a 読解マラソン集 5番 トロンボーンのアズモが me3
 トロンボーンのアズモが親指をたてて「いけるね」と合図してきた。アズモに答えたとたんに、会場が見えた。観客の一人、一人の顔が見分けられる。
 お母さんは正面の二階席最前列にいた。「あそこにいたか」と克久かつひさがちらりと視線をやった。隣りとな は今朝まだ名古屋から戻っもど ていなかったお父さんだ。久夫と百合子が並んでいるのは意外だった。それから、克久かつひさは何かを「あれ」と感じた。そのあれが何なのかは解らないが、二人が初めて並んで座っているのを見たような気がしたのだ。例えて言えば同級生が花の木公園でデートをしているのを目撃もくげきしたような感じだった。両親はいつもより若々しかった。
 それは一瞬いっしゅん閃光せんこうだった。
 曲名と学校名を紹介しょうかいするアナウンスが会場に入った。指揮台わきに滑り込むすべ こ ようにたどりついた森勉が、実に素早く息を整えた。アナウンスが終わると同時に、ベンちゃんの息をきらしていたかたは、静かになった。指揮台に上がった時には、数秒前まですばしっこく走り回っていたのがうそのようだ。有木と目が合う。指揮棒が振り上げふ あ られた。高く澄んす だクラリネットの音が観客をしっかりつかまえた。ティンパニが鳴り響くな ひび 
交響曲こうきょうきょく譚詩たんし」は無難にこなした。祥子さちこがマリンバの位置に移動するほんの数秒のことだ。会場は水を打ったようだ。再び指揮棒が振り上げふ あ られた。
 ティンパニが静かに打ち鳴らされ、チューバなどの低音グループが最初の主題を奏で始めた。克久かつひさは真っ直ぐに立っている。立っているけれども、既にすで 身体は音楽の中に吸い取られていた。何か、大きなものに包まれる感覚だった。
 そこにあるものは、目に見えるものではなかった。が、克久かつひさは全身で、そこに確かにある偉大いだいなものに参与さんよしていた。入るとか加わるとか、そういう平たい言葉では言い表せない敬虔けいけんなものであった。感情というようなちっぽけなものではなくて、人間の知恵ちえそのものの中に、自分が存在させられていた。それが参与さんよということだ。
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 低音グループが奏でた主題に木管が加わり、音の厚みが増す。やがてティンパニがクレシェンドで響いひび た。それを木管楽器たちが優しく清らかな歌で迎えむか た時には、克久かつひさの胸の中にあの大きな夕陽があかあかと燃えた。いつも、そこで大きな夕陽が現れる。もちろん、克久かつひさはただ音楽に酔っよ ていたわけではない。指揮棒はたえず、音が加わるべき位置の指示を出していたし、はくは正確に数えられていた。部員だけに解る伝令が走り回っていた。それでも、あかあかとした夕陽は決して克久かつひさの目の中から消えなかった。夕陽の周囲に見慣れた団地の眺めなが があり、それが斜めなな に射す陽の光を受けて、尊いものとして輝きかがや を帯びた。克久かつひさは音の中にそういうものを見ていた。
 曲は長いを引いた孔雀くじゃくの優美な歩みや、青く光る首の動きを表しながら進んでいく。克久かつひさはホルンがタタタッタン、タタタッタンと、草原に吹くふ 風の音を奏でる間に、トライアングルをかまえた。ベンちゃんの眉毛まゆげが今だと告げる。克久かつひさが打ち鳴らすトライアングルの涼やかすず  な音を聞き逃しのが てしまう観客もいることだろう。しかし、それは決して欠くことができない重要なディテールだ。
 一つの重要な仕事を終えたかれは、おごそかな足取りで大太鼓たいこの前に進んで行く。まったくかれの足取りはおごそかとしか言いようのないものだ。たとえ、その足が三カ月以上一度も洗ったことのない上履きうわば をはいていたとしても、重要な儀礼ぎれい参与さんよする司祭のおごそかさを邪魔じゃまするものではなかった。
 曲はクライマックスをめざし、正確に進行していた。少しも間違いまちが がないとは言えない。小さなミスは、それぞれにすり傷、切り傷となってしみ込ん  こ でいたが、痛みを訴えるうった  ひまはなかった。今、ここだという指示が指揮棒の先から飛んだその瞬間しゅんかんに、克久かつひさは大太鼓たいこを一発、十分に抑制よくせいして打ち込んう こ だ。もう一発、重要な部分がある。その指示は指揮棒からはこない。ベンちゃんの眉毛まゆげがここだぞとその打ち込むう こ べき位置を教えた。克久かつひさの一発に続いて、マアさ
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読解マラソン集 5番 トロンボーンのアズモが のつづき

