a 読解マラソン集 5番 子供の頃の私は、 ne3
 子供こどもころわたしは、ものすごく内気で引っ込み思案ひ こ じあん、何事にも消極的で、むねの中で考えていることがおよそ行動にあらわれず、オドオド、ウジウジしていた。現在げんざいわたしと知りあった友人達は、まず信じてくれないが、間違いまちが なくかわいそうなほどおとなしい子だった。(中略ちゅうりゃく
 このまま、ずっと大きくなっていくなんてあまりにつまらない。自分自身を変えてしまえば、こういう状態じょうたいから抜け出せるぬ だ  のにと子供こども心に感じていた。
「こんな子じゃイヤだ!」と思い続けてはいても、一度出来上がってしまった周りの状況じょうきょうも、持って生まれた性格せいかくも、そうそう簡単かんたんには変えられるものではない。
 相も変わらぬ内気な表皮の下に、変わりたい、変わりたいという願望が吹き出しふ だ 口をみつけられないままたまりにたまっていった。
 それが、思いがけず一気に爆発ばくはつしたのは、忘れわす もしない小学校三年の正月、三学期が始まって少したった朝だった。その年の正月に父を亡くしな  忌引きびきでしばらく休んでいたわたしはその朝、いつにも増しま て不安な面持ちで学校に向かった。深呼吸しんこきゅうをしてやっと教室の戸を開けたというのに、わたしの席だったところに何と見知らぬ女の子が座っすわ てる。きっと都会からの転校生なのだろう。垢抜けあかぬ したかわいい子だった。ランドセルを背負っせお 突っつ 立ったまま鼻のおくがツーンと痛くいた なるのを感じていた。遠巻きとおま にしたクラスの子達も、わたし自身でさえこれ以上は何も起こらず、やがて先生が来ておしまいになると思っていた。
「何でここに座っすわ ているの?」
「だって先生が言ったんだもの。ここの子しばらく休むからってさ」
 こぼすまいと思っていたなみだが、むねの中でグラグラ煮えたっに   て、吹きふ 上がった気がした。
「そうかい。じゃ、わたしは帰らせてもらうわ」
 あっけにとられているクラスメートをぐるりと見回し、バタンと勢いいきお をつけて戸を閉めるし  と、その足で職員しょくいん室に向かい、先生に
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無期限むきげん登校拒否きょひ宣言せんげんした。先生は悪気があったわけではなかったと思う。きっと、あの子なら大丈夫だいじょうぶだろうと考えていたのだろう。でもわたしはたった今、あの子であることをやめた。
 ついさっき来た道を家に戻るもど 時、ほんの少し前のちょっとを丸めた自分とは、まるで違うちが 自分が歩いているようで、景色まで変わってみえた。
 たった一人のストは、確かたし 一週間かそこらで学校から先生方がやってきて話し合い、納得なっとくして終了しゅうりょうした。再びふたた 、以前と同じように登校したが、もうわたし自身は以前のようではなかったし、友人のわたしを見る目も変わった。
 こんな自分じゃイヤだと幼心おさなごころに思い始めてから、その思いを自分の血肉にするまでずいぶん長い年月を要したことになる。自分自身を生まれ変わらせる、自分の生き方を変革へんかくするといった、自らのかくに関わることを、自らの意志いしで動かすというのは、結構けっこうしんどい。後が続かなければ、さらにズルッと深みにはまりかねないし、さあ変わらねばと頭から指示しじが来るようでは、機がまだ熟しじゅく ていないのかもしれない。
 わたしがとっさにとってしまった行動は、もちろん、おっ、今が変身のチャンスだと考えてのことではない。周囲をも、自分をもびっくり仰天ぎょうてんさせた出来事は、あの時、わたしのもっとも自然な反応はんのうになっていたのである。
 ただ困っこま たことに、母はその時のわたしの内面的変化をキャッチしそこなった。
 母は、それ以来、わたしの表面的変化にため息をつき続けている。
「まさかこの子が……」と絶句ぜっくし、もういい加減  かげん年になったむすめをつかまえていまだに「こんな子じゃなかったのに」と嘆いなげ ている。
 こんな子に大変身したわたしのフォッサマグナは、小学三年、九さいの冬にくっきり横たわっている。
吉永よしながみち子「九さいの冬」)
