そうでないと、ついには自分が生きたとおりに考えるようになってしまう。」という名言があるように、信念をもって自分の価値観を見据えることが一番大切な事なのではないだろうか。 (84字)
私たちの支配者は、かつてのように権力者として君臨しているのではなく、社会的な交換価値という千変万化する記号のかたちをとって私たちひとりひとりを支配するようになっている。そして、文化というこの無名の支配者は、朝から晩まで私たちひとりひとりの全存在を直接・間接に支配しつづけているようだ。そのために、そうした「交換価値」が変化すれば常識も変化し、それにしたがって個人の欲望の内容も当然変化することになるのだろう。つまり、さまざまな人との出会いがある限り、文化的なものを完全に拒んでしまうことは、とうてい不可能であると言ってよいだろう。
確かに、価値観というのは変わっていくものだ。その為、自分の価値観を時代の波に乗せていかないと困ることも多いだろう。例えば、保育園生や小学生だったころは、自分ひとりで外にいったり親が同伴せず友達と遊びに行ったりするなんてことは想像できなかった。まずそれは大人しかできないことだと思っていたし、今ほど肝が据わってなかったのか子供だけで見知らぬ外の世界へくりだすことへの恐怖が存在していた。しかし今は普通に友達と休日に遊びに行くし、習い事も一人で行くのが当たり前だ。つまり、昔の私の価値観と今の私の価値観は大いに差が出ている。また、成長だけでなく、時代も人々の価値観を変えてきた。例えば、現代人にとって、電子版の本を読むのは当たり前だと言えるだろう。私も、本は大体電子版で読んでいる。なぜなら、電子版にはかさばらない、持ち運びがしやすいなど多種多様なメリットが存在するからだ。そもそも、私の母や父の時代では普通の紙の本しかなかった。まだ電子機器の発達していない時代であれば、電子版の本を読んでいてもただの変な奴としか認知してもらえないだろう。しかし、時代は変わっているのだ。このように、世界中の基本的な価値観が全体的に変わっていってしまう為、ずっとスタンダードであったものがもう古いという法則には、万物が免れられないと、私は思う。
しかし、変わらない価値観、というものがあるのも事実だ。時代や情勢がころころ変わっていく、そんな世の中でも流されて行かない、心の奥にずっとある価値観も大切だ。最近のコロナ禍の中、地震の中の大変な状況でも、やっぱり一番大切なものは変わらない。もっと身近なことで言うと、いくらタピオカミルクティーが流行ったって、日本人は家に帰ればお茶やお水を飲む。いくら友達と遊ぶ時は「タピる」のが良いと言ったって、まさか友達と遊びに行くとき、水筒にはタピオカミルクティーは入れないだろう。もしそうしたら、落ち着かないにかまっている。つまりこの場合、やはり日本人のスタンダードのど真ん中にあるお茶やお水が最強だということだ。また、昔から伝わるお話の中でも、それは体現されている。童話「青い鳥」で、チルチルとミチルは幸福の象徴である青い鳥を探して回る。しかし、二人の前に青い鳥は一向に現れない。そして残念ながら家に帰ったチルチルとミチルは、家で驚きながらも気づくのだ。ずっと飼っていた鳥は青色だったことに。まるで、「小さな恋のうた」という曲の歌詞、「ほら あなたにとって 大事な人ほど すぐそばにいるの」という言葉にそっくりではないだろうか。このお話が読者に伝えたいことは、結局一番憧れていたもの、大切なものは目の前にある、ということだろう。
このように、価値観というのは変えていくべきでも、変わらぬべきでもある、気難しいものなのだ。私は、変わっていく価値観は世の中に迎合する為であり、変わらぬ価値観は凛とした自分の芯を保つために存在するのだと感じている。しかし、「自分が考えるとおりに生きなければならない。そうでないと、ついには自分が生きたとおりに考えるようになってしまう。」という名言があるように、信念をもって自分の価値観を見据えることが一番大切な事なのではないだろうか。私は、鉛筆の芯ように柔らかくも、ダイヤモンドのように固くもなる炭素のような価値観を持ちたい。
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