んがシンバルを華やかはな  響かせひび  た。孔雀くじゃくがその羽を震わせふる  ながら開く時の光そのものが、マアさんのシンバルの音だった。すかさず金管が高らかに孔雀くじゃくの羽の輝きかがや 繰り広げるく ひろ  
 金管が華やかはな  孔雀くじゃくの大きく広げられた羽そのものを表現した中へ、あの夕暮れの風のようなホルンが通り過ぎていき、ティンパニが最後を力強く締めくくっし    た。次の瞬間しゅんかん、すべての音は完全に消え失せると同時に、威勢いせいをほこった孔雀くじゃくの姿も消えた。
 四十七人の部員と一人の指揮者がいる。
 拍手はくしゅ湧きわ 起こるより先に、四十七人の部員は、ただの中学生に戻るもど 
 克久かつひさは中学校を卒業するまでの間に何度となくこの不思議な瞬間しゅんかんを経験することになるが、最初に経験したのはこの時だった。
 夢から覚めるというようなあいまいなものではなかった。この世界には敬虔けいけん参与さんよすべき何かがあることが明快に身体で解る場所がそこにあった。そこから大事なものは隠さかく れてしまっている場所へ戻っもど たということだ。大事なものは隠さかく れてはいるが、克久かつひさはその痕跡こんせきをしっかり握っにぎ ていた。だから、ホールのロビーで久夫から「上手だな」と言われた時、みょうにしらけた気持ちになった。久しぶりに見る父親の顔だが、克久かつひさはあまりうれしそうな顔はできなかった。
おれ、ちょっと、二発目の大太鼓たいこの入りが遅れおく たから。まずかった」
「いや、うまいよ。上手だよ」
 久夫に言われるほど、克久かつひさはしらけてしまう。そのしらけかたは地区大会で百合子に「小学生とはぜんぜん違うちが 」と言われた時の、それどころじゃないという感じとは違っちが た。久夫に「うまい」と言われるほど、克久かつひさの満足した気持ちがにごっていくような感じだった。
中沢なかざわけい「楽隊のうさぎ」)
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a 読解マラソン集 6番 その日は土曜で、 me3
 その日は土曜で、俊亮しゅんすけが帰ってくる日だった。お民と次郎じろうは、めいめいに違っちが た気持でかれの帰りを待っていた。
 次郎じろうたきぎ小屋に一人ぽつねんとこしをおろして考えこんでいた。そこへ、お糸婆さんばあ  直吉なおきちとが、代わる代わるやって来ては、お父さんのお帰りまでに、早く何もかも白状したほうがいい、といったようなことをくどくどと説いた。もうみんなも、次郎じろう算盤そろばん破壊はかい者と決めてしまっているらしかった。
 次郎じろう彼らかれ に一言も返事をしなかった。そして、父が帰って来て母から今日の話を聞いたら、きっと自分でこの小屋にやって来るに違いちが ない。その時何と言おうか、と考えていた。
(何でおれは罪をかぶる気になったんだろう。)
 かれはその折の気持が、さっぱりわからなくなっていた。そして、いつもの押しお の強さも、皮肉な気分もすっかり抜けぬ てしまった。かれは自分で自分を哀れあわ っぽいもののようにすら感じた。なみだがひとりでに出た。――かれがこんな弱々しい感じになったのはめずらしいことである。
 ふと、小屋の戸口にことことと音がした。かれは、またかと思って見向きもしなかった。だれもはいって来ない。しばらくたつと、また同じような音がする。何だか子供の足音らしい。かれは不思議に思って、そのほうに目をやった。するとなかば開いた戸口に、俊三しゅんぞうが立っている。
(ちくしょう!)
かれは思わず心の中で叫んさけ で、くちびるをかんだ。
 しかし何だか俊三しゅんぞうの様子が変である。右手の食指を口に突っこみつ   、ややうつ向きかげんに戸口によりかかって、体をゆすぶっている。ふだん次郎じろうの眼に映る俊三しゅんぞうとはまるでちがう。
 次郎じろうは一心にかれを見つめた。俊三しゅんぞうは上眼をつかって、おりおり盗むぬす ように次郎じろうを見たが、二人の視線が出っくわすと、かれはくるりとうしろ向きになって、戸によりかかるのだった。
 かなりながい時間がたった。
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 そのうちに次郎じろうは、俊三しゅんぞうにきけば、算盤そろばんのことがきっとはっきりするにちがいない、ひょっとするとこわしたのはかれなのかもしれない、と思った。
しゅんちゃん、何してる?」
かれはやさしくたずねてみた。
「うん……」
 俊三しゅんぞうはわけのわからぬ返事をしながら、敷居しきいをまたいで中にはいったが、まだ背中を戸によせかけたままで、もじもじしている。
 次郎じろうは立ちあがって、自分から俊三しゅんぞうのそばに行った。
算盤そろばんこわしたのはしゅんちゃんじゃない?」
「…………」
俊三しゅんぞうはうつむいたまま、下駄げたで土間の土をこすった。
ぼく、だれにも言わないから、言ってよ。」
「あのね……」
「うむ。」
ぼく、こわしたの。」
次郎じろうはしめたと思った。しかしかれは興奮しなかった。
「どうしてこわしたの?」
かれはいやに落ちついてたずねた。そしてさっき自分が母にたずねられたとおりのことを言っているのに気がついて、変な気がした。
「転がしてたら、石の上に落っこちたの。」
縁側えんがわから?」
「そう。」
「お祖父さんの算盤そろばんって、大きいかい?」
「ううん、このぐらい。」
 俊三しゅんぞうは両手を七八寸の距離きょりにひろげてみせた。次郎じろうは、いつの間にか、俊三しゅんぞう憎めにく なくなっていた。
しゅんちゃん、もうあっちに行っといで。ぼく、だれにも言わないから。」
 俊三しゅんぞうは、ほっとしたような、心配なような顔つきをして、母屋のほうに去った。
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読解マラソン集 6番 その日は土曜で、 のつづき