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a 読解マラソン集 6番 お前はどうも本好きで ne3
「お前はどうも本好きでいかん」
 父親は剣道けんどうだんかのスポーツマンで、毎朝、わたしを雪のなかに引っぱり出しては竹刀を持たせて切り返しだの、素振すぶりだのをやらせるのである。
 わたしは、決して本だけが好きな弱々しい少年ではなかった。むしろ、英雄えいゆう冒険ぼうけん物語の主人公にあこがれ、忍術にんじゅつ真似まねをして屋根から飛びおりたり、喧嘩けんかひたい割らわ れたり、水泳や分列行進が好きだったりする活発な子供こどもだったとおもう。
 だが、両親はいずれにせよ、わたしが活字を読むことを好まなかった。彼らかれ わたし余り物あま ものを考えず、直情ちょくじょうで健康な、竹を割っわ たような男の子に仕立てあげたがっていたのだという気がする。しかし、わたしにとって、活字を通じて自分の空想の世界に遊ぶことは、生きるということと同じ位、本質ほんしつ的なことのように感じられた。
 わたしは<のらくろ>や<冒険ぼうけんダンきち>を、かなり幼いおさな 時に卒業し、小学生の上級になると、両親の本棚ほんだなにある実に雑多ざったな本を、ほとんど目を通してしまっていた。
<小島の春>だとか、<もめん随筆ずいひつ>だとか、<放浪ほうろう記>だとかいった本は、たぶん母親の蔵書ぞうしょだったにちがいない。わたしはそんな本が面白くて仕方がなかったが、一方では、学校の仲間から借りて読む、山中峯太郎みねたろう佐藤さとう紅緑こうろくの世界にも熱中していた。佐々木ささきくにのユーモア小説も、わたしの大好きな本の一つだった。江戸川えどがわ乱歩らんぽ岡本おかもと綺堂きどうなども、学校の友人から借りて読んだ。
 わたしはかなりの距離きょりを、市電と徒歩で通学していた。その行き帰りに、歩きながら本を読む習慣しゅうかんがついてしまって、家のそばまで来ても、まだ読むのを止めるのが惜しくお  、もう一度、電車の駅まで歩きながら読み続けたりしたものだ。一度、わたしがカバンを背負っせお たまま、家の前から電車の停留所ていりゅうじょの方角へ本に熱中しながら逆もどりぎゃく   している時、父親に出会ったことがある。
「お前、どこへ行くんだ」
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 父親は、学校から帰る時刻じこくぎゃくに登校でもするかのようなわたしの様子を見て、けげんそうにたずねた。
「学校に筆箱を忘れわす てきたから取りに行こうと思って」
 と、わたしは言ったが、父親はなんとなくわたしが行き帰りに本を読むことに夢中むちゅうになっているのを感づいたようだった。
 そして、わたしが学校から帰ってくると、わたしのカバンを開け、なかに借りてきた小説本や読物のたぐいがはいっていると、黙っだま て取り上げたまま返してくれなかった。
 そのことでわたしはひどく友人たちに義理ぎりの悪い思いをしたことがある。
 わたしはそこで自衛じえいのために一計を案じた。帰り道に読み続けてきた本を、家のなかに持ち込まも こ ないようにするのである。冬の日など、わたしは読みさしの本を新聞紙にくるんで、家の生垣いけがきのあたりに積みあげられている雪のなかに突っ込んつ こ 隠しかく ておくことにした。
 そして次の朝、それを掘り出しほ だ て、雪を払いはら 新聞紙を拡げひろ て読み続けるのだ。
 時には本のなかに雪が飛び込んと こ で、それが凍てつきい   、ページがパリパリと音を立てたりすることもあった。
 そんな時代を、いま想いおこしてみると、禁じきん られた読書のなんともいえない鮮烈せんれつなよろこびの記憶きおくが、まざまざとよみがえってくる。現在げんざいわたしは活字のなかに埋れうも 、そしてそれをさい生産する生活のなかで、義務ぎむとしての読書、必要からの読書に追われているが、すでに活字が行間から立ち上ってくるような、あの少年時代の読書のよろこびからは、はるかに遠い所にいる自分を感ぜずにはいられない。
 本というものは、本来、あのようにして読むべきものではなかろうか、という気がする。

