男の子が生まれて一番嬉しいと思ったのはこのプロレスごっこをはじめとした乱闘あそびができることだ、と私はいつかかなり真剣な顔をして妻に言ったことがある。(中略)岳が二、三歳の頃はまだ彼はプロレスやボクシングというものをよくわからず、抗争は「ウルトラマン対怪獣」という図式になっていた。岳はいつも正義の使者であり、私は宇宙の暗闇からやってきて平和な地球を滅ぼそうとする悪の怪獣という役回りだった。
岳はこれを「たたかい」と呼んでいた。保育園から帰ってくると「おとう、たたかいしようぜ」と早くも正義の使者の顔つきになって闘争を仕掛けてくるのだ。
「たたかい」が「勝負」に変ったのは岳が三年生になってからだった。
それはいつもやられ役だった私がその頃から意図的に時おりこっぴどく彼を痛めつけるようにしたからのようであった。サッカーをはじめた岳の体がしだいに強健になり、すこしぐらい手荒に投げつけても大丈夫、ということがわかってきてから私自身もふざけ半分ではなく本格的に力を込めてたたかうようにした。(中略)
岳と私の勝負がさらに過激になっていったのは私がパタゴニアの旅から帰ってきてからだった。パタゴニアの旅は氷河の海を航海し、あとはパンパという大草原を動き回っているだけだったので、岳への土産は何もなかった。そこでチリの一番南の端にあるプンタアレナスという町で私は岳のためのおみやげを制作したのだ。プンタアレナスは小さな港町で港湾用品や金物屋ぐらいしか店がなかった。(中略)そこで風呂の流しの金物や真鍮製の円盤、自動車用のコンドルの飾り物などを買ってきて、ホテルの部屋にとじこもり、それでプロレスのチャンピオン・ベルトの飾りものを作ったのだ。(中略)
私は家に帰り、そのベルトを岳に見せ、ただでやるわけにはいかないぞ、と言った。おれと闘ってピンフォールで勝ったらこのベル
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