a 読解マラソン集 9番 日本人の平均寿命も he3
 日本人の平均寿命じゅみょう随分ずいぶんと長くなった。われわれが子どもだったころは、六十さいなどというとまったくの「おじいさん」と思ったものだ。七十さいは現在では、「古来まれなり」とは言えなくなってしまった。七十さい超えこ て生きる人の方が多くなったのである。余程のことでもないかぎり、人間はだれしも長寿ちょうじゅを願うのだから、このことは大変喜ばしいことだが、喜んでばかりもいられないというのが、実状ではないだろうか。というのは、寿命じゅみょう延びの た老人たちがいかに生きるか、という問題が生じてきたからである。
 わたしは、二十年ほど以前に、はじめてアメリカに行ったとき、非常に印象に残ったことのひとつに、公園にたむろしている老人たちの姿すがたがあった。昼の公園には、多くの老人たちが坐りこんすわ   でいて、何もせずにじっとしているのである。つまり、彼らかれ は社会からも家族からも「無用の人」とされ、ただ時間をつぶすために公園にいるのである。その当時、日本はまだ物資の不足に悩んなや でいた。しかし、日本の老人たちの方がアメリカの老人たちより幸福なのではないかと感じたことを、今もよく覚えている。
 ところで、日本もその後急激きゅうげき発展はってん遂げと 、「先進国」の仲間入りをしたわけだが、それに伴っともな て老人の生き方の問題も大きくなってきたわけである。文明が進むと、どうして老人は不幸になるのか。それは、文明の「進歩」という考えが、老人を嫌うきら からである。文化にあまり変化がないとき、老人は知者として尊敬そんけいされる。しかし、そこに急激きゅうげきな「進歩」が生じるとき、老人は、むしろ進歩から取り残されたものとして、見捨てみす られてしまうのである。
 近代科学は、その急激きゅうげきな進歩によって人間の寿命じゅみょう延ばすの  ことに貢献こうけんしつつ、一方では、それを支える進歩の思想によって、老人たちを見捨てよみす  うとしている。この両刃もろはつるぎによって、多くの老人が悲劇ひげきの中に追いやられているのである。
 老人が、ただ年老いているというだけで尊敬そんけいされる時代は過ぎてしまった。そこで、老人たちも「進歩」に遅れおく てはならないと思
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う。老人たちは、そこで「いつまでも若くわか 」ありたいと思いはじめた。若者わかものに負けない力をもっていてこそ老人は尊敬そんけいを受けるのだから、老人もわかさを保つ努力をしなければならない、というわけである。しかし、そんなことは可能であろうか。
 最近、わたしはスイスの精神療法せいしんりょうほう家のユングについて、『ユングの生涯しょうがい』という伝記を書いた。そのとき非常に心を打たれたのは、かれ主著しゅちょ呼ぶよ べき多くの著作ちょさくが、七十さい以後に書かれていることを知ったことであった。かれは八十六さい死亡しぼうするが、死の一週間前も、なおつくえに向かって書きものをしていたという。かれがこのような力を年老いても保つことのできた秘密ひみつはどこにあるのだろうか。
 ユングは「人生の後半」の意味の重要性をよく強調する。人生を太陽の運行の軌跡きせきにたとえるなら、人間は中年においてその頂点ちょうてんに達し、以後は「下ることによって人生を全うする」ことを考えねばならない。人生の前半においては、上昇じょうしょうが中心の主題であり、社会的地位や家庭などを築くことが大切であるが、人生の後半においては、「いかにして死を迎えるむか  か」に思いを致すいた ことが重要である、というのである。生きることは、もちろん大切であるが、中年以降いこうにおいて、人間はいかに死への準備を完成してゆくかが大きな主題となるのである。
 これは聞く人によっては、奇異きいな感じを受けるかもしれない。七十さい超えこ てから、壮者そうしゃも顔負けの多くの仕事をなしとげた人が、いかに死ぬかということを強調するのは、なんだか矛盾むじゅんするように感じられないだろうか。しかし、実のところ、この点に老いることの逆説が存在そんざいしているように思えるのである。
 われわれは「老い」を避けるさ  ことができたとしても、「死」を避けるさ  ことはできない。従ってしたが  、いかに死を受けいれるかは、いかに老いるかの中心問題であり、ここに不思議な逆説が存在そんざいしていると思われる。
 がん宣告せんこくを受け、手術不能と言われてから、医者の予期に反して長く生き続ける人があることは、最近よく知られるようになった。
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読解マラソン集 9番 日本人の平均寿命も のつづき