(五木寛之ひろゆき「地図のない旅」)
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a 読解マラソン集 7番 小学校の中学年の頃、 ne3
 小学校の中学年のころぼくはがき大将たいしょうで毎日近所のちびっこたちを引き連れて遊び回っていた。縄張りなわば 意識いしきが強くて、僕らぼく は自分たちの町内をその統治とうち下においていた、つもりだった。放課後になると、裏山うらやまに作った基地きち斜面しゃめんに生えた大木のえだに板切れや鉄材をくくりつけて作った掘っ建てほ た だった。)に集まっては、攻めせ てくるかもしれないてきを想定して、僕らぼく は石投げの訓練を積んでいたのだ。
 はじめてあの新聞配達の少年を見たのは、その基地きち建設けんせつしおわった直後のころのことである。見張りみは に立っていた弟が大声でぼく呼んよ だのだ。
兄貴あにき、なんか変なのが走りよう。どがんする。」
 ぼくは弟の指さすほうを見た。かたから新聞をぶら下げた少年(多分小学校の高学年か、中学の一年生ぐらいだと思った。)が、一軒いっけん一軒いっけんの家に新聞を放り込みほう こ ながら走っているのである。新聞配達の少年の存在そんざいは知っていたのだが、こうやって意識いしきしてまじまじと見るのは初めてのことであった。かれ僕らぼく が見守る中、背筋せすじ伸ばしの  てすっと下の道を通り過ぎとお す ていってしまったのである。
 翌日よくじつかれは同じ時刻じこくにそこを通過つうかしていった。やはりかたから吊るしつ  たたすきに新聞を山盛りやまも 入れて、かれは一けんけんにそれを放り込んほう こ でいくのだ。ぼくはその姿すがたに何か心を動かされていたのだが、沢山たくさんの子分たちの前でかれ褒めるほ  わけにもいかず、つい心にもない行動をとってしまうのである。
 そう、ぼくかれ目掛けめが て石を投げつけたのだ。
みな、あいつはてきたい。てきのスパイに間違いまちが ないったい。」
 小さな子供こどもたちはぼくの言うことをすぐに信じて、同じようにかれ目掛けめが て石を投げつけはじめたのだ。新聞少年は投石に気がつき、立ち止まると僕らぼく のほうを一瞥いちべつした。しかし、石を避けよさ  うともせずじっと僕らぼく のほうを睨みつけるにら    のだった。幾ついく かの石がかれの足に
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あたったが、かれ逃げよに  うとはしなかった。
「やめ。」
 それに気づいたぼくはちびっこたちに石投げをやめさせた。子供こどもたちは石を投げるのをやめ、ぼくの次の命令を待っていた。ぼくと新聞少年はそのとき初めて対峙たいじして睨みあっにら   た。鋭いするど 目をした強そうな男だった。僕たちぼく  黙っだま ているとまもなくかれは走りだすのである。
 それからもときどき僕らぼく かれを見つけては威嚇いかく攻撃こうげきをした。そのたびにかれは立ち止まりじっと僕らぼく を見すえるのだった。その目は鋭くするど かつて見たことのない動物的なものだった。
 新聞配達という行為こういが悪いことではなく、むしろりっぱなことであることはあのころぼくでもちゃんと理解りかいはしていたつもりであった。ぼくだけじゃなく、弟やちびっこたちもちゃんと知っていたはずだ。なのにぼくかれに石を投げたのは、多分かれ存在そんざいが気になっていたからなのだろう。新聞を少年が配達するということが一体どういうことなのか、ぼくはすごく興味きょうみがあったのだ。
 それから少しして、僕らぼく 社宅しゃたくの門のところでたむろして遊んでいると、かれ突然とつぜん門の中へ走り込んはし こ できたのである。がっちりとした身体をしていて、ぼくより五センチはが高かった。ぼくは直ぐにかれと目が合い、睨み合っにら あ てしまった。そのとき、ちびっこの一人がいつもの調子でかれに向かって石を投げつけてしまったのである。石はそれほどスピードはなかったのだが、少年のひたいにあたってしまった。そして少年はそのときはじめて僕らぼく 抗議こうぎをしたのである。
「何で石ば投げるとや。おれがなんかしたとかね。」
 身構えるみがま  ちびっこたちをぼく慌てあわ 制しせい た。そして少し考えてから聞き返した。
「なんばしよっとね。」
 ぼくは新聞のつまったたすきを指さして聞いてみた。
「新聞配達にきまっとろうが。」
「そうやなか、なんで新聞ばくばりよっとか知りたかったい。」
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読解マラソン集 7番 小学校の中学年の頃、 のつづき

