a 読解マラソン集 9番 私は、懐中時計を mi3
 私は、懐中時計かいちゅうどけい打紐うちひもでズボンのベルト通しに結わえつけておくのが習慣になっていたが、どういう弾みはず ひもが切れているのに気が付かず、時計を道路に落とした。時計に対してこのような無作法をしたことはほとんどなかった。若いころに、ズボンの隠しかく に入れたまま鉄棒に飛びつき、尻上がりしりあ  をしてガラスを割った記憶きおくはあるが、多分それ以来の失敗であった。
 何度も振っふ て耳にあててみたが鼓動こどうは止まったままだった。その日宿へ戻るもど 時にその時計屋へ持っていった。自分で落としておきながらこんなことを言うのは心苦しいけれどもなるべく急いで修繕しゅうぜん頼んたの だ。すると主人は裏側のふたを開け、心棒が折れているのを確かめながら、急いでやるけれども、同じ心棒が手元にないので四日はもらいたいといった。心当たりの仲間の時計屋に連絡れんらくをして、そこにあればいいが……。
 その時私は今向かいの宿屋に仮住まいをしていることを話すと、それは困るだろうと言って腕時計うでどけいを貸してくれた。銀めっきが剥げは て古いものだが、時間は正確だから、その間使ってくれと、遠慮えんりょする私に貸してくれたのだった。借り物の時計をなれない手首にはめて気になって仕方がなかったが、時計屋の好意が嬉しかっうれ   たし、実際に大助かりだった。
 今から三十数年前である。
 小さい時計屋の店には、さまざまの形の掛け時計か どけいがあったが、その幾ついく かは振り子ふ こが動いていた。それは売り物ではなく、一応修繕しゅうぜんを終えてから調子を見ている預かり物であった。退院前に大事をとって様子を見られている回復期の連中であった。
 その振り子ふ この動き具合を見ていると、いかにもせっかちや、ゆったり構えているのやらいろいろいて、時計の性格がよく分かって面白かった。これらの時計と一緒いっしょ寝起きねお している時計屋の主人が、それをどう感じているかちょっと尋ねたず てみたいような気持ちがあったのだが、別に親しくもなく、今店に来て話をしたばかりの人にそんなことを尋ねるたず  うまい言葉も思いつかないままに黙っだま ていた。
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 四日後に寄ってみると私の懐中時計かいちゅうどけい修繕しゅうぜんができていた。重宝した腕時計うでどけいを返して自分の時計を受け取った時に、主人の右手の黒光りしている柱に八角形の柱時計が掛かっか  ているのを見た。四日前に来た時にも同じ柱にあったのかも知れないが、気が付かなかったらしい。
 腕時計うでどけいを貸してくれた好意に対して何かこの店で買い物をしたい気持ちもあったが、それをあまり露骨ろこつに見せるのもいやで、何の意味もないように、それが売り物かどうかを聞いてみた。
 それは想像したとおり時計屋の時計であった。しかも大切な時計であるのが分かった。その主人が生まれた時に、時計屋でもなかったかれの父親が、別にその記念にというつもりでもなかったのだろうが買ったものだということだった。ぜんまいは幾度いくど取り換えと か たが、ずっと動いているそうだった。そしてこんなことも話した。
 この時計は、子供のころには台所の柱に掛けか てあって、ガラスが曇っくも て黄ばんでくると、踏み台ふ だいに乗ってそれをくのが自分の役目だったし、時計屋に奉公ほうこうするようになってから、また自分で店を出すようになってからはなおさらのこと、これだけは絶対に狂わせくる  ないように気を配ってきたそうである。
 そこまで深い結びつきができてしまうと、この柱時計が止まる日に自分の寿命じゅみょう尽きるつ  というような気がしてくるのではあるまいか、あるいはこの時計に自分の運命が左右されている感じを常に抱くいだ ようになるのではないか。そんなことを私はとっさに思ったが、無論それは口にしなかった。

串田くした孫一まごいち『柱時計』)
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a 読解マラソン集 10番 いつのことだったか、 mi3
