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読解マラソン集 5番 子供の頃の私は、 ne3
子供の頃の私は、ものすごく内気で引っ込み思案、何事にも消極的で、胸の中で考えていることがおよそ行動にあらわれず、オドオド、ウジウジしていた。現在の私と知りあった友人達は、まず信じてくれないが、間違いなくかわいそうなほどおとなしい子だった。(中略)
このまま、ずっと大きくなっていくなんてあまりにつまらない。自分自身を変えてしまえば、こういう状態から抜け出せるのにと子供心に感じていた。
「こんな子じゃイヤだ!」と思い続けてはいても、一度出来上がってしまった周りの状況も、持って生まれた性格も、そうそう簡単には変えられるものではない。
相も変わらぬ内気な表皮の下に、変わりたい、変わりたいという願望が吹き出し口をみつけられないままたまりにたまっていった。
それが、思いがけず一気に爆発したのは、忘れもしない小学校三年の正月、三学期が始まって少したった朝だった。その年の正月に父を亡くし、忌引でしばらく休んでいた私はその朝、いつにも増して不安な面持ちで学校に向かった。深呼吸をしてやっと教室の戸を開けたというのに、私の席だったところに何と見知らぬ女の子が座ってる。きっと都会からの転校生なのだろう。垢抜けしたかわいい子だった。ランドセルを背負って突っ立ったまま鼻の奥がツーンと痛くなるのを感じていた。遠巻きにしたクラスの子達も、私自身でさえこれ以上は何も起こらず、やがて先生が来ておしまいになると思っていた。
「何でここに座っているの?」
「だって先生が言ったんだもの。ここの子しばらく休むからってさ」
こぼすまいと思っていた涙が、胸の中でグラグラ煮えたって、吹き上がった気がした。
「そうかい。じゃ、私は帰らせてもらうわ」
あっけにとられているクラスメートをぐるりと見回し、バタンと勢いをつけて戸を閉めると、その足で職員室に向かい、先生に
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無期限登校拒否を宣言した。先生は悪気があったわけではなかったと思う。きっと、あの子なら大丈夫だろうと考えていたのだろう。でも私はたった今、あの子であることをやめた。
ついさっき来た道を家に戻る時、ほんの少し前のちょっと背を丸めた自分とは、まるで違う自分が歩いているようで、景色まで変わってみえた。
たった一人のストは、確か一週間かそこらで学校から先生方がやってきて話し合い、納得して終了した。再び、以前と同じように登校したが、もう私自身は以前のようではなかったし、友人の私を見る目も変わった。
こんな自分じゃイヤだと幼心に思い始めてから、その思いを自分の血肉にするまでずいぶん長い年月を要したことになる。自分自身を生まれ変わらせる、自分の生き方を変革するといった、自らの核に関わることを、自らの意志で動かすというのは、結構しんどい。後が続かなければ、さらにズルッと深みにはまりかねないし、さあ変わらねばと頭から指示が来るようでは、機がまだ熟していないのかもしれない。
私がとっさにとってしまった行動は、もちろん、おっ、今が変身のチャンスだと考えてのことではない。周囲をも、自分をもびっくり仰天させた出来事は、あの時、私のもっとも自然な反応になっていたのである。
ただ困ったことに、母はその時の私の内面的変化をキャッチしそこなった。
母は、それ以来、私の表面的変化にため息をつき続けている。
「まさかこの子が……」と絶句し、もういい加減年になった娘をつかまえていまだに「こんな子じゃなかったのに」と嘆いている。
こんな子に大変身した私のフォッサマグナは、小学三年、九歳の冬にくっきり横たわっている。
(吉永みち子「九歳の冬」)
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読解マラソン集 6番 お前はどうも本好きで ne3
「お前はどうも本好きでいかん」
父親は剣道何段かのスポーツマンで、毎朝、私を雪のなかに引っぱり出しては竹刀を持たせて切り返しだの、素振りだのをやらせるのである。
私は、決して本だけが好きな弱々しい少年ではなかった。むしろ、英雄や冒険物語の主人公にあこがれ、忍術の真似をして屋根から飛びおりたり、喧嘩で額を割られたり、水泳や分列行進が好きだったりする活発な子供だったとおもう。