 そのあと、次郎じろうの心には、そろそろとある不思議な力がよみがえって来た。むろん、かれに、十字架じゅうじかを負う心構えができあがったというのではない。かれはまだそれほどに俊三しゅんぞうを愛していないし、また、愛しうる道理もなかった。俊三しゅんぞうに対して、かれが感じたものは、ただ、かすかな憐憫れんびんの情に過ぎなかったのである。しかし、このかすかな憐憫れんびんの情は、これまでいつも俊三しゅんぞうと対等の地位にいたかれを、急に一段高いところに引きあげた。それがかれの心にゆとりを与えあた た。同時に、かれの持ち前の皮肉な興味が、もくもくと頭をもたげた。自分でやったことをやらないとがんばって、母を手こずらせるのもおもしろいが、やらないことをやったと言い切って、母がどんな顔をするかを見るのも愉快ゆかいだ、とかれは思った。いわば、冤罪えんざい者が、獄舎ごくしゃの中で、裁判官を冷笑しながら感ずるような冷たい喜びが、かれの心のすみで芽を出して来たのである。
 かれはもうだれもこわくはなかった。父に煙管きせるでなぐられることを想像してみたが、それさえ大したことではないように思えた。むしろかれは、これからの成り行きを人ごとのように眺めるなが  気にさえなった。そして、今度母に詰問きつもんされた場合、筋道のとおった、もっともらしい答弁をするために、かれはもう一度たきぎの上に腰掛けこしか て考えはじめた。
 もうその時には日が暮れかかっていた。小屋はしだいに暗くなって来た。そろそろ夕飯時である。しかし、お糸婆さんばあ  も、直吉なおきちも、それっきりやって来ない。このまま放っておかれるんではないかと思うと、さすがにいやな気がする。かといって、こちらからのこのこ出て行く気には、なおさらなれない。
(父さんはもう帰ったかしらん。帰ったとすればこの話を聞いて、どう考えているだろう。父さんまでが、もし知らん顔をして、このままいつまでもぼくを放っとくとすると、――)
 次郎じろうはそう考えて、胸のしんに冷たいものを感じた。そして、次の瞬間しゅんかんには、その冷たいものが、石のように凝結ぎょうけつして、かれをいよいよがんこにした。
(下村湖人「次郎じろう物語」)
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a 読解マラソン集 7番 会話で基本的なのは、 me3
 会話で基本的なのは、自分の考えや感情をうまく伝えることだ。もし会話に「秘訣ひけつ」というものがあるとすれば、それはこの点にある。自分の考えと感じたことを口に表せて、はじめてあなたはその会話に加わっていると言える。
 このことは常識と言えるけれども、実際の会話では実行できなくて、だから会話が生気を帯びてこない。反対に私たちは自分の考えや感情を隠しかく 喋るしゃべ ことが多くて、いつの間にか、自分の考えや感情を口に言い表せなくなっている。そういう傾きかたむ がある。自分はどう感じるか、自分はどう考えるか――これが会話意識の中心であるべきなのに、相手はどう感じているのか、どう考えているのか――この方向に意識が働きがちなのである。
 自分の考えや感じたことを言い表すことは欧米おうべいの会話の原則だが、この明るい原則の裏側にある意識も彼らかれ は十分に開拓かいたくしている。すなわち、自分の考えを表明するのではなくて隠すかく ために喋るしゃべ という意識である。
そうとして黙っだま ていることと、そうとしてしゃべくること―この両方を見わけねばならぬ。」とヴォルテールは言っている。
 私たちの間では、「都合の悪いことは言わない」という会話常識がある。そうとして、黙っだま ているという方向だ。それほど意識的でなくとも、黙っだま ていることで隠そかく うとする傾きかたむ がある。しかし西洋の会話では、相手が黙るだま 時はなにか隠しかく ていると勘ぐるかん  ことが多い。そこで逆に積極的にうそ喋っしゃべ て本当のことを隠そかく うとする。時にはそれが人の習性となることもある。それでヴォルテールはまた言っている――「人は自分の本当の考えを隠すかく ためにのみ会話を用いる。」と。
 実際、たいていの人々は互いたが の本当の考えや気持ちを隠しかく 喋りしゃべ あい、それを会話と呼んでいるとも言える。そんなやり取りが大部分を占めるし  のかもしれない。しかしそんな浅い層をもって会話を代表させたり、その層での技術や喋りしゃべ 方を教習したりするのは、本書の目的ではない。やはり、「自分の心を開いて語る人こそ、あなたを喜ばす人だ」というジョンソン博士の言葉を第一としたいが、そこに至る前にまあもう少しこの浅い層の会話相を語ろう。
「人の頭脳は、ひとつのことを言いつつ他のことを考えるくらい、
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わけのないことなのだ」(ピュブリリウス・シルス)
 これはすでにローマ時代の発言であり、以来、西欧せいおうの知性人は、考えることと口にすることとの分裂ぶんれつを意識しつつ現代に至っている。私たちと比べて彼らかれ はずっと、思ったことをすぐ口にする傾向けいこうなのだが、それでも思ったことを口にして人を傷つけることには、彼らかれ なりに用心する。
 私たちは「思わず口が滑っすべ た」と言う。英語ではそれをa slip of the tongueと言い、ともに「滑るすべ  slip」で一致いっちしているのは面白い。心に隠しかく ておいた考えがつい口に出てしまう時、私たちはそれにかなり寛大かんだいであり、ゆるしたり無視したりするが、欧米おうべい人の会話では、そのスリップを許さないことが多い。その場で追求するか、憶えおぼ ていてあとでトッチめるかする。彼らかれ の心は一般にいっぱん 鋭くするど 働き、批判的な見方をしがちだ。それを剥きむ だしに言えば相手の感情を傷つけると知っていながら、なかなか舌の働きを押さえお  られない。
「会話の秘訣ひけつはなにか――自分の言うべきことを心得るという点ではなくて、自分の言ってはならぬことを心得ておくという点である」(無名氏)
 こんな言葉が戒めいまし となるのも、彼らかれ の口が滑りすべ がちだからで、自分の考えを伝えるにしろ、隠すかく にしろ、とにかく喋るしゃべ のである。その気持ちだけは押さえお  られない。当然に、言ってはならぬことへの自制を欠いてスリップしがちなのだ。
 このことは私たちの側から考えるとさらに明瞭めいりょうになる。
 私たちは言ってはならぬことを意識しすぎて自制し、その結果、だまりがちとなり、会話が活発にならず、それで互いたが 退屈たいくつする。そういう傾向けいこうのほうがつよい。会話では上下の関係、家庭では夫婦の間、学校では教師と学生の間、そういう関係にはこの意識がまだ強く残っている。
 私たちは遠慮えんりょ深さや慎みつつし のかげに隠れかく て、都合のわるいことを言わずにすます。自分の心にある気持ちを明かさずにすます。知らん
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読解マラソン集 7番 会話で基本的なのは、 のつづき