 いつのことだったか、教育熱心で知られている友人の歯科医がうかぬ顔をしているので、どうしたのかと尋ねたず たら、日曜日に子供をダムのある山に連れて行ったところ、子供がそこに満々とたたえられている水を見て、「うちの台所に出てくる水には色がないのに、ここの水はどうして青いの。」と質問してきた。そこで、「海の水を見てごらん。青いだろう。水はたくさんになると青く見えるようになるのだよ。」と教えたら、「水はたくさんになると、どうして青く見えるの。」と反問してきた。これにはぐっとつまって、うまく答えられなかったので、ひどく面目をつぶしたということだった。実は、科学というものは、このように疑問を持ち、その疑問を解決しようとするところから始まるのである。
 さて、その人間のいだく疑問であるが、われわれの祖先がいだいた程度の疑問の数々は、科学の進歩につれて、しだいに解きほぐされ、今日いまだにかたづかないなどというものはそんなにたくさんはない。それでは、現在のわれわれは、祖先の人々のようには疑問をいだかないかというと、実はそうではなく、今日われわれがいだいている疑問は、その数においても何千年も前の時代とは比較ひかくにならぬほど多いし、その内容・程度も大きく変わってきているのである。
 人間は、もともと知ることを求めるものであるから、一つの疑問をいだくと、それを解こうとして、観察・実験などの手段に訴えうった 、思考を繰り返すく かえ といった努力を重ねて、ついにはその疑問を解決するのである。そして、知ることの楽しさ・うれしさに大きな満足を覚えるのであるが、それと同時に、さらに新しい期待に心をはずませるのである。というのは、最初の疑問を解決するまでの過程あるいは結果において、必ずさらにいくつかの新しい疑問が生まれ、初めの疑問が解決したあとも、これらの新しい疑問の多くは、初めのそれよりさらに高度のものであるが、新しい別のものである場合も少なくない。
 このように考えてくると、科学というものは、疑問の積み重ねの上に進歩してきたと言える。つまり、疑問のない所に科学の進歩はないのである。だから、われわれが、自然現象なり社会現象なりについて疑問をいだかないということは、決して喜ぶべき状態ではない。それは、科学の進歩を止めてしまうことを意味するからである。
 思うに、疑問を持たないというのは、すべてのものを知り尽くしつ  てしまって、何一つわからないことがない場合か、あるいは何もわ
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からなくて、わからないことがわからないといった状態であるかのいずれかである。この世の中に、複雑で、おくゆきの知れない自然や社会のすべてを知り尽くしつ  た人などがいるはずはないから、もし疑問を持たない人がいたとしたら、その人は進歩することを捨ててしまった人である。いろいろな事物や現象について次々に疑問をいだくのは、その人が進歩している証拠しょうこである。
 要するに、科学的であるということは、一面、疑問を解決し、疑問を減らすことでありながら、多面、疑問をふやすことでもある。われわれは、いくつになっても、絶えず疑問を持ち続け、その疑問の解決に向かって努力したいものである。なぜならば、そのことはその人の進歩・成長につながるばかりでなく、人間の社会の幸福と発展にもつながるからである。
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a 読解マラソン集 11番 若いころ、僕は mi3
 若いころ、ぼくはよく山へ行った。当時はバスもあまりなく、駅に降りてからはひたすら歩くだけで、川沿いに山懐やまふところに入って行く道は長かった。そこでぼく驚嘆きょうたんするように知ったことは、よくこんなところにまでと思うほど谷のおくのほうにまで、ねこの額のような田んぼがあったことだった。
 また、山の中には杣道そまみちがあり、粗朶そだを背にした土地の人とも会ったものだった。そして、谷も山も実に美しかった。
 米が過剰かじょうになって、政府が減反げんたん政策を始めた時、ぼくがまず感じたことは、あの谷沿いの田はもうとっくになくなったろうな、ということだった。そこではじめて「谷は荒れるあ  だろうな」と気付いた。