だが、両親はいずれにせよ、私が活字を読むことを好まなかった。彼らは私を余り物を考えず、直情で健康な、竹を割ったような男の子に仕立てあげたがっていたのだという気がする。しかし、私にとって、活字を通じて自分の空想の世界に遊ぶことは、生きるということと同じ位、本質的なことのように感じられた。
私は<のらくろ>や<冒険ダン吉>を、かなり幼い時に卒業し、小学生の上級になると、両親の本棚にある実に雑多な本を、ほとんど目を通してしまっていた。
<小島の春>だとか、<もめん随筆>だとか、<放浪記>だとかいった本は、たぶん母親の蔵書だったにちがいない。私はそんな本が面白くて仕方がなかったが、一方では、学校の仲間から借りて読む、山中峯太郎や佐藤紅緑の世界にも熱中していた。佐々木邦のユーモア小説も、私の大好きな本の一つだった。江戸川乱歩や岡本綺堂なども、学校の友人から借りて読んだ。
私はかなりの距離を、市電と徒歩で通学していた。その行き帰りに、歩きながら本を読む習慣がついてしまって、家のそばまで来ても、まだ読むのを止めるのが惜しく、もう一度、電車の駅まで歩きながら読み続けたりしたものだ。一度、私がカバンを背負ったまま、家の前から電車の停留所の方角へ本に熱中しながら逆もどりしている時、父親に出会ったことがある。
「お前、どこへ行くんだ」
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父親は、学校から帰る時刻に逆に登校でもするかのような私の様子を見て、けげんそうにたずねた。
「学校に筆箱を忘れてきたから取りに行こうと思って」
と、私は言ったが、父親はなんとなく私が行き帰りに本を読むことに夢中になっているのを感づいたようだった。
そして、私が学校から帰ってくると、私のカバンを開け、なかに借りてきた小説本や読物のたぐいがはいっていると、黙って取り上げたまま返してくれなかった。
そのことで私はひどく友人たちに義理の悪い思いをしたことがある。
私はそこで自衛のために一計を案じた。帰り道に読み続けてきた本を、家のなかに持ち込まないようにするのである。冬の日など、私は読みさしの本を新聞紙にくるんで、家の生垣のあたりに積みあげられている雪のなかに突っ込んで隠しておくことにした。
そして次の朝、それを掘り出して、雪を払い新聞紙を拡げて読み続けるのだ。
時には本のなかに雪が飛び込んで、それが凍てつき、ページがパリパリと音を立てたりすることもあった。
そんな時代を、いま想いおこしてみると、禁じられた読書のなんともいえない鮮烈なよろこびの記憶が、まざまざとよみがえってくる。現在、私は活字のなかに埋れ、そしてそれを再生産する生活のなかで、義務としての読書、必要からの読書に追われているが、すでに活字が行間から立ち上ってくるような、あの少年時代の読書のよろこびからは、はるかに遠い所にいる自分を感ぜずにはいられない。
本というものは、本来、あのようにして読むべきものではなかろうか、という気がする。
(五木寛之「地図のない旅」)
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読解マラソン集 7番 小学校の中学年の頃、 ne3
小学校の中学年の頃、僕はがき大将で毎日近所のちびっこたちを引き連れて遊び回っていた。縄張り意識が強くて、僕らは自分たちの町内をその統治下においていた、つもりだった。放課後になると、裏山に作った基地(斜面に生えた大木の枝に板切れや鉄材をくくりつけて作った掘っ建てだった。)に集まっては、攻めてくるかもしれない敵を想定して、僕らは石投げの訓練を積んでいたのだ。
はじめてあの新聞配達の少年を見たのは、その基地を建設しおわった直後の頃のことである。見張りに立っていた弟が大声で僕を呼んだのだ。
「兄貴、なんか変なのが走りよう。どがんする。」
僕は弟の指さすほうを見た。肩から新聞をぶら下げた少年(多分小学校の高学年か、中学の一年生ぐらいだと思った。)が、一軒一軒の家に新聞を放り込みながら走っているのである。新聞配達の少年の存在は知っていたのだが、こうやって意識してまじまじと見るのは初めてのことであった。彼は僕らが見守る中、背筋を伸ばしてすっと下の道を通り過ぎていってしまったのである。
