題名 | ズミ 12.4 1769 |
名前 | 月 |
時刻 | 2010-09-22 13:58:28 |
この国の人々ははるかな昔から自分のことを「わ」と呼んできた。ただ、それを書き記す文字がなかった。中国から漢字が伝わる以前のことである。これは今でも「われ」「わたくし」「わたし」という形で残っている。
日本がやがて中国の王朝と交渉するようになったとき、日本の使節団は自分たちのことを「わ」と呼んだのだろう。中国側の官僚たちわこれをおもしろがって「わ」にわという漢字を当てて、この国をわのくに、この国の人をわじんと呼ぶようになった。わという字は人に委ねると書く。身を低くして相手に従うという意味である。中国文明を築いた漢民族は黄河の流れる世界の中心に住む自分たちこそ、もっとも優れた民族であるという誇りをもっていた。そこで周辺の国々をみなさげすんでその国名に侮蔑的な漢字を当てた。わのくにもわじんもそうした蔑称である。 ところが、あるとき、この国の誰かがわのくにのわを和と改めた。この人物が天才的であったのわ 和わわと同じおんでありながら、わとわまったく違う誇りたかい意味の漢字だからである。和の左側ののぎへんわ軍門に立てる標識、右のくちわ誓いの文書を入れる箱をさしている。つまり、和は敵対するもの同士が和議を結ぶという意味になる。 この人物が天才的であったもうひとつの理由は、和という字はこの国の文化の特徴をたった一字であらわしているからである。というのは、この国の生活と文化の根底には互いに対立するもの、相容れないものを和解させ、調和させる力が働いているのだが、この字はその力を暗示しているからである。 和という言葉は本来、この互いに対立するものを調和させるという意味だった。そして、明治時代に国をあげて近代化という名のせいようかにとりかかるまで、ながい間、この意味で使われてきた。和という字を「やわらぐ」「なごむ」「あえる」とも読むのわそのためである。「やわらぐ」とわ互いの敵対しんが解消すること。「なごむ」とは対立するもの同士が仲良くなること。「あえる」とわしらあえ、ごまあえのように料理でよく使う言葉だが、異なるものを混ぜ合わせてなじませること。 この国の歌を昔から和歌というのは、もともとは中国の漢詩に対して、和の国の歌、和の歌、自分たちの歌という意味だった。しかし、和歌の和は自分という古い意味を響かせながらも、そこには対立するものを和ませるというもっと大きな別の意味をもっていた。900ねんだいの葉じめに編纂された『こきんわかしゅう』の序に、へんさんの中心にいたきのつらゆきわ次のように書いている。 やまとうたは、人の心をたねとして、よろずのことの葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもうことを、見るもの聞くものにつけて、いい出せるなり。花に鳴くうぐいす、水に住むかわずの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずしてあめつちを動かし、目に見えぬおにがみをもあわれと思わせ、おとこおんなの中をもやわらげ、たけきもののふの心をも慰むるわ歌なり。 「おとこおんなの中をもやわらげ」というところに和の字が見えるが、それだけが和なのではない。「力をも入れずしてあめつちを動かし、目に見えぬおにがみをもあわれとおもわせ、おとこおんなの中をもやわらげ、たけきもののふの心をも慰むる」というくだり全体が和歌の和の働きである。和とわあめつち、おにがみ、おとこおんな、もののふのように互いに異質なもの、対立するもの、あらあらしいものを「力をも入れずして 動かし、 あわれとおもわせ、 和らげ、 慰むる」、こうした働きをいうのである。これが本来の和の姿だった。 |