このような点を研究したあるアメリカの心理学者は、興味深い結果を見出した。つまり、がん宣告せんこくを受けて、まったく気落ちした人は早死にする。それと同時に、何とかこれに負けずに頑張りがんば 抜こぬ うと努力する人も早死にすることがわかったのである。
 それでは、長命する人はどんな人であろうか。このような人は、がんに勝とうともせず、負けることもなく、それはそれで受けいれて、ともかく残された人生を、あるがままに生きようとした人たちであった。これはもちろん、言うは易く、行なうは難いかた ことである。しかし、勝負を超えこ た生き方が存在そんざいし、そこに建設的な意味があることを見出したことは素晴らしいことだ。
 人間は必ず死ぬのであってみれば、人間はすべての進行の遅いおそ がんになっているようなものである。若者わかものの戦う姿勢しせいを老いてそのまま持ち続けることも、弱気になってしまうのもよくない。しかし、そのいずれでもない「死の受けいれ」こそが、われわれの老年をより生き生きとしたものとするのではないだろうか。ここに老いの逆説が存在そんざいしているように思う。
 このように考えると、中年のときから死に思いを致すいた べきだと主張したユングが、死の直前まで、仕事をやり抜いぬ 秘密ひみつもわかる気がするのである。いかにしてわかさを保つかに努力するのではなく、いかにして死を受けいれるかに力をそそぐことが、老いてゆくためには大切であり、その仕事は個人個人が中年から始めていくべきことである。これについては近代科学は解答を与えあた てはくれない。

(河合隼雄はやお「働きざかりの心理学」)
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a 読解マラソン集 10番  我が家では正月に he3
 我が家わ やでは正月になると、一家全員で写真館に記念写真を撮りと に出かけることが、松の内の行事であった。写真館に行く日取りや時間は、年末に連絡れんらくがしてあって、たいていは元旦がんたんの食事が終ってから全員で出かけた。両親と子供こども六人にお手伝いさんが加わる。大変だった。写真館は駅前にあって、毎年、同じ主人が同じベレーぼうをかぶって現われた。
 父は写真が好きで、正月、墓参り、それに子供こどもの入学式、卒業式には必ず写真館にみなを連れて行った。入学式や卒業式は制服で行ったが、それ以外の記念撮影さつえいの時には父は姉達が制服を着て行くことを嫌っきら た。
 一度、元旦がんたんの朝、台所で姉がセーラー服を着て立っていた。母は困っこま た顔をして姉を説得していた。写真館での撮影さつえいが終ると、いつもそのまま子供こども達は遊びに出かけていいことになっていたので、たぶん姉は友達と初詣はつもうでか何かの約束をしていたのかも知れない。
 姉は違うちが 服に着替えきが 食膳しょくぜん座っすわ た。そこで思い切って父に、今年の記念写真はセーラー服で行ってよいか、と言った。父は姉の顔をじっと見て、
「正月の着物を用意してもらわなかったのか」
と低い声で言ってから、母をみた。父の声が低くなる時は、怒りおこ 出す一歩手前だった。父がいったん怒りおこ 出したら、家の中の全てが止まってしまう。そのこわさは、家族全員おそろしいほど知っていた。
 近頃ちかごろ、取材で写真を撮らと れることが多くなった。わたしは写真を撮らと れることが苦手である。もう少し自然に、と言われてもほおがひきつるばかりで、迷惑めいわくをかけることが多い。それでも子供こどもころに比べると格段かくだんの進歩である。
 特に写真館の撮影さつえいがいけなかった。どうしてかわからないが、あのフラッシュを焚かた れると十中八九、目を閉じと てしまった。
「はい、もう一度。ちょっと坊ちゃんぼっ   が目を閉じと ましたよ」
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とベレーぼうの主人がわたし片手かたてを差しのべるようにして、丁寧ていねいな口調で言う。ベレーぼうの口元は笑っているのだが、その目は、またこの坊主ぼうずが目をつぶった、という表情をしていた。
 写真は十日くらいで出来上ってきた。そこでわたしは笑い者になった。目を閉じと ていたはずのわたしが、フランス人形のようにマツ毛の長い少年になっている。姉達が噴き出すふ だ ほどの修整がされていたのである。
 一度、記念写真が撮りと 直しになったことがあった。わたしの顔の修整写真を見た父が怒りおこ 出したらしい。いやなことになったと思った。
 写真館に行く前の夜、母はわたしに写真を写される要領を教えてくれた。
 フラッシュが光った時に目を閉じると  のは、それまで目を開けよう開けようとしているからだ、だからそれまでは薄目うすめにしているように、と母は言った。そうしてわたし背後はいごにいる母が、撮影さつえい瞬間しゅんかんわたし背中せなかを指で突いつ て、合図をすることになった。これはなかなかの名案だと思った。
 翌日よくじつ夕暮れゆうぐ 、全員で写真館に行った。父は撮影さつえいの前に別室で主人に小言を言っていた。地声の大きい人だったから、その話がスタジオで待つ全員に聞えた。わたしはよけいに緊張きんちょうした。母を見ると笑って指を突き立てつ た てポンと叩くたた 仕種をした。写真館の主人が現われた。かれは額にあせをかいていた。わたしと主人の目が合った。それぞれの位置が決まると、写真館の主人がわたしの顔をじっと見て、
坊ちゃんぼっ   、もう少し目を開けましょうか」
と言った。しかしわたしは母との約束で、薄めうす を開けたままにしていた。
坊ちゃんぼっ   、もう少し……」
と主人がまた言うと、
「何しとるんだ」
と父が大声で怒鳴っどな た。すると、
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読解マラソン集 10番  我が家では正月に のつづき

