総合 66 点(上位1%以内)

字数 2016 字 【文体】
 △文のリズムが標準と異なっています。
 ○文章の中心がよくしぼられています。
 △文の長さの平均がやや長めです。
【語彙バランス】
 説明に比べて、素材がやや多い文章です。(-点)
 抽象度の高い言葉が多く、やや重い文章になっています。(-8点)
思考力 64 点
知識力 106 点
表現力 94 点
規定の字数(1200字)よりも短い文章は低めに評価されます。小論文として採点しているため語彙間のバランスも評価に入れています。

 【本文】
 『日本の外交』は、第2次世界大戦前の日本外交が、いかに現状追認型で無思想であったかを暴き出している。以下、日本外交の性質について、著者の議論に合わせて検討し、日本現代史から将来へとつなぐ「外交政策の思想的基盤」を考えてみたい。
 日本外交が「現実主義」であるという場合、ここでは「実際主義」と言い換えたほうが都合のよい気もする。明治政府は東西文明の衝突を避け、調和を持って共存の道を保持するのが日本が生き残る方途であるとして、アジアにおける日本の既得権益を保護する利己的な政策を進めた。ここに始まる日本外交の性質は、国際政治の力学に圧倒されて権力政治の「複雑怪奇」に翻弄されていた戦前の日本が、場当たり的に国益の伸長を選択しつづけた過程からも明らかである。たとえば日露戦争後、「東と西のあいだの日本」という考えに政府が酔ったのも、日本がアジア諸国の中で一足早く近代化したとの自負からくるアジア圏での権力伸長が優先されたその場の考えの表れである。これは、一見外交原則の様相を呈してはいるが、この後10年ほどの外交政策を見ればわかるように、日本の国益を増加させるための手段に過ぎなかった。
 この事件の約10年前、日清戦争においても同様のことはいえるのではないか。日本政府は、朝鮮の排外主義や天主教弾圧問題を楯に開国を要求し、江華島事件を契機に日朝間に日本優位の開国条約(「日朝修好条規」)で朝鮮の開国度を高めた。その後、東学党の乱鎮圧のために日本軍を送りこみ、清軍との朝鮮救国のための戦争としての日清戦争が勃発した。このような過程は、一見国際的には正統性を持っているように思われたのであろう。しかし、実際は自給自足的・脱華夷秩序的な政策の遂行に過ぎなかった。それは、下関条約が、朝鮮の華夷秩序からの解放だけでなく、清国に日本への領土割譲・開市開港・最恵国待遇などの要求を承諾するかたちで締結されたことからもわかる。
 この、帝国主義的拡張の「無思想」で「実際」的な外交が、最終的には第2時世界大戦の敗北にも繋がっていく。また、外交の無思想性が急に思想性を帯び始めたと著者のいう1938年ごろから、日本が戦争に嵌って行き、敗北へと繋がったことは検討に値する。
 第2次世界大戦へと日本が入っていった過程について、為政者たちの心理を考えながら見てみたい。思うに、外に外交思想としての「大東亜共栄圏」を掲げるに至ったには、「外交政策の思想的基盤」が成立したからではなく、20世紀初からの「外交革命」の影響や「宣伝技術の発展、効果上昇」があったのではないか。それまでの戦争は総力戦ではなかった。しかし、第2次世界大戦は国民を総動員する必要もあり、それゆえに国民が納得するようなイデオロギーが必要であった。日本外交には、入江も指摘しているように「政府の現実主義・民間の理想主義」という図式はあると考える。そして、それゆえに政府は思想的なフレーズで国民の心を掴もうと努めたのではないか。この背景には、少なくとも自国の軍事力・経済力についての計算はあったであろう。1939年当時の軍事力についての「COWインデックス」を見てみると、日独伊が組んでかつロシアを同盟によって不可侵国にしてしまえば、英仏にアメリカが加わっても、軍事力の優越は日本側にあったのである。つまり、第2次世界大戦でさえ、日本政府の場当たり的な「現実主義」によって貫徹されていたとも考えられるのではないか。
 理想を「思想」として掲げ、外交を行った結果が外交の失敗としての終戦であった。この終戦までの道のりが、「近代化」というひとつのストーリーの幕を閉じたように見える。そして、戦後の日本外交、当初のそれは多分に外国からの一方向的対日政策でしかなかった。しかし、経済の奇跡的な成長と共に国際社会で第2の経済パワーを持つ現在に至るまでの外交政策を見てみると、「第2の近代化」「第2の無思想外交」とでもいえる状況が作られているように思える。入江が書いた1966年当時で、日本は世界第3の工業国にまでなっている。国防は「アメリカの傘」の中で安住し、憲法9条と冷戦構造の下で冒険的政策に出る危険もなく、経済だけに身を注いでいた。そのような現実的外交は戦前から変化しておらず、湾岸危機時に「日本の敗北」といわれて経済一辺倒の国際政治に疑問を投げかけるまで続いた。そして現在も政府は「現実主義」であろう。
 上に書いたような考えに基づいて『日本の外交』の位置付けを考えるとき、中江兆民の『三酔人経綸問答』と重なるところが多い。兆民の方は、政治の基本線を描いた上で南海先生の口から具体的な提言をしており、そこが『日本の外交』とは違う。しかし、どちらとも、近代化が20年ほど進行した後に、これからの日本と国際社会の関係について論じており、我々に考察の余地を与えるところは共通していると考える。