 農家の人は、田んぼがあるからそんなおくまで入り、その田を守るために谷のようすや山のようすに気をつかう。その田がなくなれば、谷の斜面しゃめん崩れくず ていても、倒木とうぼくが谷をせき止めていてもわからない。そうなれば、鉄砲水てっぽうみずが起こり、谷はさらに荒れあ て下流の地域に被害ひがいをおよぼす。
 つまり、そういう田んぼは、山や川と人間生活との間に緩衝帯かんしょうたいの役割を果たしていたということだ。しかもそれは、何百年もの間、農家の人々によって支えられ続けてきた。そのおかげで僕らぼく は、水の猛威もうい見舞わみま れることなく、美しい自然とつきあってこられたということだ。
 もはやあんな谷沿いの田んぼは、日本中どこへ行ってもありはしないだろう。そして米が自由化されたとしたら、水田はごくごく条件のいい平野部にしか残るまい。
 ということは、何百年にもわたって保たれてきた自然と人間の折り合いは、初めて変化を余儀なくよぎ  されることになる。僕らぼく がそれによって何を失うか、それは今想像できることよりはるかに大きなものに違いちが ない。
 ヨーロッパの文明は、自然を征服せいふくするかたちでつくられてきたが、日本の場合はそうではない。征服せいふくや加工ではなく、自然と折り合いをつけながら文明をつくってきた。
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 たとえば、米を作ればイナゴが繁殖はんしょくするが、僕らぼく の先祖は、そのイナゴも食品として取りこんでしまった。日本人の自然との付き合いかたは、そこまで一体化しているのである。
 またその発想で、山の幸海の幸も、さほど加工することなく独自の食文化に高めてきた。それだけではない。短歌や俳句でわかる通り、圧倒的あっとうてき詠わうた れているのは自然であり、自然に託したく た心象である。
 こうした伝統的な文化はここまで工業化した現在でも、僕らぼく の中に深く根を下ろしている。宗教も、四季折々の生活行事も、すべて稲作いなさく農耕文化を基盤きばんにしているのだ。
 言うならば、稲作いなさく農家というのは日本文化の母胎ぼたいである。文化というのは博物館を造ることではない。歴史に耐えた てきたわらぶき屋根の家を、形を変えて利用し続けることなのである。
 今の若い人は、リツがいいとか悪いとか、何ごとによらず経済合理性で割り切りたがる。というより、そんなふうにドライに割り切った言い方をすることが格好いいと思っているふしがある。
 それからすれば米の自由化も、「そんなに値段が違うちが んなら、しかたないじゃない」と言うかもしれない。しかし、地球規模で気象が変わり、アメリカで米がとれなくなることもあり得ることを考えれば、それはどこまで合理的かということだ。
 あるいは中には、「ご飯とかはあまり食べないから」と、どうでもいいと思っている人もいるかもしれない。おそらく今の若者は、米よりパンのほうが好きだろう。それはそういうものだと思う。
 なぜなら味覚というのは、時間をかけ訓練されて磨かみが れるもので、若いうちは微妙びみょうな味はわかりにくい。はっきり言えば、うまいものをさんざん食べてきて四十、五十になり、「やっぱり飯はうまいなあ」と感じられるようになるのが、米の味というものだ。その時になって、うまい米がないと言っても遅いおそ のである。
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a 読解マラソン集 12番 日本人はなにかというと mi3
 日本人はなにかというと人に贈りおく ものをする。たいした意味がなくても、ぼんと暮れになると、中元、歳暮せいぼ贈らおく ないと気がすまない。虚礼きょれいではないか、やめてしまえ、という声がときおりおこるけれども、贈答ぞうとうはいっこうに減らない。われわれは贈りおく ものをしないと落ち着かないようにできているのかもしれない。同じ日本人なら、同じような気持ちをもっているから、ときにおかしいと思う人がいても、贈れおく ばだいたい受け取って、形だけにしても、ありがたかった、うれしかった、と礼を言ってくれる。