翌日も彼は同じ時刻にそこを通過していった。やはり肩から吊るしたたすきに新聞を山盛り入れて、彼は一軒一軒にそれを放り込んでいくのだ。僕はその姿に何か心を動かされていたのだが、沢山の子分たちの前で彼を褒めるわけにもいかず、つい心にもない行動をとってしまうのである。
そう、僕は彼目掛けて石を投げつけたのだ。
「皆、あいつは敵たい。敵のスパイに間違いないったい。」
小さな子供たちは僕の言うことをすぐに信じて、同じように彼目掛けて石を投げつけはじめたのだ。新聞少年は投石に気がつき、立ち止まると僕らのほうを一瞥した。しかし、石を避けようともせずじっと僕らのほうを睨みつけるのだった。幾つかの石が彼の足に
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あたったが、彼は逃げようとはしなかった。
「やめ。」
それに気づいた僕はちびっこたちに石投げをやめさせた。子供たちは石を投げるのをやめ、僕の次の命令を待っていた。僕と新聞少年はそのとき初めて対峙して睨みあった。鋭い目をした強そうな男だった。僕たちが黙っているとまもなく彼は走りだすのである。
それからもときどき僕らは彼を見つけては威嚇攻撃をした。そのたびに彼は立ち止まりじっと僕らを見すえるのだった。その目は鋭くかつて見たことのない動物的なものだった。
新聞配達という行為が悪いことではなく、むしろりっぱなことであることはあの頃の僕でもちゃんと理解はしていたつもりであった。僕だけじゃなく、弟やちびっこたちもちゃんと知っていたはずだ。なのに僕が彼に石を投げたのは、多分彼の存在が気になっていたからなのだろう。新聞を少年が配達するということが一体どういうことなのか、僕はすごく興味があったのだ。
それから少しして、僕らが社宅の門のところでたむろして遊んでいると、彼が突然門の中へ走り込んできたのである。がっちりとした身体をしていて、僕より五センチは背が高かった。僕は直ぐに彼と目が合い、睨み合ってしまった。そのとき、ちびっこの一人がいつもの調子で彼に向かって石を投げつけてしまったのである。石はそれほどスピードはなかったのだが、少年の額にあたってしまった。そして少年はそのときはじめて僕らに抗議をしたのである。
「何で石ば投げるとや。俺がなんかしたとかね。」
身構えるちびっこたちを僕は慌てて制した。そして少し考えてから聞き返した。
「なんばしよっとね。」
僕は新聞のつまったたすきを指さして聞いてみた。
「新聞配達にきまっとろうが。」
「そうやなか、なんで新聞ばくばりよっとか知りたかったい。」
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読解マラソン集 7番 小学校の中学年の頃、 のつづき
僕は彼にぐいと睨みつけられて怯みそうだったが、ちびっこたちに示しがつかないのでじっと堪えていたのである。
「なんでって、お金んためにきまっとろうが。お金ば稼いで、家にいれるったい。うちはお前らんとこみたいに裕福やなかけんな。」
「ゆうふく?」
弟が横から口を出してきた。
「ああ、うちは貧乏やけん、長男の俺が働いてお金ば稼がんとならんとよ。お前らみたいに遊んでるわけにはいかんっちゃ。」
彼のその言葉は僕の胸にびんびんと響いた。自分のことを貧乏といいきる彼がなぜか自分たちとは違う大人に見えたのだ。
「わるいけどな、これからは俺の配達のじゃまばせんどいてくれんね。もし、邪魔するようだったら、こっちも生活がかかってるけんだまっちゃおかんばい。」
彼はそう言うと石を投げつけたちびっこを押しのけて新聞を配りはじめるのだった。
僕は何故かいいようのないショックで、それから数日考え込んでしまった。僕は昔から考え込むタイプだったようだ。あのとき僕は新聞配達の少年を実は心の何処かで尊敬していたのだと思う。自分を彼に投影しはじめていたのだ。
それから数日して僕は社宅の門のところで彼を待ち伏せすることになる。子分たちは引き連れず、僕ひとりであった。そして夕方、いつもの時間に彼は新聞を抱えて走り込んできたのである。
「よう。」
彼は僕を見つけると、そう声をかけてきた。
「今日はぞろぞろいないのか。子分たちは。」
僕は大きく頷いた。
「今日はちょっとさしで話があるったい。」
「なんね。」