大丈夫だいじょうぶです。撮っと て下さい。どうぞ」
と母が大きな声で言った。母が父の前でそんな声を出したのを、わたしは初めて聞いた……。
 あのころ我が家わ やにとって一家揃っそろ てどこかへ出かけるということは大変なことだった。母は数日前からなにかと準備をしていた。しかし今考えてみると、母は父が癇癪かんしゃくを起さないようにと気を配っていたのではなく、一家全員が顔を揃えるそろ  ことが生活の中の節目節目の時にしかないことをよく知っていて、家のしきたりのようなものをちゃんと子供こども達にもしつけようとしたのではないかと思う。
 年を越せこ ない家族がまだ沢山たくさんいた時代だった。昼も夜も働いて、六人の子供こどもや何十人かの従業じゅうぎょう員と無事に新しい年を迎えるむか  ということは大変なことだったはずだ。全員が元気に年を越せこ た証の行事を、母が一番喜んでいたのではないだろうか。
 いつのころからか、わたしや姉達は正月に帰省しなくなった。
 元日の朝、緊張きんちょうして父の前に並んなら だ母や姉達、そしてわたしがいた。その時間が今ひどく大切なものに思えて仕方がない。懐かしんなつ   でいるのではない。正座せいざをして目上の人の前に座るすわ ように、家族が元日という時間の前に正座せいざをしていたように思う。あの張りつめた時間は、ピンと張った家族の糸だったのではなかろうか。
 母がわたし背中せなか押しお てくれた日の写真。わたしは前にんのめって、ビックリした顔で写っている。目は、開きすぎるほど開いて……。