ぷりをする。相手に忠告することのできる時にも、しないですます。いつしか自分の心を開いて話す習慣を見失ってゆく。こういったネガティブ(否定的・消極的)な面を発達させている。
 それでこの無名氏の「言ってはならぬことを心得よ。」という警句は、私たちには必要でない。私たちは「言ってはならぬこと」を忘れようとすべきだ。なぜなら意識的にせよ無意識的にせよ、私たちは常にこの警告を念頭にもつからだ。むしろ「言ってはならないこと」という心のわくを大はばに取り去っても、毒念さえなければ相手を傷つける恐れおそ がないのだ。
 まずそういう心のなかの「わくはずし」によって、生きた会話の復活にむかいたい。
 私たちの「口をつつしむ」心は美徳から来ている。私たちのほうが外国人よりもずっと会話の礼儀れいぎをわきまえ、自我を押さえるお   自己訓練ができている。調和を考え、遠慮えんりょし、用心深く、相手にいやな思いをさせまいとする。そういう社会的訓練もできている。社会的に洗練されていて、時には(彼らかれ の目から見ると)痴呆ちほう的なほど自己主張や自己顕示けんじの欲望を表に出さない。私たちのこういう心性の高さは彼らかれ には分からない。分からせるには、私たちはうんと喋っしゃべ 彼らかれ にそれを知らせるほかないという矛盾むじゅんが生じる。
 彼らかれ に私たちの礼儀れいぎや心くばりを態度で伝えることはとても不可能であり、仕方がないのでこちらが彼らかれ のほうにおりてゆく。お喋り しゃべ の仲間に加わるほかない。そして彼らかれ の「会話」に加わるとなれば、それは町の「英会話学校」での会話よりももっと率直な「会話」となるべきなのだ。そしてここまでくると、かえって、私たちの会話は上質なものとなるだろう。なぜなら、調和や慎みつつし ぶかさと率直な明快な表現力が融合ゆうごうして、それこそ「会話」をする人の大きな魅力みりょくがそこに発揮されるからだ。

