a 読解マラソン集 5番 後の世話が大変だから mu3
「後の世話が大変だから、すずめの子だけはごめんだよ。それに死んだらかわいそうだもの」 
 とお母さんはうるさく言う。よくわかっているんだけど、小雀こすずめの声を聞くと狩猟しゅりょう本能が目覚め、お母さんの言いつけなんかふっとんでしまう。 
 庭ですずめ捕りと なんかすると、きっと叱らしか れるから、お城へ行くことにした。そこにはこの季節になると、大書院の屋根の下で生まれて巣立った小雀こすずめがたくさんいる。 
 お城の桜の木に、数羽の小雀こすずめがさえずっている。甘いあま 声が胸をくすぐる。でも、萌えも たった若葉にさえぎられ、姿はなかなか見えない。ためつすがめつ見つめていると、灰色のかげが、においたつ若葉の中をすっと動くのがわかる。胸がどきどきしてくる。目が輝きかがや 鼓膜こまくがぴいんとはりつめる。ぼくはあの勇ましい猟犬りょうけんだ。いや猟犬りょうけんは木に登れないから、さるだ。でも、さるって小鳥を捕っと て食べるのかなあ……? 
 猟犬りょうけんだってさるだってなんだっていい。ぼくは伏せふ あみをもって木に登った。 
 小雀こすずめは声こそ細くて幼いが、体は小さくても親鳥と同じく、独り暮らしできる力をもう十分もっている。近づくと、あわやというところですっと飛び立ってしまう。くやしいったらないが、ぼくの負けだ。こんなのをいくら追っかけたって、むだ。つかまえるこつは、発育の遅いおそ すずめを探し出し、それを徹底的てっていてきに追いまわすことだ。そのうち小雀こすずめ疲れつか て動けなくなる。作戦変更へんこう。 
 数本の桜の木をあたった末、一度に数メートルしか飛べない小雀こすずめを見つけた。もう半分捕れと たようなものだ。 
 桜から桜へ、二人は小雀こすずめを追っかけた。小雀こすずめがふらつきながら、横の桜へ移ったとき、「しめたっ」と心の中で叫んさけ だ。近くに木はない。一丁上がりだ。 
 ぼくは落ち着いて桜の幹に手をかける。虫を狙うねら カメレオンのように、ゆっくり距離きょりを縮めていく。小雀こすずめはまだ口許くちもとの黄色い、小さ
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いくちばしを突き出しつ だ 、あらぬかなたを見つめている。その先は澄みわたっす    た青空だ。でも怖いこわ 目つきは、雲へでも飛び移りそうな気配だ。 
 ぼくは胸いっぱいに広がるよろこびで、思わずほおがほころびる。勝利のカイカンってやつだ。ちらっと下を見る。射ぬくようなミトの真剣しんけんなまなざしが、ぼくの目にカチッとあたる。ぼくはそれにこたえて伏せふ あみをたぐり出し、最後の一突きつ の準備にかかった。小雀こすずめのまんまるい目が、少し小さくなったように見えた。まぶたが下がってきたのだろうか。小鳥はどれも、目をつぶりだしたらもうおしまい。元気がなくなった証拠しょうこだ。小雀こすずめ疲れはてつか   、飛び立つエネルギーがなくなったのだろうか。 
 ふいと浮かんう  だあわれみの心が、あみの動きを乱し、テグスが小枝にひっかかった。引っぱると、小枝がゆれた。それが合図になったのかのように、小雀こすずめは全身の力を借りて、白い雲に向かって飛び立った。 
 小雀こすずめは数メートル水平に飛ぶと、力つきて下へさがったが、また力をもりかえして上昇じょうしょうした。こんなことを繰り返しく かえ ながら、波を描いえが 石垣いしがきの際の土手の桜まで飛んでいった。あっけにとられてその姿を見ながら、なぜかきいっと心にくいいるものを感じていた。 
「えらいやつよのう」 
 ミトが木の下から感にたえぬようにいう。 
「うん、やるなあ」 
 ぼくは木のまたにまたがって、空を見る。桜の若葉が青空に美しい模様を彫りこんほ   でいる。手がだるい。足から力もぬけている。「逃がしに  てやるか」そんな思いが、ふっと心をよぎる。ミトもそう思っているにちがいない。青葉のかげから放心したように空の一点を見つめていた丸い目と、甘えあま っ子みたいな黄色いくちばしが頭に中にちらつくのを、火をたくお陽様ひさまに投げこんで、ぼくはさるのようにすばしっこく木を降りる。 

(河合雅雄まさお「小さな博物誌」)