伊集院いじゅういん静「正月の風景・家族の糸」)
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a 読解マラソン集 11番 小雨が靄のようにけぶる he3
 小雨がのようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っわた ていた。
 双子ふたごしまの着物に、小倉の細い角帯、色の褪せあ た黒の前かけをしめ、頭から濡れぬ ていた。雨となみだとでぐしょぐしょになった顔を、ときどき手の甲て こうでこするため、眼のまわりやほおが黒くまだらになっている。ずんぐりしたからだつきに、顔もまるく、頭が尖っとが ていた。――かれが橋を渡りわた きったとき、うしろから栄二が追って来た。こっちは痩せや たすばしっこそうな(からだつきで、おもながな顔の濃いこ まゆと、小さなひきったくちびるが、いかにもかしこそうな、そしてきかぬ気の強い性質をあらわしているようにみえた。
 栄二は追いつくとともに、さぶの前へ立ち塞がった ふさ  た。さぶは向いたまま、栄二をよけて通りぬけようとし、栄二はさぶのかたをつかんだ。
「よせったら、さぶ」と栄二が云っい た、「いいから帰ろう」
さぶは手の甲て こうで眼を拭きふ 咽びむせ あげた。
「帰るんだ」と栄二が云っい た、「聞えねえのか」
「いやだ、おら葛西かさいへ帰る」とさぶが云っい た、「おかみさんに出ていけって云わい れたんだ、もう三度めなんだ」
「あるきな」と云っい て栄二は左のほうへあごをしゃくった、「人が見るから」
 二人の少年は橋のたもとを左へ曲った。雨は同じような調子で、んど音もなくけぶっていた。
「おらほんとに知らなかったんだ」とさぶが云っい た、「ゆうべ粉ぶくろ戸納とだなへしまってたときに、勝手で使うから一つ出しておけって、おかみさんに云わい れた、だから一つだけ残しといたんだ、そしたらそのふくろが出しっ放しになってて、おかみさんは使ったあとでしまっとけって、そのふくろを返したのに、おれがしまい忘れわす たっていうんだ」
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くせだよ、くせじゃねえか」
「粉が湿気しっけをくっちゃった、へまばかりする小僧こぞうだって」さぶは立停って、手の甲て こうで眼のまわりをこすりながら泣いた、「――おら、返してもらわなかった、そんな覚えはほんとにねえんだ、ほんとに知らなかったんだ」
くせだってば、おかみさんはなんとも思っちゃあいねえよ」
「だめだ、おら、だめだ、ほんとにとんまで、ぐずで、――自分でも知ってた、とても続けられやしねえ、もうたくさんだ」さぶはのど詰らつま せた、「おら、思うんだが、いっそ葛西かさいへ帰って、百姓ひゃくしょうをするほうがましだって」
 広い河岸通りの、右が武家屋敷やしき、左が大川で、もう少しゆくと横網よこあみになる。折助とも人足ともわからない中年の、ふうていのよくない男が二人、あなのあるかさをさして、なにかくち早に話しながら、通りすぎていった。その男たちの、半纏はんてんの下から出ているはだかすねが、栄二にはひどく寒そうにみえた、さぶはあるきだしながら、小舟こぶね町の「芳古堂ほうこどう」へ奉公ほうこうに来てから三年間の、休むひまもなくあびせられた小言と嘲笑ちょうしょうと平手打ちのことを語った。それは訴えうった の強さではなく、赤児のなが泣きのような、弱よわしく平板なひびきを持っていた。大川の水がときたま、思いだしたように石垣いしがき叩きたた 、低い呟きつぶや の音をたてた。
奉公ほうこう辛いつら のはどこだっておんなしこった、おかみさんの口の悪いのはくせだし」と栄二はつかえつかえ云っい た、「それにおめえ、女なんてもともと、――車だ」
 栄二がさぶのうで触りさわ 、二人は立停って川のほうへよけた。からの荷車を曳いひ た男がうしろから来て、二人を追いぬいていった。
うでに職を付けるのはつれえさ」と栄二は続けた、「考えてみな、葛西かさいへ帰ったって、朝からばんまで笑ってくらせやしねえだろう、それとも百姓ひゃくしょうはごしょう楽か」
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読解マラソン集 11番 小雨が靄のようにけぶる のつづき

葛西かさいのうちなら」とさぶが云っい た、「出ていけなんて云わい れることだけはありゃしねえ」
「ほんとにそうか」
 さぶは返辞をしなかった。栄二も返辞を期待していなかった。さぶは葛西かさいにある実家のことを考えてみた。こしの曲った喘息ぜんそく持ちの祖父、気の弱い父と、男まさりで手の早い母、朝から母と喧嘩けんかの絶えない口やかましい兄嫁あによめ、三人いる弟妹と、呑んの だくれの兄と、五人もいるおいめいたち。うす暗くすすだらけな、古くて狭くせま て、ぜんたいが片方かたほう傾いかたむ ている家や、五反歩そこそこの痩せや た田畑など。さぶは途方とほうにくれ、しゃくりあげながら、またあるきだした。
「おめえにゃあ田舎がある」いっしょにあるきながら栄二が云っい た、「どんなうちにしろ帰るところがあるからいい、だがおらあ親きょうだいも身寄りもねえ独りぼっちだ、今年の春、おらあ店を追ん出されるようなことをしちまった、追ん出るか、どっちか一つという、とんでもねえことをしちまったんだ」
 さぶはそろそろと振り向いふ む て、栄二の顔を見た。好奇こうき心からではなく、戸惑っとまど たような眼つきであった。栄二はふきげんな、怒っおこ てでもいるような口ぶりで、自分が去年から幾たびいく  か帳場の銭をぬすみ、それを主婦のお由にみつかったのだ、と告白した。
 お由は二度だけしか見なかったのだろうか、それともすっかり知っていて、わざと知らないふうをよそおったのか、いずれにもせよ、栄二は死ぬほど恥じは 、もう店にはいられないと思った。自分をぬすっとだなどとは考えもしなかったが、銭箱から銭をつかみだした自分の姿すがたが、あさましくて恥ずかしくは    て、そのまま店にいる気になれなかったのだ。
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「だが、店をとびだしてどこへゆく」と栄二は続けた、「おらあ八つの年、大鋸おおのこ町で夏火事にあい、両親と妹に焼け死なれた、おれ一人は白魚河岸へ釣りつ にいっていて助かったが、ほかに身寄りは一けんもなかった、おやじは伊勢いせから出て来たと云っい てたが、伊勢いせのどこだかおらあ覚えちゃいねえし、覚えていたって頼ったよ てゆけるもんじゃあねえ、おらあそのときくれえ自分にうちのねえことが悲しかったこたあなかった」
「知らなかった、おら、ちっとも知らなかった」とさぶが呟いつぶや た、
「――それで栄ちゃんは、がまんしたんだね」
「銭も二度とはぬすまなかった」
 二人は横網よこあみの河岸まで来てい、さぶが立停って、地面をみつめ、濡れぬ て重くなった草履ぞうりの先で、地面を左右にこすった。