 ぼくかれにぐいと睨みつけにら   られて怯みひる そうだったが、ちびっこたちに示ししめ がつかないのでじっと(えていたのである。
「なんでって、お金んためにきまっとろうが。お金ば稼いかせ で、家にいれるったい。うちはお前らんとこみたいに裕福ゆうふくやなかけんな。」
「ゆうふく?」
 弟が横から口を出してきた。
「ああ、うちは貧乏びんぼうやけん、長男のおれが働いてお金ば稼がかせ んとならんとよ。お前らみたいに遊んでるわけにはいかんっちゃ。」
 かれのその言葉はぼくむねにびんびんと響いひび た。自分のことを貧乏びんぼうといいきるかれがなぜか自分たちとは違うちが 大人に見えたのだ。
「わるいけどな、これからはおれの配達のじゃまばせんどいてくれんね。もし、邪魔じゃまするようだったら、こっちも生活がかかってるけんだまっちゃおかんばい。」
 かれはそう言うと石を投げつけたちびっこを押しのけお   て新聞を配りはじめるのだった。
 ぼく何故かなぜ いいようのないショックで、それから数日考え込んかんが こ でしまった。ぼくは昔から考え込むかんが こ タイプだったようだ。あのときぼくは新聞配達の少年を実は心の何処どこかで尊敬そんけいしていたのだと思う。自分をかれ投影とうえいしはじめていたのだ。
 それから数日してぼく社宅しゃたくの門のところでかれ待ち伏せま ぶ することになる。子分たちは引き連れず、ぼくひとりであった。そして夕方、いつもの時間にかれは新聞を抱えかか 走り込んはし こ できたのである。
「よう。」
 かれぼくを見つけると、そう声をかけてきた。
「今日はぞろぞろいないのか。子分たちは。」
 ぼくは大きく頷いうなず た。
「今日はちょっとさしで話があるったい。」
「なんね。」
 新聞少年は眉間みけんをぎゅっと引き締めひ し ぼくの顔をまじまじと覗きのぞ 込んこ だ。ぼくつば呑み込んの こ だ。
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「実はあれから真剣しんけんにかんがえたっちゃけど。おれも新聞配達やらしてくれんかとおもうてさ。」
 新聞少年の顔がほころんだ。
「君がや。」
 ぼく真剣しんけんな顔つきで頷いうなず た。
「だめやろか。」
 新聞少年は首を振るふ 
「いいや、でもお前が考えているよりずっと大変なことたい。そんでも途中とちゅうで投げださんで続ける自信があるっちゅうなら、話をつけてやってもよかたい。ただな、いい加減  かげんな気持ちでやるとやったら、おれがゆるさんけんね。」
 ぼくかれにはじめて微笑んほほえ だのである。
 そしてその日の夕方、ぼくかれに連れられて近くの新聞の集配所に行ったのである。初めての経験けいけんぼくはすっかり緊張きんちょうしていた。集配所は活気があって沢山たくさんの少年たちで溢れあふ ていた。みんなたくましく真っ直ぐの目をした連中ばかりであった。ぼくかれに仕事の段取りだんど を説明されながら暫くしばら その場を観察していたのである。それからぼくかれ紹介しょうかいされたそこのボスにお辞儀 じぎをした。ボスは笑顔のたえない人で、一言、がんばるんだよと言っただけだった。しかし、その言葉はかつてどんな大人たちがぼくにかけてくれた言葉よりずっとぼくを大人として扱っあつか てくれるものだった。そしてぼくは次の週頭から新聞を配ることになったのである。ぼくが自分で決めた初めてのアルバイトであった。
 しかし、結論けつろんからいえば、ぼくは次の週頭から新聞を配ることはなかったのである。そのばんぼくは食事の席で両親にその事を、やや自慢じまんするように言ったのだが、突然とつぜん、父親に怒鳴らどな れてしまうのだ。
おれはお前にそんな苦労をかけさせているのか。貧しいまず  思いをさせているのか。」
 母は黙っだま ていた。ぼく褒めほ られるだろうと思っていたので、父の
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読解マラソン集 7番 小学校の中学年の頃、 のつづき