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a 読解マラソン集 6番 みっちゃんは、私より mu3
 みっちゃんは、私より一つ年下だったが、太っていて、相撲すもうは強かった。しかしたけが低かったから、馬飛びといって、かがんだ相手の背中に手を突いつ 飛び越えると こ  遊びは、たけの高い私の方が有利だった。地面に手を突いつ た姿勢から、だんだん高くして行って、ほとんど首を曲げた姿勢で立っている「馬」の上を飛び越えると こ  。飛び損なった子は飛び越えと こ られるのが専門の馬にならなければならない。あるいは「馬」の手前にかがむ役になる。 
 最初は横丁の子供たちがかわりばんこに飛び越すと こ ことからはじまるこの遊びは、最後は、必ず私が何人かのかがんだ子供の上を跳躍ちょうやくして、その先の「馬」の背中に手を突いつ 飛び越すと こ 形になった。この場合かなりの助走を必要とし、飛んだ瞬間しゅんかん、体は水平に近くなるから、馬になった子供の受ける衝撃しょうげきは大きくなる。 
 こういう形の時、馬になれるような子供は横丁にはみっちゃんよりいない。私は得意になって、この跳躍ちょうやくを何度も繰り返しく かえ た。するとその何度目かに、私が跳躍ちょうやくした瞬間しゅんかん、みっちゃんがひょいと背を低くしたのである。私は空を突きつ 、向こうの地べたへうでから水平に着地した。両ひじとひざを大きく擦りむいす   た。みっちゃんはほかのみそっかすの子供といっしょに、どこかへ逃げに てしまった。 
 私は泣きながら家に帰った。となりの家と私の家の間にある共同の井戸端いどばたで、母にどろと血を洗ってもらっていると、みっちゃんがお母さんに捜しさが だされて、通りかかった。お母さんに命ぜられて、私に謝ったが、私は許さなかった。バケツ一杯いっぱいの水をざぶりとかけてやった。みっちゃんも泣きだし、かかってこようとしたが、お母さんに引っ張って行かれた。 
 私には人間がこんなに悪意があることをするとは思いも寄らなかった。私に餓鬼大将がきだいしょうの横暴があったにしても、そんならみっちゃんは馬になるのはいやだ、といえばいいのである。決定的な瞬間しゅんかんに、ひょいと背をかがめて、裏切るのはひきょうだ、水ぐらいかけてやってもいいというのが私の論理だった。もっともこの場合、私
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の方には、大人がそばにいて、状況じょうきょうが自分に有利だったという甘えあま があるから、あまり威張れいば ない節もあるのだが。 
 私の復讐ふくしゅうはさらに奇妙きみょうな形で果たされた。みっちゃんの家との間の路地に物置があって、その床下ゆかした、というほどもない狭いせま すき間に、私はナマリメンの貯金を隠しかく ておいた。母の財布から盗んぬす だ小銭の残りも入れておいたが、ある日、それがそっくりなくなっていた。まもなく隣家りんかでみっちゃんが泣き叫ぶな さけ 声が聞こえた。せっかんを受けているらしく、声は異様な悲痛さで長く続いた。みっちゃんがメンコと金の隠匿いんとく犯人と見なされたのはあきらかだった。私はおばさんが母に言いつけにくるのを覚悟かくごしたが、おばさんは来なかった。あくる日、床下ゆかしたに手を突っこんつ   でみると、金もメンコも戻さもど れていた。おばさんと井戸端いどばたで顔を合わせると、その顔は異様な笑みをたたえていた。そこには私に対する非難はなく、自分の家の子供が盗っ人ぬす とでなかったことを喜ぶ表情だけがあった。(私が金の隠し場所かく ばしょを机のひきだしに変えたのはそれからである) 
 私はみっちゃんに会うことを避けさ たが、みっちゃんも何も言わなかった。これは私にしばらく罪の意識として残った。 
 いまこれを書きながら、この二つの事件の前後について反省してみた。みっちゃんが馬飛びでふいにしゃがんだのはこの事件に対する報復ではなかったか、ということである。しかし、どうもそうではなかったようである。それなら私は報復をおそれて警戒けいかいしたはずだし、水をかけることもできなかったと思う。 

大岡おおおか昇平しょうへい「少年」)
