総合 66 点(上位1%以内)

字数 2715 字 【文体】
 △文のリズムが標準と異なっています。
 ○文章の中心がよくしぼられています。
 △中間の長さの文がやや少なめです。
 △長い文と短い文が多く中間の文がやや少なめです。
 百字を超える文4ヶ所(-4点)
 ▲121字  ・・・・・ まえ新聞を読んでいたら、 名前は忘れてしまったけれどある文芸評論家が、 「ドストエフスキーだけは二十歳までに読まないともう駄目だ、 という個人的な偏見を私は持っている」 というようなことを言っていて。
 ▲102字 解散」 でもそんなチープでいて強力な言葉は、 時を同じくしてどこからともなく響いてきた「トカトントン」という音、 大工が槌を打つ「トカトントン」という音によって、 途端に溶かされてしまいます。
 ▲141字  それを聞いたとたんに、眼から鱗が落ちるとはあんな時の感じを言うの でしょうか、悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は憑きものから離れたように、 きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持で、夏の真昼の砂原を眺め見 渡し、私には如何……
 ▲273字  もう、この頃では、あのトカトントンが、いよいよ頻繁に聞え、新聞をひろげ て、新憲法を一条一条熟読しようとすると、トカトントン、局の人事に就いて 伯父から相談を掛けられ、名案がふっと胸に浮んでも、トカトントン、 あなたの小説を読も……
【語彙バランス】
 説明に比べて、素材がやや多い文章です。(-3点)
 概念的な言葉よりも、描写的な言葉がやや多い文章です。(-3点)
思考力 47 点
知識力 67 点
表現力 74 点
規定の字数(1200字)よりも短い文章は低めに評価されます。小論文として採点しているため語彙間のバランスも評価に入れています。