怒鳴りどな 声は予想外の出来事だったのだ。何時だったか勤労きんろう少年のドキュメンタリーテレビをみながら父が目頭を濡らしぬ  ていたのをぼくは見て知っていたから、かれのその行動はまったく理解りかいすることができなかったのである。そして余りあま 剣幕けんまくぼく逆らうさか  こともできなかった。
 結局、ぼくの母が次の日新聞の集配所に出向き、ぼくの初めてのアルバイトはゆめと消えることとなった。父は体面を気にしたんだ、とぼくは後で考えた。新聞を背負わせお せて小さな子供こどもを働かせていると、同じ社宅しゃたくの人たちに何と思われるか分からなかったからだろう。
 そしてぼくは次の日から新聞配達の少年をさけるようになるのである。

つじ仁成ひとなり「新聞少年の歌」)
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a 読解マラソン集 8番 「飽和化市場」という ne3
 「飽和ほうわ化市場」という言葉がある。いろいろな商品の普及ふきゅうりつがもう限界げんかいのところまできている消費市場をあらわす言葉だ。たいていのモノはひととおり行きわたった、という状態じょうたいである。
 飽和ほうわ化市場の特徴とくちょうは、いままでもっていた製品せいひんから新しいものに買いかえていく需要じゅようは多いが、市場全体が成長していく力はもう限界げんかいのところまできている、という点だ。
 そのため、売り手側としても、いままでと同じような売り方では商品が売れない。そこで、それぞれ独自どくじの商品を開発したり、新しい売り方を考えたり、これまでとはちがった分野へ進出したりと、あらゆる手を試みる。ここまでに紹介しょうかいした販売はんばい方法の工夫だとか、競合商品にはない独自どくじ機能きのうやデザインの開発などといったことも、こうした市場があふれている。
 たとえばモノ。すでに述べの たように、ヘッドホン・ステレオ一つ取りあげても、似かよっに   た商品がたくさんのメーカーから発売されている。たくさんの商品のなかから、きみは一つの商品を選んで購入こうにゅうするわけだ。そのためにカタログを取りよせたり、お店の人の話を聞いたりして情報じょうほうを集め、比較ひかくした上で決める。
 つまり、きみの前には、とてもたくさんのメニューがあり、そこからある一つを選択せんたくするというわけだ。
 サービスという商品を購入こうにゅうする場合も同じだ。
 外食の代表といえるファースト・フード。あるチェーン店で新しいハンバーガーが登場したと思ったら、すぐに別のチェーン店にもたようなメニューがつけ加えられる。もちろん、「一味ちがった」商品としてだ。
 ここでもきみは、さまざまなお店のさまざまなメニューのなかから一つのサービスを購入こうにゅうするための選択せんたくをすることになる。
 新しい商品やサービスが市場にでるまでには、売り手側の「商品差別化戦略せんりゃく」がおこなわれている。消費者側の情報じょうほうを得るための調査ちょうさ、その情報じょうほうをすぐに利用できるように蓄積ちくせきしたデータベースの作成、テレビやイベントをとおしての宣伝せんでん・広告・商品を効率こうりつ
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く売るための仕掛けしか など、売り手側の努力はこれまでみてきたとおりだ。
 だから、きみは、売り手側の商品差別化戦略せんりゃくという大きな「仕掛けしか 」をかいくぐって、たくさんのメニューから一つを決め、選択せんたくするのである。これは、とてもたいへんなことなのだ。
 たしかにメニューはたくさんある。
 だが、それは、メニューがいまほど多くなかったときにくらべて、よりよい選択せんたくができるということなのだろうか?
 ちがいをうたって登場した商品は、すぐにた商品が登場することで、ちがいの部分がなくなってしまう。きみの「ステイタス」にふさわしいはずの独自どくじの商品が、すぐにその独自どくじせいを失ってしまう。イタチごっこみたいなもので、ちがいはますます細分化し、たいした意味をもたなくなってくる。
 たいした意味のない「ちがい」を選ぶためにたくさんの商品が用意されているのが、はたしてほんとうに豊かゆた なことなのだろうか。わたしたちは、そんな「幸せ」を求めてきたのだろうか。何度でも自問してみる必要がありそうだ。
 おびただしい商品にかこまれて毎日暮らしく  ているわたしたち。わたしたちが生活すること=消費することである。住宅じゅうたく、家具、食品、衣服、電気製品せいひん、新聞、書籍しょせき、日用雑貨ざっかといったモノから、電気、ガス、交通手段しゅだんをはじめとするサービスざいまで、日々消費しつづけているのだ。
 そのわたしたちの多様な消費が、ふたたび多様な生産を促すうなが 
 そして新しく生産された生産物が、消費者であるわたしたちに、また新たな欲望よくぼうをひきおこす。
 こうして生産と消費が循環じゅんかんしながらふくらんでいくのである。しかも、売り手と買い手のどちらも、先がみえていないときているのだ。
 こうした生産と消費のくりかえしのなかで、地球資源しげん減少げんしょうをつづけ、生産にともなう排出はいしゅつ物や消費生活からでる廃棄はいき物などによって、環境かんきょう汚染おせんがすすんでいる。それも、地球的な規模きぼでおこ
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読解マラソン集 8番 「飽和化市場」という のつづき