 そういうことになれ切っていると、相手が外国人であっても、つい同じことをしてしまう。こちらが善意であれば、その気持ちだけはすくなくとも通じるだろうとのんきに考える。それがそうではないことがあるのだということは、苦い経験をしてからでないと、わからないからやっかいである。
 たとえば、アメリカ人にとって日本式の贈りおく ものがどういうように受け取られるか。これについてはこういうエピソードがある。
 日本に住むあるアメリカ人が隣家りんかの日本人の奥さんおく  からある日、くだものをもらった。くれたのは奥さんおく  だが、奥さんおく  が買ってきたものではない。奥さんおく  のところへ来た知り合いが奥さんおく  贈っおく たものだ。この知人はクルマで来て、そのアメリカ人の庭先へ駐車ちゅうしゃさせてもらった。奥さんおく  とアメリカ人との間で、必要なときには自由に使っていいという話のついている庭先である。しかし客は知らん顔ではまずいと思った。奥さんおく  にもってきたくだものを、アメリカ人にあげてくれと頼んたの だ。奥さんおく  にはまた別のものを考えると言うのであろう。奥さんおく  は言われるままに、客が帰ったあと、くだものをもってアメリカ人のところへ来たのである。
 ところがアメリカ人は喜ばない。どうしてくれるのかわからないのだ。やるといわれても、迷惑めいわくだと感じる。こちらがくだもの好きだとわかってくれたのではない、しかも、会ったこともない人からのくだものをどうして受け取れるか。相手はかまわず、そういうものをくれるのは、こちらの人間、個性を無視していて、おもしろくない。駐車ちゅうしゃさせてもらってありがたいと思ったなら、なぜ本人がやってきて、ひとこと、ありがとう、と言ってくれないか。そのほ
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うがわけのわからないくだものをもらうよりどれだけうれしいか知れない。会えば、知り合いになるチャンスだって生まれる……。そんな風に感じたが、このアメリカ人は結局、となり奥さんおく  のくだものを受け取った。断っては、奥さんおく  の顔をつぶすことになるだろうという日本的考え方をしたものである。
 プレゼントをしていいのは、相手の好み、趣味しゅみをよく知っていて、それに合ったものがあるときである。奥さんおく  のところへもってきたものを、そのまま隣家りんかのアメリカ人へまわすのは、送り先の人のことを無視するのもいいところで、はなはだまずい。
 贈りおく ものはときとして、とんだ災難のもとになることもある。
 日本で勉強しているアメリカ人の女子大生が、バイクでジグザグ走行していてトラックに接触せっしょく転倒てんとうし、軽い怪我けがをした。入院したが、非は自分側にあると思っていたから、トラックを責める気はまったくなかった。ところが、トラックの運転手は、いくら自分の責任ではないにしても、現に相手は入院している。放っておけない気がしたのだろう。ブドウをもって見舞いみま に行った。これがいけなかった。それまでは神妙しんみょうだったアメリカ人学生は、そこで考えを一変させた。この運転手は自分にワイロを贈ろおく うとした。悪い人間である。事故はこの運転手によっておこった。というような話をつくり上げてしまったのである。
 トラック会社と運転手を訴えうった て、裁判に勝ち、トラック会社から多額の賠償ばいしょう金をせしめることに成功した。ずいぶん高いことについたブドウである。善意がとんでもない解釈かいしゃくをされてあだになってしまった。贈りおく ものの文化が万国共通のものではないことを知らないでおこった小悲劇である。ことにあまり意味のないプレゼントをするのになれていると、つい気軽に人にものを進呈しんていしがちになる。相手をよく考えてからでないと贈りおく ものをしてはいけない。国際的な場面においてはとくにそれに注意する必要がある。

外山滋比古とやましげひこ『英語の発想・日本語の発想』)
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