新聞少年は眉間をぎゅっと引き締めて僕の顔をまじまじと覗き込んだ。僕は唾を呑み込んだ。
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「実はあれから真剣にかんがえたっちゃけど。俺も新聞配達やらしてくれんかとおもうてさ。」
新聞少年の顔がほころんだ。
「君がや。」
僕は真剣な顔つきで頷いた。
「だめやろか。」
新聞少年は首を振る。
「いいや、でもお前が考えているよりずっと大変なことたい。そんでも途中で投げださんで続ける自信があるっちゅうなら、話をつけてやってもよかたい。ただな、いい加減な気持ちでやるとやったら、俺がゆるさんけんね。」
僕は彼にはじめて微笑んだのである。
そしてその日の夕方、僕は彼に連れられて近くの新聞の集配所に行ったのである。初めての経験で僕はすっかり緊張していた。集配所は活気があって沢山の少年たちで溢れていた。みんなたくましく真っ直ぐの目をした連中ばかりであった。僕は彼に仕事の段取りを説明されながら暫くその場を観察していたのである。それから僕は彼に紹介されたそこのボスにお辞儀をした。ボスは笑顔のたえない人で、一言、がんばるんだよと言っただけだった。しかし、その言葉はかつてどんな大人たちが僕にかけてくれた言葉よりずっと僕を大人として扱ってくれるものだった。そして僕は次の週頭から新聞を配ることになったのである。僕が自分で決めた初めてのアルバイトであった。
しかし、結論からいえば、僕は次の週頭から新聞を配ることはなかったのである。その晩、僕は食事の席で両親にその事を、やや自慢するように言ったのだが、突然、父親に怒鳴られてしまうのだ。
「俺はお前にそんな苦労をかけさせているのか。貧しい思いをさせているのか。」
母は黙っていた。僕は褒められるだろうと思っていたので、父の
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読解マラソン集 7番 小学校の中学年の頃、 のつづき
怒鳴り声は予想外の出来事だったのだ。何時だったか勤労少年のドキュメンタリーテレビをみながら父が目頭を濡らしていたのを僕は見て知っていたから、彼のその行動はまったく理解することができなかったのである。そして余りの剣幕に僕は逆らうこともできなかった。
結局、僕の母が次の日新聞の集配所に出向き、僕の初めてのアルバイトは夢と消えることとなった。父は体面を気にしたんだ、と僕は後で考えた。新聞を背負わせて小さな子供を働かせていると、同じ社宅の人たちに何と思われるか分からなかったからだろう。
そして僕は次の日から新聞配達の少年をさけるようになるのである。
(辻仁成「新聞少年の歌」)
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読解マラソン集 8番 「飽和化市場」という ne3
「飽和化市場」という言葉がある。いろいろな商品の普及率がもう限界のところまできている消費市場をあらわす言葉だ。たいていのモノはひととおり行きわたった、という状態である。
飽和化市場の特徴は、いままでもっていた製品から新しいものに買いかえていく需要は多いが、市場全体が成長していく力はもう限界のところまできている、という点だ。
そのため、売り手側としても、いままでと同じような売り方では商品が売れない。そこで、それぞれ独自の商品を開発したり、新しい売り方を考えたり、これまでとはちがった分野へ進出したりと、あらゆる手を試みる。ここまでに紹介した販売方法の工夫だとか、競合商品にはない独自の機能やデザインの開発などといったことも、こうした市場があふれている。
たとえばモノ。すでに述べたように、ヘッドホン・ステレオ一つ取りあげても、似かよった商品がたくさんのメーカーから発売されている。たくさんの商品のなかから、きみは一つの商品を選んで購入するわけだ。そのためにカタログを取りよせたり、お店の人の話を聞いたりして情報を集め、比較した上で決める。
つまり、きみの前には、とてもたくさんのメニューがあり、そこからある一つを選択するというわけだ。
サービスという商品を購入する場合も同じだ。
外食の代表といえるファースト・フード。あるチェーン店で新しいハンバーガーが登場したと思ったら、すぐに別のチェーン店にも似たようなメニューがつけ加えられる。もちろん、「一味ちがった」商品としてだ。