っているのである。
 気をつけなくてはいけないのは、地球環境かんきょう汚染おせんしているのは、生産をしている企業きぎょう側だけではない、ということだ。汚染おせん責任せきにんがあるのは、買い手であるわたしたちも同じだ。生産をささえている消費者側の責任せきにんも大きい。
 つまり、わたしたちは他人とのちがいを示すしめ ために地球資源しげんをつかい、環境かんきょう汚染おせん物質ぶっしつ排出はいしゅつしつづけている可能かのうせいをもっているわけだ。もしそうだとしたら、わたしたちは、自分たちの消費のあり方そのものを問いなおさなくてはいけない。
 たとえば、わたしたち日本人がふだん食べているエビ。
 日本人のエビ消費は、この三十年間に六倍以上になり、売り上げは一兆円をこえたそうだ。世界最大のエビ消費国だ。そのほとんどは東南アジアからの輸入ゆにゅうによっている。エビの稚魚ちぎょは、東南アジア各地にひろがる広大なマングローブの沼地ぬまちで育っており、そのエビを捕獲ほかくするために大型船もはいっている。そのためエビ資源しげんはしだいに少なくなり、マングローブの沼地ぬまち荒らさあ  れているのだそうだ。
 日本人が直接ちょくせつ荒らしあ  まわっていないにしても、わたしたちのエビ消費が、結果としてマングローブを枯らすか  ことになっているのは否定ひていできない。
 これは一つの例であって、わたしたちの生活が、このように間接かんせつ的に環境かんきょう破壊はかいしていることは、じつに多い。わたしたちがおびただしい消費を重ねることが、考えてもみないようなところに悪影響あくえいきょうをあたえ、傷つけるきず   ことになっているわけだ。
 そうした直接ちょくせつみえない他人や世界へ、どこまで想像そうぞう力をはたらかせることができるかが、これからますます問われることになるだろう。もちろんこれは大人だけの問題としてでなく、きみたち一人一人がこれから考えなければならない問題だと思う。