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a 読解マラソン集 7番 自宅や会社の電話番号を忘れないのは mu3
 自宅や会社の電話番号を忘れないのは、そこに何度も電話をかけることによって、反復学習しているからだとも言える。記憶きおくには、この反復学習が非常に効果があると言われている。 
 記憶きおくについて研究した人に、ドイツのエビングハウスがいる。このエビングハウスによると、何かを一度覚えても、二〇分後にはその半分を忘れ、二四時間後に三分の二を忘れてしまう。しかし、残された三分の一はなかなか忘れず、一カ月後でも五分の一ほどを思い出すことができるという。 
 しかもこのとき、一度覚えたことを、少し間を置いて再び思い出させたところ、それから二四時間経ってもその八割がたを記憶きおくしていたそうだ。 
 つまり、一度記憶きおくしただけでは覚え切れなくても、それを反復して覚えさせると記憶きおくはより確かになる。だから、一度習ったことはそのままにしないで、もう一度思い出してみるか、同じことをもう一度記憶きおくするべきである。一度の反復学習で駄目だめなら、二度、三度とやってみる。それでも駄目だめなら七度も八度も繰り返しく かえ て覚える。こうして飽きあ ずに反復学習を繰り返しく かえ ていくと、たいていのものは頭の中に定着してしまう。 
 勉強で、予習と同時に復習が大切だと言われるのは、このような大脳のメカニズムを利用しているわけだ。また、自宅や会社の電話番号を覚えられるのも結局、何度も同じ場所に電話をかけているうちに無意識に復習しているからである。 
 記憶きおくは、自信とも関係がある。 
 スタンダールの「赤と黒」の中で、主人公のジュリアン・ソレルが密使となり、長文の手紙を届ける場面がある。ジュリアン・ソレルは、途中とちゅうで敵に捕らえと  られてもいいように、その手紙を受け取ると同時に全文を暗記しようとする。密書を託したく た人間は不安になって、「忘れるのではないか」と問いただすが、ジュリアン・ソレルは、「私自身が、忘れはしまいかと心配しないかぎり大丈夫だいじょうぶだ」と答える。 
「ひょっとして忘れるのではないか」という自信のなさが、記憶きおく力を減退させる原因の一つである。絶対に忘れないという確信をもち、自己暗示をかければ、人はどんなことでも記憶きおくしていられると
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いうことなのだ。 
 人間の記憶きおくは、脳の「海馬かいば」という部分で行なわれている。海馬というのはちょうどタツノオトシゴのような形をしているので、その名がある。 
 海馬は、約四〇〇〇万個の神経細胞さいぼうから成り立っており、輪切りになった形の細胞さいぼういく万も積み重なっているが、海馬の断面は、この無数の神経細胞さいぼうが中心に向かって環状かんじょうに並んでいるのがわかる。つまりバナナを輪切りにしたときのような感じである。 
 この環状かんじょうの模様は、ちょうど金太郎飴きんたろうあめのようになっていて、どこまでいっても同じ構造になっている。そして、それがいく層にも積み重なっている。ちょうどスーパーコンピュータの内部構造に似ている。 
 この輪切りの細胞さいぼうの間には神経細胞さいぼうが結ばれている。この神経細胞さいぼうは、輪切り細胞さいぼうに貯えられた記憶きおくデータを大脳まで伝える役目を担っている。 
 ところが、このとき、よく電気信号が通じている回路と、そうでない回路とができる。よく電気信号が通じる回路は、思い出しやすい記憶きおくということだ。 
 このすぐに通じる回路がなぜできるかというと、それはその記憶きおくが頭にこびりついてしまったからである。頭にこびりついた原因には二つある。一つは何度となくそれが反復されたからであり、もう一つはその記憶きおくがとても印象深く心に刻みつけられたからである。結局、よく記憶きおくするためには、反復して覚え込むおぼ こ かそれとも強い関心や印象、あるいは興味をもってそのことを学ぶかなのである。 
 もう一つ、面白い記憶きおく法がある。 
 ちょっと古い話になるが、テレビを観ていたら、「梅干と日本刀」の著者、樋口ひぐち清之きよゆきさんがNHKの子ども向け番組に出演していた。子どもの質問に各界の専門家が三、四人並んで答えるという番組であった。 