(山本周五郎しゅうごろう「さぶ」)
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a 読解マラソン集 12番 オーストラリアのヨーク半島 he3
 オーストラリアのヨーク半島のつけね、西側にいたイル=イヨロント族の変化を見てみます。
 かれらは食料採集民で、狩りか をしたり木の実を集めたりという生活をしていました。かれらにとっても石斧いしおのは男のものでした。奥さんおく  子供こどもが借りることはできましたけれど、借りるとき、返すときのあいさつは、夫は妻に、父は子に優位ゆういに立っていることを確かめる機会でした。そこへ白人がやってきて、鉄のおのが入ってきました。イル=イヨロント族の人びとが白人の手助けをすると、その代償だいしょうとして鉄のおのをくれたりします。ときには、奥さんおく  が鉄のおのをもらうことがあります。夫のほうは石のおのしかもっていないのに、奥さんおく  が鉄のおのをもっていることになります。そうすると、「すまんけど、おまえの鉄のおのを貸してくれ」ということもおきてきます。これが石が鉄に代わったことでおきたさまざまな結果の一つです。
 もっと重要なことは、イル=イヨロント族が浮いう た時間をどう使ったかということです。この点にいまわたしは大きな関心をもっています。
 浮いう た時間を使って、なんとかれらは昼ねをしたのです。わたしはじつは、その部分を読んだときに吹き出しふ だ てしまいました。この笑いには軽蔑けいべつの意味もふくまれていたと思うのです。ところが、わたしのこの感想はじつはまちがっていた、といまは思っています。
 二千年前、日本ではどうだったでしょうか。石から鉄へと変わってきたときに、弥生やよい人はおそらく浮いう た時間で宴会えんかいに出席することも、昼寝ひるねをすることもしませんでした。石から鉄への変化を、生産力の飛躍ひやく的な増大につなげたのです。いままで石のおのが一本倒したお ている時間で、四本倒すたお というぐあいに、すごく生産力を高めたのです。
 四世紀、六世紀(古墳こふん時代)の農民が働き者だったことは、群馬県で火山の噴火ふんか洪水こうずいの直後に復旧工事にとりくんだ証拠しょうこからわかっています。また、日本の農業が草をとればとるほど、よい収穫しゅうかく
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を約束される農業であることから、弥生やよい農民が働き者だったことを、わたしは予測しています。
 パプア=ニューギニアやオーストラリアでは浮いう た時間を遊びに使ったのに、日本では労働に使ったということで、日本人は勤勉きんべんだと先祖をほめたたえるつもりか、と思われるかもしれません。そうではありません。
 道具や技術は、毎年のようにどんどんすぐれたものになっていきます。なんのためだと思いますか。質問すると、すこしでも楽になるようにとか、効率がよくなるようにとか、企業きぎょうがもうけるためだとかいう答えがよくもどってきます。しかし、結果から見ると、わたしはそうではない面もあると思うのです。
 じつは、わたしたちを忙しくいそが  するために道具や技術は発達してきているのではないでしょうか。それまで十時間かかったところを、三時間で行くことができるようになったとします。浮いう た七時間をどう使うかと考えてみると、ほかの仕事をしているのです。
 すくなくともつい最近までは、歩いている時間とか車に乗っている時間はボケーッとしていることができました。あるいは空想にふけることができました。しかし、いまや携帯けいたい電話ができたのです。歩いていても、車に乗っていても、いつ電話がかかてくるかわかりません。相手からだけでなくて、自分からもかけます。なにもそんなときまでと思うのですが、そんな大人たちが増えています。
 わたしたちは、技術や道具の発達は自分たちを解放するためだと思っていますが、じつは大きな誤解ごかいで、自分たちを忙しくいそが  するために技術や道具が発達している面もあるのではないかと思うのです。そこでわたしは思うのです。オーストラリアのイル=イヨロント族が浮いう た時間をたというのは、正解だ、と。
 多田道太郎みちたろうさんは、つぎのようなことをわたしに語ってくれました。
『日本には「休む」とか「怠けるなま  」ということばがあるけれども、みんな悪い意味で使われている。しかし、わたしたちは、むしろ強制されたことはなにもしないという状況じょうきょうに自分をおくことがたいせつだ。そういう状況じょうきょうのなかで、自由にしたいことをする、それが
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読解マラソン集 12番 オーストラリアのヨーク半島 のつづき

