総合 98 点(上位1%以内)

字数 2874 字 【文体】
 ○文の流れが自然です。
 ○文章の中心がよくしぼられています。
【語彙バランス】
 説明に比べて、素材がやや多い文章です。(-点)
 抽象度の高い言葉が多く、やや重い文章になっています。(-1点)
思考力 65 点
知識力 75 点
表現力 71 点
規定の字数(1200字)よりも短い文章は低めに評価されます。小論文として採点しているため語彙間のバランスも評価に入れています。

 【本文】
さて、ここで統合失調症を考えてみる。
統合失調症に罹患すると「自分と外界との境界が曖昧化する」のだそうだ。
書くと簡単だが、なかなか想像しにくいことではある。それはどうやら「自己の思考の範囲」と「自己からは物理的に隔絶している外界で生起する事象」が、縒り合わさってしまうということらしい。

もしかしたら我々も入眠時や覚醒前の幻覚の中で、刹那的にそういった体験をしているかもしれない。例えば金縛りのときには、周囲に自分を脅かす「何らかの雰囲気」があって、それはとてつもない恐怖を与える。自分を脅かす「何らかの雰囲気」とは、自分と外界とが神経的に接続されているというような感覚だ。何かが自分を狙っているという感覚。その「何か」は恐怖している「自分」の思考に呼応して動くだろうという予感。

映画などにおける「怖がらせの手法」はたいがいこれだ。おどろおどろしい、暗い、奇妙な「雰囲気」の演出。観客は「くるぞくるぞ・・・・」とゾクゾク感をつのらせる。映画製作者は、その観客のゾクゾク感をときにはかわし、ときには増幅させることでうまく手玉に取りながら、虚を突いてあっと驚かす。
──まずは通奏低音としての「雰囲気」の醸成こそがキモになる。

統合失調症の人の多くは世界没落体験というものを経験するらしい。上記の「雰囲気」だ。何か陰謀めいた重苦しいエネルギーをはらんだ「雰囲気」──それが世界を覆っている。実は、それは自分と世界との境界が失われたことに起因しているのだ。むき出しになった自我は世界に晒されている。自分の思考は世界に広がり、世界によってこの自分のすべてが知られている。
彼または彼女が、何か公にしたくない思考や感情を抱くとき、極めて大きなストレスがのしかかってくる。知られたくないにもかかわらずすべて知られているからだ。やがて傷ついた心はれに耐えることができなくなる。

他人のちょっとしたしぐさ、目の前の車の特徴や走り方、隣家から聞こえる音・・・・すべてが意味ありげに関係し、自分に何かを伝えているかのように感じる。自分を陥れようとする陰謀かもしれない。
やがて、彼または彼女の「知られたくない思考」を知っている何者かが、批判や揶揄の言葉を浴びかけせてくる。
「お前が何を考えているかはお見通し。」「そんなくだらない考えは捨てちまえ。」「馬鹿じゃないの?」「死んだほうがましだね。」

世界没落体験に象徴される自分と世界との通底が、この病気の本体であり、それは思考する機能が何らかの理由で劇的に亢進するからだと言われている。幻覚は、むしろそういった思考の異常亢進に対する補償作用かもしれない。少なくとも、ネットに登場する臨床医たちはそういう見解の人が多いようだ。わけもわからないまま世界とつながってしまった自我を、究極の混乱や恐怖から守るためには、「つながり」を手っ取り早く「形」にしてしまうほうが楽だということだろうか。それは、理解できない自然現象を擬人化して理解しようとした古代人の心性を髣髴とさせる。統合失調症の場合は、もちろん無自覚にそれが行われるわけだが。
おそらく人間は形而上の世界に形を与え形而下に投影することによってより安堵に近づけるのだろう。

思考する機能の亢進については、統合失調症体験者の文章の中に睡眠時間の異常な長さについての言及があって妙に納得した。脳が必要以上にフル稼働し、その分激しく疲労するということだろうか。この病気と芸術的なインスピレーションやクリエイティビティとの強い関係性を感じさせる。
そもそもインスパイアという言葉には「感情・思想を吹き込む」といった意味があったのではないか。「吹き込む」とは、また思わせぶりだ。

話を戻すと・・・・
私がこのヤマイにおいて特に興味を惹かれるのは「幻聴」である。
体験者の話によると、多彩な人格が声をかけてくるのだそうだ。男性・女性・会話する複数人・超常的存在。・・・・・
人格も声の調子も違う。批判的なものが多いが、「道」を示したり、たんに日常的な雑談をするような存在も登場することがあるという。
声はあまりにもリアルだから、なかなか幻覚であるということがわからない。独語・空笑というのは、そんな幻聴へのごく自然な対応に他ならない。


その「声」なるものを発する人々とはいったい誰なのだろうか?

もうずいぶん昔の話になるが、「スキャナーズ」というクローネンバーグの映画を見た。主人公は不随意的なテレパスで、常に他人の思考──それは重畳する「声」なのだが──によって脳内を席巻されている。抑えることのできない他者の思考の奔流によって、自我が崩壊しかかり、廃人に近い状態に追い込まれているのだ。
今にして思えば、この主人公に関する設定は、統合失調症の患者をモデルにしていたのではないかと思われる。
たしかに常時他人の思考が「聞こえて」いたら、頭がおかしくなるだろう。そういう人を、統合失調症罹患者とどうやって区別できるだろうか。SF的に想像を逞しくすれば、統合失調症と診断された人の中には、スキャナーズ(テレパス)のような人が混じっているのかもしれない。

また、ちょっと話がそれた。
私はもちろん幻聴を他人の声だとは思っていない。
それは明らかに「当人の思考」だ。自分でも、自分自身、または自分の想像の産物とはなかなか信じられないような人格が、自分の中に内在するということなのだ。
ここで、話は冒頭に述べた「頭の中で多様な意見を持った人格がせめぎあっているといったようなイメージ」につながってくる。

幻聴自体は病気の産物かもしれないが、登場する多様な人格は果たして病気によるものなのだろうか。
そうではないという気がしてならない。もともと自己の内にあったものが、病気というきっかけによって舞台を与えられただけなのではないかという気がする。人格スペクトルは──本来異なった多数の人々によって構成されるものを指すのだけれども──実は一個人の内にもあるのではないか、ということだ。
逆に言えば、統合失調症(のあるタイプのもの)は、思考の異常亢進への補償作用として、本来抑制されている「非主流人格群」を解き放つ病気なのではないか。

さて、またまた話自体が妄想的になってきたが(笑)・・・・

ここで解離性同一性障害、俗に多重人格といわれる病気にちょっとだけ触れる。
深入りすると、まとまりのない話がより混乱しそうだから、簡単に書くにとどめるが──この病も多彩な人格が登場することで有名である。こちらは幻聴ではなく、異なる人格群が一つの肉体を操る主導権を奪い合うという形をとる。幼少期の強烈なトラウマを回避するために人格が「解離」すると言われている。
が・・・・これについても私は、一般とは異なった印象を持つ。心的外傷を負うような経験によって、健康な状態なら抑制されているはずの「非主流人格群」が、「野に放たれてしまう」病気なのではないかと想像してしまうのである。