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  プレ作文検定の申込締切
  勉強を教えるときは忍耐強く
  父母の広場から
  物語の力(スピカ/かも先生)
  だいたんに書こう「どうしてかというと」(あおぞら/あお先生)
  短文暗唱のすすめ(雨/ばば先生)
  「水」と「言葉」の関係のお話(ミッキー/いわ先生)
  子供を待つ姿勢の大切さ(みかん/ななこ先生)
言葉の森新聞 2004年6月3週号 通算第843号
文責 中根克明(森川林)

http://www.mori7.com/mori/
プレ作文検定の申込締切
 6月25〜27日のプレ作文検定の申込を6月8日消印で締め切りました。
 通信受検で申し込まれた方には、作文検定用紙を郵送します。用紙が6月24日になっても届かない場合は教室までご連絡ください。
 通学受検で申し込まれた方には、ご連絡の葉書を郵送します。葉書が6月24日になっても届かない場合は教室までご連絡ください。
勉強を教えるときは忍耐強く
 子供に勉強を教える場合、大人は理屈で理解させようとします。その姿勢はいいのですが、理屈で説明していると、理屈がわかればできるはずだと思ってしまいがちです。
 よくある例が算数や数学の問題です。算数の問題で子供が間違えたとき、親が正しい解き方を説明したとします。すると、その説明を聞いた直後には、子供はすっかり理解するのです。そして、親も子供も、わかったつもりになっていると、次のテストでまた同じところを間違えます。あるいは、翌日になると、もうできなくなっています。
 ここで、子供を叱ってしまう親がほとんどだと思います。「昨日、説明したばかりでしょ!」と頭ごなしに言われれば、質問する子供の方も楽しいはずがありません。そして、だんだん親子の勉強は難しくなっていくのです。
 小学校高学年になっても、親子で勉強を続けていける家庭は、親の忍耐力がある家庭です。昨日教えたばかりの問題をまた間違えたとしても、笑顔をたやさずに同じ説明をしてあげれば、子供も抵抗なく何度も同じ質問をしてきます。
 理解することと身につくことの間には、大きなギャップがあります。勉強に関しては、理解を4、5回繰り返して初めてその理解が身につくという関係があります。これがスポーツや音楽になれば、理解と定着の間には更に大きな隔たりがあります。
 子供をよく叱る親は、自分自身がやはり小さいころ親に叱られたという劣等感を持っています。欠点を批判することの多い人は、同じように自分自身が欠点を批判されて成長してきたという背景を持っています。長い目で考えれば、勉強のできるできないよりも、明るい人柄かどうかの方が、人生の幸福を大きく左右します。子供に勉強を教えるときは、子供は勉強以外の親の生き方も学ぶのだということを自覚する必要があります。親が忍耐強くいつも笑顔で接していれば、子供は自分が成長したときにもやはり同じようにほかの人に笑顔で忍耐強く接することのできる人間になります。「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」と言った山本五十六は、お父さんが56歳のときに生まれた子だそうです(それで五十六)。たぶん気長に育てられたのでしょう。
父母の広場から
短い時間で書くには
 一生懸命やっておりますが、時間がとてもかかって大変です。もう少し短い時間で書ければよいと思うので、そのようなアドバイスをお願いします。
まず時間制限から
 作文に対して普通の人が持っているイメージは、好きなことを好きなだけ書いていいというものです。それ自体は問題ないのですが、毎日の生活の中で週1回の作文の勉強を位置づける場合、ある程度時間の制限がないと、かえって長続きさせにくくなります。
 通学教室では、90分以内に仕上げるということを目安としています。自宅で書く場合でも、その子が平均的なかかる時間をもとにその5割増しぐらいを制限時間として時間内に書くようにしていくといいと思います。
投稿について
 投稿をしてよい作品か否か、生徒側には判断できません。指導していただければやってみたいと言っています。
字数600字以上で面白い実例か表現があれば
 入選の滝に、これまでの入選作品が載っていますので、参考にしてください。
Http://www.mori7.com/taki/
 投稿の目安は、
(1)600字以上
(2)面白い実例か面白い表現(たとえ)がある
(3)誤字がない
です。
物語の力(スピカ/かも先生)
 さわやかな季節になりましたね。若い芽が、葉が、木々がどんどん育つ時期です。新しい学校やクラスにも慣れてきたみなさんの成長とも重なるような気がします。また、大きな実りの季節を迎えられるよう、がんばっていきましょう。