 そのとき、ある子どもが、 
樋口ひぐち先生は記憶きおく力が抜群ばつぐんだと聞いていますが、覚えるコツというものはありますか」
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読解マラソン集 7番 自宅や会社の電話番号を忘れないのは のつづき

と質問した。すると樋口ひぐちさんは、一つの事柄ことがらに対してその記憶きおく事項じこうを思い出すためのヒント(引き出しの糸)をたくさんもつことだ、と答えていらっしゃった。 
 大脳には記憶きおくの倉庫があり、そこにはいくつもの引き出しがあって、記憶きおくが収められている。この引き出しを開けるにはそれに糸をつけ、その糸を引っ張る必要がある。ところが引き出しを開ける糸が一本しかないと、その糸を探すのにたいへんな苦労をする。一つの引き出しに何本も糸がついていれば、どの糸を引っ張っても記憶きおくは引き出せる。つまり一つの記憶きおくに対していくつものキーワードをもてば、記憶きおくは引き出しやすくなる。 
 たとえば戦国の武将「織田信長」のことなら、「本能寺の変」「おけ狭間はざまの合戦」「比叡山ひえいざん焼き打ち」「安土城」などと関連づけて覚える。また「本能寺の変」なら信長を討った「明智あけち光秀みつひで」も記憶きおくする。どの糸を引っ張っても「織田信長」が出てくるわけだ。 
 また、いくつもの無意味な言葉の羅列られつなどを記憶きおくするには、全身を使うとよいとされている。たとえば、二〇個くらいの単語を覚えるとき、それをまず五個ずつのグループに分けておく。そうしてまず第一グループを覚えるとき、たとえば左手と関連づけて覚えておく。第二グループは右手、第三グループは左足、第四グループは右足といった具合に、体の手や足などの部分を記憶きおくの引き出しにしておくわけである。

(竹内均「頭をよくする私の方法」)
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a 読解マラソン集 8番 人間が自由で平等だというようなことが mu3
 人間が自由で平等だというようなことが、原則として認められている社会、これが、近代だといってよいでしょう。 
 それでは、そういうものが果たして我々日本人に固有のものか、我々自身の生活の中から出てきたものかというと、これはそうではないということが、すぐお分かりになると思います。近代的なものは、生活の観念にしろ、社会生活の形にしろ、みな西洋から来ています。西洋人にとって近代は、つまり自分の中から出たものです。自分たちのものの考え方、あるいは感じ方の必然の結果です。ところが、我々にとっては、それはよそから受け入れたものだ。そこのところが、同じ近代でも甚だはなは 違うちが のです。 
 近代をよく理解した人たちは、日本の近代に対して、いろいろな疑問を出したり、否定的な言葉を吐いは たりしています。 
 森鴎外おうがいは、晩年に徳川時代の漢方医で明治時代にはほとんど忘れられてしまって、そしてもし鴎外おうがいが書き残さなかったら、我々は全然知らないだろうと思うような人たちの伝記を非常な熱情をこめて書いています。「渋江しぶえ抽斎ちゅうさい」であるとか「井沢いざわ蘭軒らんけん」であるとか、あるいは「北条霞亭かてい」とかいうような作品の題は皆さんみな  もご存知でしょう。そういう、人が全部忘れてしまったような学者の伝記を、非常に敬意をこめて書いている。なぜ書いたかということは、鴎外おうがいは、人がそれについてなにか尋ねたず ても答えていません。自分は、ただ書きたくて書いている、というようなことを言っています。 
 恐らくおそ  、日本人は西洋の影響えいきょうを受けてから悪くなった、今の文明のあり方を見ると、日本人に将来救いがあるかどうか分からない。ただ、そういう西洋の影響えいきょうを受けない前の日本人のある人々の生き方に、自分は非常な尊敬を感じて、そういう人たちの生き方に及ばおよ ずながら自分も従ってゆこうという気持ちに、やっと自分の救いを見いだすというのが鴎外おうがいの考えであったようです。鴎外おうがいのように、西洋もよく知っており、自然科学の知識もあり、最も日本の近代化ということを評価してもいいような人が、非常に否定的であった、これは我々が記憶きおくしておいてよいことだと思います。 
