総合 69 点(上位1%以内)

字数 2004 字 【文体】
 ○文の流れが自然です。
 ○文章の中心がよくしぼられています。
 △文の長さの平均がやや長めです。
 百字を超える文1ヶ所(-1点)
 ▲111字 そして、日本の採るべき国策として、立憲体制を確立して二院制議会を開き、「外交ノイローゼ」を引き起こさず対外的には平和友好を原則として武力は極力使用せず、言論・出版の自由を漸進的に確保し、経済の繁栄をもたらすことを主張する。
【語彙バランス】
 説明に比べて、素材がやや多い文章です。(-点)
 抽象度の高い言葉が多く、やや重い文章になっています。(-9点)
思考力 64 点
知識力 102 点
表現力 89 点
規定の字数(1200字)よりも短い文章は低めに評価されます。小論文として採点しているため語彙間のバランスも評価に入れています。

 【本文】
『三酔人経綸問答』は、日本政治の基本線について、酒を飲んだ三人がユーモアを交えつつ議論したように描いた本である。明治二十年代という政論がマスコミによって百花繚乱した時代にあって、一貫して政治の基本理念を描いていることは注目に値する。
登場する三人は、西洋近代思想を理想主義的に代表する「洋学紳士」、膨張主義的国権主義者で古典的リアリストの「豪傑の客」、そして現実主義的に両者の間で自説を説く「南海先生」である。
 洋学紳士は「あぁ、民主制!」といい、無理な国防をせずに「無形の道義」を重視する考えを表した。大国が武力をもって攻め入ってきても、無形の道義を持って平和的な解決を希求するならば、大国は自らの野蛮性に気付いて事態は平和的に解決できるとした。そして、進化の原理が政治にも働いているとして、欧米列強の前例のように「自由の大義」を持つことで、専制君主国家から民主制国家へと「進化」できるとした。伝統的な理想主義の考えに沿った主張が読み取れる。
 これに対し豪傑の客は、洋学紳士を「いかにも学者だ」と評し、彼の主張を「現実に行うことはできない」とした。彼は、戦争は「国の怒り」であり「事実として不可避」であると主張する。性悪説的に、個人が「勝利を求める」性質を肯定し、その上で、国際社会にもそのような事実があるとした。つまり、国際社会においては「軍事力」だけが自衛手段であり、そのような事実の裏づけとして現にどの国家も軍備の拡張に動いている…という。そして、小国が生き残るには「弱を変じて強となす事業」と「ガンを切り取る計画」を行う必要があるとした。前者は物理・数学・化学を発展させて武力を高め、農・工・商業を発達させて武器と金銭を供給する方策をいう。また、小国は大国にならないと生き残れないので、日本は、近くにある「某国」へと進出するのが良いとした。そこで、「ガンを切り取る計画」が有効であるとした。文明化の中途で、「新しずき」と「昔なつかし」の入り混じる段階があり、そのときに「昔なつかし(恋旧元素)」を某国に侵攻させればよいとした。極端にリアリストな彼の主張でも興味深いのは、理論と技術の違いに言及しているところである。「平等の主義や経済の説は政治理論です。弱を強にし、乱を治に変えるのは、政治技術です」という主張は、南海先生の指摘に接近できる可能性を示唆していると考える。
 両者の主張を聞いた南海先生は、洋学紳士の主張を、思想家の頭の中にだけ存在する「思想上の瑞雲」と、豪傑の客の主張をかつて英雄が成功したが今日では不可能な「政治的手品」と評した。そしてそれらに対し南海先生は批判を加えている。なかでも、自らの思う「政治の本質」について語った上で、急速な道義の名において行われる改革が、時に非道義ですらあると主張して、「回復の民権」を徐々に増やしていくことで民主化を達成するべきだとした。そして、日本の採るべき国策として、立憲体制を確立して二院制議会を開き、「外交ノイローゼ」を引き起こさず対外的には平和友好を原則として武力は極力使用せず、言論・出版の自由を漸進的に確保し、経済の繁栄をもたらすことを主張する。
 これらの議論が考えさせることは大きく2つに分けられる。一つは、理論の築く“現実”は、おそらく部分的で不完全なものに過ぎないことで、もう一つは現代日本が「国家百年の大計」を考える時になったということである。
 理想主義と現実主義を統合して現実主義の立場をとる南海先生のように主張を築いたのはE.H.カーである。外交官の経験をもって学者になった彼だからこそ、そのようなバランスが取れたのだと考える。『危機の二十年』によれば、政治学は「理論と実際とが相互依存の関係にあることの認識の上に築かれなければならない」。紳士・豪傑両者のとる立場はそれぞれ理想主義と現実主義であるが、双方に欠陥があるといえる。過去の歴史の教訓を総合化して活用する必要性はすでに知られており、理想主義にはこれが不足している。また、過去にばかり根を求めるリアリストは、現実の不変性を信じるばかりにその思考が「何も生まない」ことが多いという。そのような意味で、南海先生の考え方は現実を見据えたものといえる。
 また、日本外交を見てみると、現代は「国家百年の大計」を築く絶好の時ではないかと考える。ここ十年の外交姿勢を見ていると、湾岸戦争での援助政策へ批判など、大国らしくないともいわれる。日本が「経済だけの国」としての経済大国であり、しかも状況に依存した経済パワーであるために国際秩序の維持に果たす責任は小さいことになる。秩序は経済的要素のみで作られるものではなく、物理的権力などの、広い意味での説得力を要する。現状を厳しく受け止め先百年を見据えた外交を、政治を考える必要性を、中江兆民は今も警告しているように思える。