遊びだ。』
 多田さんのいうことのなかに、わたしにとってひじょうに重要なことがふくまれていました。それは、強制されている状況じょうきょうからは空想力がはばたくはずがない、休んではじめて人間の構想力とか空想力がはばたくのだということです。働きづめに働いていると、そのあげくに出てくることは、しょせんたいしたことはないのだということです。空想力は想像力とおきかえてもいい。アインシュタインが知識よりも想像力のほうがずっとたいせつだ、といっていることを思いだします。
 たしかに日本人は働きすぎると思います。わたしたちはもうすこし余裕よゆうをもって、いい意味での怠惰たいだの精神、遊びの精神で生きていくべきではないでしょうか。これをなによりもまず自分自身にいいたいと思います。もっと余裕よゆうをもって、遊びをもって生きていったらいいのではないか、それをイル=イヨロント族に学びたいという思いなのです。

佐原さはら真「遺跡いせきが語る日本人のくらし」)
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問題

he-03-4 問題1
問1 読解マラソン集9番「日本人の平均寿命じゅみょうも」を読んで次の問題に答えましょう。 
 次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。 
■二十年ほど前に見た公園に座っすわ ていたアメリカの老人は、急激きゅうげきな進歩から取り残されてしまった人々だった。 
1 ○    2 × 

解答1

he-03-4 問題2
問2 読解マラソン集9番「日本人の平均寿命じゅみょうも」を読んで次の問題に答えましょう。 
 次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。 
がん宣告せんこくを受けて、まったく気落ちした人は早死にするが、頑張りがんば 抜こぬ うと努力する人は助かるものだ。 
1 ○    2 × 

解答2

he-03-4 問題3
問3 読解マラソン集10番「我が家わ やでは正月に」を読んで次の問題に答えましょう。 
 次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。 
我が家わ やで記念撮影さつえいをする時は、姉達はいつも制服で行くように父に言われていた。 
1 ○    2 × 

解答3

he-03-4 問題4
問4 読解マラソン集10番「我が家わ やでは正月に」を読んで次の問題に答えましょう。 
 次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。 
わたしが笑い者になってしまったのは、目を閉じと 撮影さつえいされたのがフランス人形のようにマツ毛の長い少年に修正されていたからだ。 
1 ○    2 × 

解答4

he-03-4 問題5
問5 読解マラソン集11番「小雨がのようにけぶる」を読んで次の問題に答えましょう。 
 次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。 
■「あるきな」と云っい て栄二はさぶのあごをなぐった。 
1 ○    2 × 

解答5

he-03-4 問題6
問6 読解マラソン集11番「小雨がのようにけぶる」を読んで次の問題に答えましょう。 
 次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。 
■さぶはどう考えても「芳古堂ほうこどう」より、葛西かさいにある実家のほうがずっといいと思っている。 
1 ○    2 × 

解答6

he-03-4 問題7
問7 読解マラソン集12番「オーストラリアのヨーク半島」を読んで次の問題に答えましょう。 
 次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。 
■石が鉄に代わったため仕事の能率が高まり、イル=イヨロント族は仕事から自分たちを解放した。 
1 ○    2 × 

解答7

he-03-4 問題8
問8 読解マラソン集12番「オーストラリアのヨーク半島」を読んで次の問題に答えましょう。 
 次の文を読んで、○だったら1を、×だったら2を選び、その数字を書きなさい。 
携帯けいたい電話のような便利な道具の発達で、日本人も浮いう た時間に昼寝ひるねをすることを覚えた。 
1 ○    2 ×

解答8