ここでもきみは、さまざまなお店のさまざまなメニューのなかから一つのサービスを購入するための選択をすることになる。
新しい商品やサービスが市場にでるまでには、売り手側の「商品差別化戦略」がおこなわれている。消費者側の情報を得るための調査、その情報をすぐに利用できるように蓄積したデータベースの作成、テレビやイベントをとおしての宣伝・広告・商品を効率よ
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く売るための仕掛けなど、売り手側の努力はこれまでみてきたとおりだ。
だから、きみは、売り手側の商品差別化戦略という大きな「仕掛け」をかいくぐって、たくさんのメニューから一つを決め、選択するのである。これは、とてもたいへんなことなのだ。
たしかにメニューはたくさんある。
だが、それは、メニューがいまほど多くなかったときにくらべて、よりよい選択ができるということなのだろうか?
ちがいをうたって登場した商品は、すぐに似た商品が登場することで、ちがいの部分がなくなってしまう。きみの「ステイタス」にふさわしいはずの独自の商品が、すぐにその独自性を失ってしまう。イタチごっこみたいなもので、ちがいはますます細分化し、たいした意味をもたなくなってくる。
たいした意味のない「ちがい」を選ぶためにたくさんの商品が用意されているのが、はたしてほんとうに豊かなことなのだろうか。わたしたちは、そんな「幸せ」を求めてきたのだろうか。何度でも自問してみる必要がありそうだ。
おびただしい商品にかこまれて毎日暮らしているわたしたち。わたしたちが生活すること=消費することである。住宅、家具、食品、衣服、電気製品、新聞、書籍、日用雑貨といったモノから、電気、ガス、交通手段をはじめとするサービス財まで、日々消費しつづけているのだ。
そのわたしたちの多様な消費が、ふたたび多様な生産を促す。
そして新しく生産された生産物が、消費者であるわたしたちに、また新たな欲望をひきおこす。
こうして生産と消費が循環しながらふくらんでいくのである。しかも、売り手と買い手のどちらも、先がみえていないときているのだ。
こうした生産と消費のくりかえしのなかで、地球資源は減少をつづけ、生産にともなう排出物や消費生活からでる廃棄物などによって、環境汚染がすすんでいる。それも、地球的な規模でおこ
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読解マラソン集 8番 「飽和化市場」という のつづき
っているのである。
気をつけなくてはいけないのは、地球環境を汚染しているのは、生産をしている企業側だけではない、ということだ。汚染に責任があるのは、買い手であるわたしたちも同じだ。生産をささえている消費者側の責任も大きい。
つまり、わたしたちは他人とのちがいを示すために地球資源をつかい、環境汚染物質を排出しつづけている可能性をもっているわけだ。もしそうだとしたら、わたしたちは、自分たちの消費のあり方そのものを問いなおさなくてはいけない。
たとえば、わたしたち日本人がふだん食べているエビ。
日本人のエビ消費は、この三十年間に六倍以上になり、売り上げは一兆円をこえたそうだ。世界最大のエビ消費国だ。そのほとんどは東南アジアからの輸入によっている。エビの稚魚は、東南アジア各地にひろがる広大なマングローブの沼地で育っており、そのエビを捕獲するために大型船もはいっている。そのためエビ資源はしだいに少なくなり、マングローブの沼地も荒らされているのだそうだ。
日本人が直接荒らしまわっていないにしても、わたしたちのエビ消費が、結果としてマングローブを枯らすことになっているのは否定できない。
これは一つの例であって、わたしたちの生活が、このように間接的に環境を破壊していることは、じつに多い。わたしたちがおびただしい消費を重ねることが、考えてもみないようなところに悪影響をあたえ、傷つけることになっているわけだ。
そうした直接みえない他人や世界へ、どこまで想像力をはたらかせることができるかが、これからますます問われることになるだろう。もちろんこれは大人だけの問題としてでなく、きみたち一人一人がこれから考えなければならない問題だと思う。
(児玉裕「あなたは買わされている」)
