●総合 89 点 

字  数 1098 字 思考語彙 66 点  (23 個)
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-0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0-
00-02-04-06-08-10-12-14-16-18-20-22-24-26-28-30-
知識語彙 81 点  (76 種)
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-0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--1--1--1--1--1-
00-09-18-27-36-45-54-63-72-81-90-99-08-17-26-35-44-
 表現語彙 88 点  (148 種)
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-0--0--0--0--0--0--0--1--1--1--1--1--1--1--2--2--2--2-
00-15-30-45-60-75-90-05-20-35-50-65-80-95-10-25-40-55-

点数はほかの人の点数との関連で毎日少しずつ変わります。
棒グラフは全作品の分布で、濃い部分は当作品の位置です。 をクリックすると、最新のデータをもとに再計算されます。

【総評】 点数はそれぞれの級の合格ラインの目安です。 20080901 改訂
12級11級10級9級8級7級6級5級4級3級準2級2級準1級1級
総合52点~59点~62点~64点~69点~72点~74点~78点~81点~86点~88点~90点~91点~92点~
相当学年小1小2小3小4小5小6中1中2中3高1高2高3大社大社
合格率95%95%90%90%85%85%80%70%60%50%40%30%20%10%
思考語彙34点~35点~36点~37点~40点~43点~50点~52点~55点~62点~65点~67点~70点~73点~
知識語彙40点~41点~42点~43点~47点~49点~52点~56点~60点~65点~70点~78点~85点~90点~
表現語彙46点~48点~50点~52点~56点~57点~58点~62点~65点~71点~73点~80点~86点~91点~
思考語彙:意見や説明を書く力/知識語彙:難しい言葉や漢字を使う力/表現語彙:多様な実例や表現を書く力
 
  
思考語彙66





























































88
知識語彙81
△上の三角形の高さは思考語彙
▽下の三角形の深さは知識語彙
三角形の横の長さは表現語彙
○円の大きさは字数
(円はひし型の後ろに隠れている場合があります)。
【文体】
 ○文の流れが自然です。
 ○文章の中心がよくしぼられています。
 △中間の長さの文が多く長い文と短い文がやや少なめです。
 △文の長さの平均がやや短めです。
【語彙バランス】

△三角形の高さは思考語彙、▽逆三角形の深さは知識語彙、
△▽の底辺は表現語彙、○円の幅は字数。

【文リズム】  (一文中の文節的語彙群の数) ~6個 7~10個 11~14個 15~18個 19個~

110603110904060209100709050617130407060909101110080710050410080702


【文の長さのグラフ】 -20字短い文 21-40字やや短い文 41-50字中ぐらいの文 51-70字やや長い文 71字-長い文
41 いた。
27 れた。
13 える。
58 いか。
45 える。
15 ない。
16 違う。
9 いる。
29 題だ。
43 ある。
31 いる。
33 きだ。
22 った。
19 ある。
54 った。
57 かる。
23 すい。
28 いる。
33 いか。
41 ずだ。
42 いる。
38 った。
38 った。
34 じた。
42 いか。
29 じた。
36 では。
29 いか。
25 ない。
43 ない。
34 ある。
26 思う。
19 ない。
58
57
54
45
43
43
42
42
41
41
38
38
36
34
34
33
33
31
29
29
29
28
27
26
25
23
22
19
19
16
15
13
9

【最長の文】 (最長の文は、文章全体の特徴を表しています)
一定の禁忌を守れば安着するということは、船の持続などをはじめとした流れない時のシンボルであったということではないか。 (58字)
 

【本文】
 魏志倭人伝によると、当時船で中国へ渡航する際には一人持哀という人を一人乗せていた。無事にたどり着けば財物を与えられ、難破すれば殺された。一種のシャーマンといえる。一定の禁忌を守れば安着するということは、船の持続などをはじめとした流れない時のシンボルであったということではないか。時について考え、原初の意味においてとらえ直す時、時はもの、であってタンジブルなものいえる。時は針で表される座標ではない。場所と場所、人と人とで時は違う。時間は生きている。時を単なる時間の針で表される座標として考える社会は問題だ。
 まずその一つ目の原因として、人間にとってそれが一番好都合であるから、ということにある。時間をそうとらえることで、時が社会の仕組みにフィットしている。
 今考えてみると自分自身それを一番実感していたのがが受験生のときだ。カウントダウンの針が示す座標との戦いだった。まず受験までどのくらいというのがある。次に試験時間はあとどのくらいというのがあり、寝る時間を考えるとあとどのくらい勉強できるのかというのもあった。ほかにも多くあったが今振り返って今自分がどこにいるのかというのを確認するための座標として時を捉えていたのがわかる。
 働いている人にも、受験生にまでもわかりやすい。時間は位置を示すものとして社会で大きな意味を持っている。
 次なる原因としては、自分の生きている時(文章中にあるような生きている方の)しか知らないからではないか。社会に合わせて時を座標として考える一方で、かならず自分の「時」も持っているはずだ。しかしその「時」しか知らないからやはり時を座標として無ることしかできなくなっている。
 自分はゲームをするとき大抵一人でやるが、あるとき友達の家でやる機会があった。家でやっているのと同じゲームを対戦形式でやったのだが、何か時の流れが違った。遅いとも、早いとも何とも言いようのないいつもとは違う「時」を感じた。きっとそれはいつもの自分の「時」ではなく彼の、または二人の「時」だったのではないか。そこで初めて生きている、いろいろな意味で新鮮な時を感じた。一時違えば三里の遅れ、というが一時違えば大きな違い、くらいでいいのでは。
 このような経験は現代において少なくなっているのではないか。周りの「時」を感じなければいけないのかもしれない。
 もちろん時を座標としてとらえることは先ほど述べたように多くの利点があるのは間違いない。しかし本当の時は平面上のある位置ではなく、空気中を漂う生き物である。やはり私は時間を座標としてとらえるのは問題だと思う。タンジブルなものを見逃してはいけない。

原文   森リン ベスト5