(加島祥造しょうぞう「会話を楽しむ」)
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a 読解マラソン集 8番 それにしても、五億冊というのは me3
 それにしても、五億冊というのはおどろくべき数字である。世界広しといえども、これだけの量の本がつくられ、そして消費されている国は、そうたくさんはない。おそらく、日本人は、世界中で最もよく本を読む民族なのである。
 そして、つくられ、消費される本の量以上に注目すべきことは、このように大量の書物が日本では家庭の中にまでとけこんでいるという事実である。四人家族で年に十二冊、五年で百冊、とにかくちょっとした「蔵書」が、たいていの家庭でできあがっているのだ。
 もちろん、西洋の家庭にも多少の書物がないわけではない。しかし、わたしの見たかぎりでは、ふつうの家庭の場合、書物はたとえば暖炉だんろのうえに数札の小説がのっている、という程度のものであって、何十冊も何百冊もが本棚ほんだな埋めう ているのは、かなり知識人の家庭にかぎられている。
 実際、家庭用の本棚ほんだなをこんなに多種類とりそろえて家具売り場で売っている国は、世界でおそらく日本だけだ。アメリカでもヨーロッパでも、もし家庭用の本棚ほんだなというものがあるとすれば、せいぜい、サイドボードぐらいのものであって、数十冊を収容することなど、とうていできそうもない。本棚ほんだなは、よほど特殊とくしゅな場合は別として、家庭の標準備品ではないのである。
 ところが、日本の家庭にはたいてい本棚ほんだながある。規模の大小は別として、ともかく「蔵書」がある。たとえば書斎しょさいはなくても、廊下ろうかのつきあたりとか居間のかべぎわとかに本棚ほんだながあり、全集ものがならんでいる。それが平均的な日本の家庭の風景なのだ。書物のない家庭は日本にはない。
 これと対照的に西洋の家庭で気がつくのは、やたらに大型のグラフ雑誌などがゆきわたっているという事実だ。どこの家に行っても、アメリカなら、たとえば『ライフ』のような雑誌が居間の机の上に、必ずといってよいほど積み重ねてある。しかし、それは日本の家庭ではあまり見かけない風景だ。事実、日本のグラフ雑誌は、だいたいお医者さんや床屋とこやさんの待合室の備品であって、家庭の備品にはなりにくいのである。
 それでは、書物を備品とする日本の家庭とグラフ雑誌を備品とする西洋の家庭とは、どうちがうのだろう。第一にいえることは、グラフ雑誌がその読まれ方、あるいは見られ方において集団的であるということだ。居間のソファにこしをおろして、主婦がグラフ雑誌を
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開いているとき、夫や子どもは、それに「参加」することができる。グラフは、一種の絵本のようなものだから、それをのぞきこんでいっしょに見ることができるのだ。ちょうどそれはテレビを見ているようなもので、集団的なものである。
 だが、書物となると、そういうわけにはゆかない。書物はひとりで読むものである。のぞきこんでいっしょに読むことは難しいし、第一、そんなことをされたら落ち着かない。たとえすぐそばにだれかがいても、読書というのは孤独こどくな個人の行為こういなのである。
 だから、日本の茶の間では、たとえば、主人が経営学の本を読み、主婦は文学全集を、子どもはマンガを、それぞれに黙っだま て読んでいる、といったような風景が出現する。一冊のグラフ雑誌をかこんで、家庭の全員が集団的になにかを見るのではなく、家族のそれぞれが、それぞれの本を通じて、それぞれの世界に没入ぼつにゅうしている――それが日本の家庭における読書風景なのだ。
 いささか飛躍ひやくするようだが、これはことによると、日本の住居に個室がないことと関係しているのかもしれない。どこにいても、家族と顔をつきあわせていなければならないのだから、せめて本でも読んで、自分だけの精神の個室をつくりたい、という欲求が生まれるのである。ひとりひとりが個室をもっている西洋人が、居間のグラフ雑誌をかこんで集団的な世界をたのしむのに対して、もともとがべったりと集団的な日本の家庭では、書物によって、個室的な世界を求めようとするのだ、といってもよい。いつだったか、三じょうひと間に六人というひどい住宅環境かんきょう紹介しょうかいするテレビ番組を見ていたとき、この六人の家族が、みなかたを寄せあって、それぞれに本を読んでいた情景にわたしは打たれたことがある。
 現実に個室が十分でないとき、人は、心理的な個室を、読書という方法で手に入れることができるのである。