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問題
ne-02-4 問題1
問1 読解マラソン集5番「子供の頃の私は」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 「帰らせてもらうわ」と言って、ほんとうに帰ってしまった行為を、私は少し後悔した。
B 母は、変身前の「わたし」を好ましく思っている。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答1
ne-02-4 問題2
問2 読解マラソン集5番「子供の頃の私は」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 「私はたった今、あの子であることをやめた」の「あの子」とは、転校生のことである。
B 転校生が来たとき、私は変身のチャンスであると思った。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答2
ne-02-4 問題3
問3 読解マラソン集6番「お前はどうも本好きで」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 活字を通じて空想の世界に遊ぶことは、作者にとって苦しい日常の息抜きのようなものであった。
B 作者が「義理の悪い思い」をしたのは、友人たちに借りた本を返せなくなったからである。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答3
ne-02-4 問題4
問4 読解マラソン集6番「お前はどうも本好きで」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 現在の私は、子供のころよりも楽しく本を読めるようになっている。
B 本は、本来、道の行き帰りなどに読むべきものである。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答4
ne-02-4 問題5
問5 読解マラソン集7番「小学校の中学年の頃」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 僕は、昔から新聞配達の仕事というものを尊敬していた。
B 父は、子供が新聞配達をしていると、自分の家が貧乏なので働かせていると思われると考えた。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答5
ne-02-4 問題6
問6 読解マラソン集7番「小学校の中学年の頃」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 彼がお金のために新聞配達をしていると知った次の日、僕は、すぐに自分も新聞配達をしようと思った。
B 僕が新聞配達の少年を避けるようになったのは、新聞配達が苦しくて途中でやめてしまったからである。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答6
ne-02-4 問題7
問7 読解マラソン集8番「『飽和化市場』という」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 「飽和化」されていない市場とは、新たにその商品を買おうとする人がたくさんいる市場である。
B 地球環境を汚染しているのは、消費者ではなく、小さな「ちがい」を作り出して物を売ろうとしている生産者である。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答7
ne-02-4 問題8
問8 読解マラソン集8番「『飽和化市場』という」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 「商品差別化戦略」をおこなう生産者によって、消費者はますます貧しくなっている。
B 私たちの消費生活が、環境破壊に間接的に手を貸していることも多い。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答8