強い上位のイヌである。イヌが相手に威圧いあつ感を覚えればを下げながら振りふ 、耳は後方に向けて伏せふ ていく。
 したがって、イヌが振っふ ているから喧嘩けんかにはならないだろうと思ったら大間違いまちが である。威圧いあつされたイヌが怯えおび ながらも敵意てきいを表してきばを見せたりすると、振っふ ていたほうがいきなり攻撃こうげきをしかける場合もある。とくにテリア・グループは反応はんのうが早いので注意する必要がある。

沼田ぬまた陽一「イヌはなぜ人間になつくのか」)
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