 さて、今回は、「物語の力」についてお話したいと思います。
 みなさんがやっている、言葉の森の長文音読の自習(本当にみんなよくやっているので、いつも感心しています)、この長文集には、理科や社会に関係するような、少し難しい説明文が多いと思います。慣れないと、読みにくい感じがするかもしれません。しかし、みなさんがふだん自分で読む本は小説などの「おはなし」が多いと思え、また今の国語教育は文学に偏りすぎでいる、という考えから、あえてこのような長文集が作られています。私自身の経験から言っても、読解力や作文を書く力をつけるという目的のためにも、こういった長文集は、物語文より効果の高いものです。
 このことをまずふまえつつ、それでも今回は「物語のすすめ」です。
 みなさんの中には、読書好きの人が多いですね。先月、6年生の人たちは「読書の楽しみ」についての感想文を書いてくれました。毎年、この課題でみなさんがそれぞれに「心に残る本」を紹介してくれます。ここ数年は、やはりハリー・ポッターが多かったです。今年、「魔女の宅急便」を男の子が推薦してくれたのはちょっと意外だったけれど、これはもう、男女の別などなく、児童文学の古典となっていく本でしょう。去年からは「ダレン・シャン」が増えています。この3作は、続編があるのも楽しみですね。みなさんの年なら、主人公といっしょに成長していくような楽しみを感じられるのではないでしょうか。
 そう、物語を読むのは楽しいですよね。時を忘れて読みふける、主人公といっしょにハラハラドキドキする。この「楽しさ」自体が、物語のすばらしい力の一つです。みなさんはその楽しみを知っていますが、大人の中には、その楽しみを知らない人、あるいは忘れてしまっている人がたくさんいます。活字と言えば、仕事関係の文書と日本経済新聞しか読まないというビジネスマンは珍しくないようです。そういう大人たちにとっては、物語を読む時間は無駄な時間であり、そもそも読んでも面白くない、もっと言えば、読んでもわからないのです。物語は、誰にでも読めるようでいて、実はそれを読むには「ある能力」が必要なのです。それは、登場人物に感情移入する力、気持ちをわかる力です。「なんだ、そんな簡単なこと。」とみなさんは思うでしょう。ところが、これは誰にでもできることではないのです。たとえば、主人公が自分と同じ年頃で、性別、国籍が同じで、似たような境遇であれば、その物語の世界に入り込み、主人公になりきって喜んだり悲しんだりすることは、比較的、誰にでも簡単にできるでしょう。しかし、主人公が自分と全く違う立場の、違う性格の人間であった場合、あるいは人間以外の動物などであった場合はもっと、ある人たちは、「なりきる」どころか、拒否反応を起こします。そして、「そんなものを読んで何になるのか」「くだらない」ということになってしまいます。(笑)
 みなさんは、大人になっても、こういう人にはならないでしょう。今とは読む本は変わってくるでしょうが、やはり物語を楽しめる、そしてそれによって自分自身を豊かにすることができる人になっていくと思います。絵本や童話には、動物が主人公のものや、花や虫や物までもがしゃべったり感情を持っていたりするお話がふつうに出てきますね。子どもの世界では、それは自然なことなのでしょう。小学生にもなれば、人間以外のものがしゃべったり考えたりするのがおかしいことはわかりますが、それでも、小学生いっぱいぐらいまでなら、そういう世界に自然に感情移入できるようです。ずはり私は、大体小学生ぐらいまでの子どもと、そのころまでに本当に夢中になれる物語に出会って、その楽しみを知った人とだけが、物語の楽しみを味わい、時には物語に救われ、生きる力を得ることのできる人たちだと思っています。
 大げさな言葉が並んでしまいましたが、私自身、中学生から大学生の時期に渡って、物語の世界に逃げ込み、物語を読むことでやっと生きていた、と言えるくらいの多感な時代がありました(ずいぶん昔です^^;)。先ほどの感情移入の話で言えば、大学生のころ、ある小説を読んで、登場人物(?)の三角定規に同情して泣いてしまったことがあります(笑)。二十歳を過ぎて、です(赤面)。この小説にも、しかし、ずいぶん救われました。少なくとも、このような小説を初めから馬鹿にして手に取らないというような自分でなくて良かったと、心から思います。子ども時代の読書体験によって培われた私の「物語の力を信じる」という根っこが、地上で大きな嵐にあっても耐えられる力を持っていてくれたのだと思います。
 みなさんも、どうかこれからも、すばらしい物語とたくさんの出会いをしてください。
だいたんに書こう「どうしてかというと」(あおぞら/あお先生)
 「どうしてかというと」という言葉を使って理由が分かるように書く練習をする項目があります。小学校1年生の項目ですが、それ以外の生徒さんもわりとよく使いますね。「どうしてかというと」を使うときちんとしたかっこうのいい作文に見えるからだと思います。作文をかっこうよく仕上げたいという気持ちはとても大切です。
 ところが、この「どうしてかというと」はそうかんたんではありません。なかには、“わたしはおんちです。どうしてかというと歌がへただからです”というふうに、同じ内容をくり返してしまっているものもあります。
 そこで、今日は「どうしてかというと」をうまく書くコツを伝授(でんじゅ)します(^o^)丿 いい理由が思い浮かばないときは次のようにするとうまく書けますよ。