 【本文】
おしゃべりや、

時には議論が盛り上がったときに生まれるんだけど、

その場かぎりで使いすてられるような、

瞬間の熱ってありますよね。



後から思い起こしたり、

再現したりするのがすごくむつかしいタイプの。



そうして思い起こしたり、

再現したりするのがすこし恥ずかしいようなタイプの。



ちょうどお祭りの時の高揚感に似ていて。



・・・・・



まえ新聞を読んでいたら、

名前は忘れてしまったけれどある文芸評論家が、



「ドストエフスキーだけは二十歳までに読まないともう駄目だ、

という個人的な偏見を私は持っている」



というようなことを言っていて。



言いすぎだとは思うけど、

分からなくもないよなぁ、と思ったことがあります。



ドストエフスキーの作品世界というのは、

「暗い情熱」という言葉でしばしば形容される

独特の熱の感じにみちていて、

それは際限のないお祭りのような感じだから。



浮かれているけれど暗い。

暗いけれど浮かれている。

大いに浮かれている。



それはおしゃべりや議論で生まれる瞬間の熱を寄せ集めて

ぎゅっと濃縮した、熱のエキスのようです。



そういう、

ドスト氏的な祭り囃子に乗せられて、

本気になって浮かれるような読書は、

ある程度年を重ねてしまうとできないのかもしれません。



のめりこみ方がね、

こう、ちょっと、技巧的になっちゃうから。



そういや明日は十時からミーティングが・・・。

とか、

スーパーでもやしを買って・・・。

とか、

あるでしょうから、大事なことが。

いろいろと・・・。



年を取ると、夢の続きを明日にまで持っていくような、

そういう贅沢な読書はむつかしくなってくる。

それなのにドストエフスキーの小説と言うのは、

読み手にそのような読書を強いてくるところがあって。



ドストエフスキーの熱に浮かされた読み手が、

その熱にぐいぐい引っ張られ先へ先へと進んでいくような、

そんな感じの速度が求められてくる。



ある種の経験として、

ドストエフスキーを通過する。

そういうのは、二十歳が限度だろう、

という個人的な偏見にすこし共感するのは、

そのような理由からです。



・・・・・



太宰治の短篇『トカトントン』は、

そのような「熱の体験」を、

外から眺めるようなつくりになっています。



熱に対してどこかしら距離をおいてしまう。

その中心にうまく入っていけない。

それが切実にさみしい。

そういう青年がいる。

青年は、そのことを手紙に書き、

太宰に宛てて送る。

その手紙がすなわち小説、というユニークな形式。



きっかけは終戦の際の玉音放送。

耐へ難きを耐へ・・・っていうあれですね。



青年はその時兵役に就いていて、

玉音放送を聞くことで日本の敗戦を知りました。

涙ながらに壇上に上がった上官は、まだこんなことを言っている。




   「聞いたか。わかったか。日本はポツダム宣言を受諾し、降参をしたのだ。

   しかし、それは政治上の事だ。われわれ軍人は、あく迄(まで)も抗戦をつづけ、

   最後には皆ひとり残らず自決して、以て大君におわびを申し上げる。

   自分はもとよりそのつもりでいるのだから、皆もその覚悟をして居れ。

   いいか。よし。解散」



でもそんなチープでいて強力な言葉は、

時を同じくしてどこからともなく響いてきた「トカトントン」という音、

大工が槌を打つ「トカトントン」という音によって、

途端に溶かされてしまいます。



   それを聞いたとたんに、眼から鱗(うろこ)が落ちるとはあんな時の感じを言うの

   でしょうか、悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は憑(つ)きものから離れたように、

   きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持で、夏の真昼の砂原を眺め見

   渡し、私には如何(いか)なる感慨も、何も一つも有りませんでした。
   そうして私は、リュックサックにたくさんのものをつめ込んで、ぼんやり故郷

   に帰還しました。





軍国主義の祭囃子が支えていた熱のようなものが、

青年の中ですうっと冷めていく。



それと同時に、青年の心の中に、なにか得体の知れない穴の

ようなものが口を開けるんですね。ぽっかりと。

そうしてその穴は、彼の生活に影響を及ぼし始める。

あらゆる「物語的なもの」を、その穴が吸い込んで、打ち消してしまうから。



仕事にも打ち込めない。

恋愛しようなんて気にもなれない。

ただひたすら走ることに情熱を傾けるマラソン・ランナーを見て

感じるものがあっても、すぐに冷めてしまう。

いつも背後には玉音放送を聞き終えた後の「トカトントン」が

ちらついて、あらゆる熱は「トカトントン」が開いた穴に吸い込まれてしまう。



青年は手紙も終わりのほうで、こんなことを書きます。



   もう、この頃では、あのトカトントンが、いよいよ頻繁に聞え、新聞をひろげ

   て、新憲法を一条一条熟読しようとすると、トカトントン、局の人事に就いて

   伯父から相談を掛けられ、名案がふっと胸に浮んでも、トカトントン、

   あなたの小説を読もうとしても、トカトントン、こないだこの部落に火事があっ

   て起きて火事場に駈けつけようとして、トカトントン、伯父のお相手で、

   晩ごはんの時お酒を飲んで、も少し飲んでみようかと思って、トカトントン、

   もう気が狂ってしまっているのではなかろうかと思って、これもトカトントン、

   自殺を考え、トカトントン。



どうしたらいいのでしょう?

と結ばれる手紙に、太宰が送ったそっけない返答がふるっています。



・・・・・



戦後現れたアプレゲールの若者たちをテーマにした作品、

ということになるのでしょうか。

一応書簡体にはなっているし・・・。



ただ「トカトントン」という槌の音が開いた穴は、

太宰にもきっとあいていたのでしょうね。

「トカトントン」を自分の内に認めながら、

なんとか距離を置こうとしている。

そういう個人的葛藤を描いたものとしても読めますよね。



けっきょく発表の翌年には、太宰は自殺してしまいます。

「トカトントン」にやられてしまったからかどうかは、

わからないけれど。