題名 | 長文問題によって長文音読の習慣を 115 |
名前 | 森川林 |
時刻 | 2006-02-20 09:10:13 |
1月から長文の問題を出すようにしました。
子供たちの反応はおおむね良好で、特にこれまで長文音読の自習をしていた子は、成果が認められるので喜んでいるようです。 子供の適応力というものは、いつも感心しますが、難しい漢字もそのまま丸ごと読んで覚えてしまいます。 従来の勉強法は、わからないものはまず理解してというやり方でした。理解するということは大事なことですが、二つの弱点があります。 ます一つは、勉強の初期の段階で理解を優先すると、かえって壁が高くなるということです。例えば、新たにプログラミングの勉強を始めるような場合、わからないながらもまず何冊かの本を丸ごと読み終えて、頭の中に考え方の枠組みを作るということが大切です。これを最初のページから逐一理解しながら進もうとすれば、かえって途中で挫折してしまうでしょう。新しいジャンルの本を読む場合でも、まず何しろ最後まで読み切るということが大事です。最初のページから確実に理解して進もうとすれば、途中で嫌になってしまうでしょう。長文音読は、長文の理解よりも、すらすら読めるようになることを優先した勉強です。こういう勉強法があるのだということを知るだけでも、子供たちの勉強の仕方に幅が出てくると思います。 理解する勉強法のもう一つの弱点は、表面的な理解でその勉強が身についたと勘違いしてしまうことです。例えば、掛け算や割り算の仕方を理屈を理解しても、それが自分の体の一部のように自由に使えるようになっていなければ、実際の勉強では使えません。理解したあとに、何度も反復練習をすることによって、その理解が知的な理解ではなく、身体的な理解になっていきます。長文音読も、もし長文の内容を知るだけであれば一回読めば十分です。しかし、その長文が自分で自由に使えるようになるためには、何度も反復して身につける必要があります。 読書も同じです。気に入った本を何度も読めば、読む力が自分のものになります。いろいろな本を次々と読むよりも、一冊の本を何度も読む方が力がつくのです。 長文音読は、繰り返しの勉強を身につけるという役割もあるのです。 ただし、同じものを何度も繰り返し読んでいると、子供たちは必ず飽きてきます。人間は、同じことには飽きるようにできているので、自然に変化を求めます。声色を変えたり、ふざけて読んだり、早口で読んだり、いろいろな読み方で読みます。これは子供なりの飽きない工夫なので、あまり極端でないかぎりは、そのまま認めてあげるとよいと思います。 |