 同じようなことが漱石そうせきについても言えます。漱石そうせきは、鴎外おうがいよりよほどおしゃべりですから、自分の思想をはっきり述べているのです
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が、その中で有名なのは、この人が和歌山県でやった「現代日本の開化」という講演でしょう。これは、漱石そうせきの思想の核心かくしん触れふ ている講演です。読んでもなかなかおもしろい。洒脱しゃだつで、ユーモアにも富んでいて、時々、聴衆ちょうしゅうをうまく笑わせたりしています。しかし、内容は近代日本の文明について非常に悲観的な見方をしています。漱石そうせきは、そこでまず文明というものあるいは文化(開化という言葉を使っていますが)は、内発的な開化と、外発的な開化と二つある。外発的というのは内部から出るものでなくて、外からの刺激しげきによって文化が大きく変わるということです。内発的とは、ちょうと時候が暖かくなって花が開くとか、雲が大空を飛んでいくとか、これは漱石そうせき比喩ひゆなのですが、そんなふうに、内から自然の力に押さお れて何かができあがるということです。
 ところで、日本の開化はどうか。漱石そうせきの見るところでは、徳川時代の終わりまではだいたい内発的に進んできた、と言う。これにはだいぶ問題があるでしょう。なぜなら、日本は古代から外来文化を輸入し続けてきた、という事実があるわけです。しかし結局のところ、私は漱石そうせきの考えが正しいのではないかと思います。
 日本は島国で荒いあら 海に囲まれている。外国が現実の力になって襲っおそ てくるということは何百年、何千年に一度くらいの例外はあるが、ふだんは適当にその海が、ちょうどフィルターのような役割を果たしてくれる。したがって、外国は敵対する力としてでなく、いつも文化として入ってくる。仏教も儒教じゅきょうもそうでした。外国人というのは、いつも珍しいめずら  お客さんであって、歓迎かんげいしてかえせばよい。気に入らない時は殺してしまえばよい。キリシタンが入ってきた時はそれをやった。江戸えど時代ごろまでの外国との接触せっしょくは、いつも自然によって守られていたのです。 
 ところが十九世紀になって、蒸気船ができる。海という自然の力を征服せいふくしてしまうような交通機関が発明され、それによって外国は初めて現実の力、侵略しんりゃく的な力として我々の周りに迫っせま てきた。そうした力に動かされて、明治維新めいじいしんが達成されたわけです。今から見れば、ずいぶんのんきなものであったにしろ、当時の日本としては
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読解マラソン集 8番 人間が自由で平等だというようなことが のつづき

大事件でした。 
 明治維新めいじいしんは、つまり日本の近代化の出発点は、単に優れた文化に接してこれを学ぶというような穏やかおだ  なものでは決してなかった。それを学ばなければ、こっちがやられてしまう、国としての独立を維持いじしてゆくことができない、という事情があったのです。こっちが生活あるいは社会組織を西洋風に改めなければ、逆に、西洋人の力によって、こっちがいやおうなく西洋風にされてしまう、そういう危機として、外国が現実の力を振るっふ  たわけです。ですから、日本が初めて外発的な力に動かされた、と漱石そうせきが言うのも、決して誇張こちょうではなかったのです。 
 日本の近代化ということは、他の国々、特にアジアの外の国々に先立って行われた。先に立ってやったということ、時間的に早かったということは、やがて追いつかれるということであります。そうなった時に、かえって後から来る人のほうが、自分たちの中でいちばん大事なものを失わないですんだということもありうるかもしれません。人より先にやったということに、必ずしも安んじていないほうがいいのではないかというふうに、私は思います。

(中村光夫の文章より)
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