(児玉ひろし「あなたは買わされている」)
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問題

ne-02-4 問題1
問1 読解どっかいマラソン集5番「子供こどもころわたしは」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。 
A 「帰らせてもらうわ」と言って、ほんとうに帰ってしまった行為こういを、わたしは少し後悔こうかいした。
B 母は、変身前の「わたし」を好ましく思っている。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答1

ne-02-4 問題2
問2 読解どっかいマラソン集5番「子供こどもころわたしは」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。 
A 「わたしはたった今、あの子であることをやめた」の「あの子」とは、転校生のことである。
B 転校生が来たとき、わたしは変身のチャンスであると思った。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答2

ne-02-4 問題3
問3 読解どっかいマラソン集6番「お前はどうも本好きで」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。 
A 活字を通じて空想の世界に遊ぶことは、作者にとって苦しい日常にちじょう息抜きいきぬ のようなものであった。
B 作者が「義理ぎりの悪い思い」をしたのは、友人たちに借りた本を返せなくなったからである。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答3

ne-02-4 問題4
問4 読解どっかいマラソン集6番「お前はどうも本好きで」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。 
A 現在げんざいわたしは、子供こどものころよりも楽しく本を読めるようになっている。
B 本は、本来、道の行き帰りなどに読むべきものである。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答4

ne-02-4 問題5
問5 読解どっかいマラソン集7番「小学校の中学年のころ」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。 
A ぼくは、昔から新聞配達の仕事というものを尊敬そんけいしていた。
B 父は、子供こどもが新聞配達をしていると、自分の家が貧乏びんぼうなので働かせていると思われると考えた。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答5

ne-02-4 問題6
問6 読解どっかいマラソン集7番「小学校の中学年のころ」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。 
A かれがお金のために新聞配達をしていると知った次の日、ぼくは、すぐに自分も新聞配達をしようと思った。
B ぼくが新聞配達の少年を避けるさ  ようになったのは、新聞配達が苦しくて途中とちゅうでやめてしまったからである。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答6

ne-02-4 問題7
問7 読解どっかいマラソン集8番「『飽和ほうわ化市場』という」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。 
A 「飽和ほうわ化」されていない市場とは、新たにその商品を買おうとする人がたくさんいる市場である。
B 地球環境かんきょう汚染おせんしているのは、消費者ではなく、小さな「ちがい」を作り出して物を売ろうとしている生産者である。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答7

ne-02-4 問題8
問8 読解どっかいマラソン集8番「『飽和ほうわ化市場』という」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。 
A 「商品差別化戦略せんりゃく」をおこなう生産者によって、消費者はますます貧しくまず  なっている。
B わたしたちの消費生活が、環境かんきょう破壊はかい間接かんせつ的に手を貸しか ていることも多い。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答8