加藤かとう秀俊ひでとし「暮しの思想」)
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問題

me-02-4 問題1
問1 読解マラソン集5番「トロンポーンのアズモが」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 「部員だけに解る伝令が走り回っていた」というときの伝令とは、人間のことではない。
B 演奏会場の窓からは、大きな赤い夕陽が見えた。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答1

me-02-4 問題2
問2 読解マラソン集5番「トロンポーンのアズモが」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 克久が感じている敬虔とは、演奏を聴きにきてくれた観客に対する気持ちである。
B 久夫に「うまい」と言われて、克久の満足した気持ちがにごったのは、久夫の言葉が本心からとは思えなかったからである。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答2

me-02-4 問題3
問3 読解マラソン集6番「その日は土曜で、」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 次郎が戸口に立っている俊三に初めて気がついたとき、(ちくしょう!)と思ったのは、真犯人が俊三だと気づいたからである。
B 次郎は、俊三の話を聞いたあと、自分が算盤を壊したことにしようと思った。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答3

me-02-4 問題4
問4 読解マラソン集6番「その日は土曜で、」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 次郎は、心の中で、俊三を許すことができなかった。
B 真犯人が俊三だとわかって、次郎は興奮した。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答4

me-02-4 問題5
問5 読解マラソン集7番「会話で基本的なのは、」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 会話には、喋ることによって本当のことを隠そうとする働きもある。
B 日本人は、西洋人に比べて、相手に遠慮しながら話すことが多い。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答5

me-02-4 問題6
問6 読解マラソン集7番「会話で基本的なのは、」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 日本人は、「口が滑る」ことに寛大だが、欧米人はより批判的だ。
B 日本人は、都合の悪いことでもすべて相手に打ち明けることが多い。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答6

me-02-4 問題7
問7 読解マラソン集8番「それにしても、五億冊というのは」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 読書は、日本人にとって心理的な個室である。
B 日本人は、世界中で最もよく本を読む民族である。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答7

me-02-4 問題8
問8 読解マラソン集8番「それにしても、五億冊というのは」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A アメリカの家庭では、居間にはグラフ雑誌が置いてあることが多い。
B 日本の家庭では、居間でグラフ雑誌のかわりにテレビを見ることが多い。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答8