●だいたんな意見を書く、そして説明する。
私は体育の授業からドッジボールをなくすべきだと思います。どうしてかというと、ボールを人にぶつけるスポーツなんて危険だしやばんだと思うからです。
私は大人も学校へ行くべきだと思います。どうしてかというと、そうすれば大人も子どもの苦労がよく分かると思うからです。

●めずらしい動作を書く、そして説明する。
うちの猫は片足をあげておしっこをします。どうしてかというとオス犬といっしょに育ったからです。
ぼくは牛乳を飲むときは牛乳パックのまま、手をこしに当ててごくごく飲みます。どうしてかというと、大好きなサッカー選手がCMでそうしていたからです。

●ゆめや希望、好ききらいを書く、そして説明する。
ぼくの夢は虫とおしゃべりをする機械をつくることです。どうしかというと虫のことをもっともっと知りたいからです。
私はきゅうりが大嫌いです。なぜかというと、キュウリを食べると虫になったような気持がするからです。

 つまり、だいたんなこと、めずらしいこと、秘密にしておきたいようなことを書いたあとで、“というのも実はね”と種(たね)あかしをすればうまくいくということです。
 「どうしてかというと」は工夫しだいでとてもおもしろい表現になります。みんなの意外で楽しい理由を待ってますよ(^o^)丿
短文暗唱のすすめ(雨/ばば先生)
 みなさん、こんにちは。ゴールデンウィークはどう過ごしましたか? 家族旅行だけが思い出だけではありませんね。お留守番、受験勉強、いろいろな用事。それぞれが人生の栄養たっぷりの肥料になるでしょう。
 私(baba)は京都の実家へ帰省していました。もうすぐ一歳になる娘を義父母に預け、新婚気分を満喫……と思いきや、娘はクループという病気で40度の高熱を出しました。次いで夫も風邪に。看病疲れでGW明けに私もとうとう倒れました。良い経験になりました。

 さて、今月のテーマは短文暗唱です。あまり実行していない人が多いと思いますが、ゆくゆくは案外役に立つのが短文暗唱なのです。その一つは、記憶力が知らぬ間に鍛えられること! 
 お粗末な例で恐縮ですが、私は人の名前を覚えるのが苦手です。クラスメートの名前を覚えきれずに進級ということも多々ありました。仕事を始めてから、これではいけないと思い立ちいろいろと工夫してみたところ、てきめんだったのはこれ! その人の名前をできるだけ声に出すことです。特別なことではないように思いますが、実際、仲良くなる人の名前はすぐ覚えるけれど、仲良くない人の名前は覚えませんね。
 また、大好きな歌の歌詞はいつまでも覚えているという経験は誰にでもありますね。私は、初恋の人カルロストシキ率いるオメガトライブのヒット曲「君は1000%」は、5年間も私の鼻歌18番だったので、その後15年以上たってもフルコーラスで歌えます(自慢)。

 要するに声に出すことにより、時短省エネで記憶できるということなのです。そして記憶力は天性のものでありますが訓練でなんとでもなるのです。短文暗唱をコツコツと続けていると知らぬ間に記憶力が鍛えられ、受験に役立つかもしれません(将来、接客業や営業職につけば仕事にもグーですね)。名前で呼ばれると親近感が増すので人間関係にもグーです。
 受験は多くの人が通る道です。スタートラインは同じです。でもそこで記憶力という靴を手に入れていたら、走り出した後のスピードは当然違ってくるでしょう。ここまで読んで「よし、それなら明日から短文暗唱をやろう!」と思ったゲンキンな人も!? それも大いによし、なのです。そのために記憶力アップという副産物をここに取り上げてみたのですから。でも明日ではなく、今日からはじめてくださいね(^^)
 短文暗唱には他にもいろいろな意味、意義があります。一石何鳥か数え切れないほどです。でもこの「ラクラク記憶力アップ」という効果はお金もかからないので、「聴くだけで記憶力アップする」と謳う高価なテープよりはトライする価値は大きいですね!
「水」と「言葉」の関係のお話(ミッキー/いわ先生)
 「山の神様がくれた水 南アルプスの天然水(てんねんすい)」
こんなコマーシャルをテレビで見たことがありますか?先生はこのおいしいお水がとれる山梨県の南アルプス市というところにくらしています。今日はみなさんに「水」と「言葉」の関係のお話をしようと思います。

 先生は昨年、ある一冊の本に出会いました。本の名前は「水は答えを知っている」。読んだことがある人はいるかな??
 作者の江本さんという人が、水をこおらせて結晶(けっしょう)を作る実験をしました。同じ水を二つのコップに入れてこおらせると、片方は花が思いっきりひらいたようなとっても美しいかわいらしい結晶ができ、もう片方はバラバラに分解されたゆがんだ結晶ができたのだそうです。二つとも同じ水です。なのに、どうして二つの結晶はこんなにもちがってしまったのでしょうか?
 実は、江本さんはこんなことをしたのです。ひとつのコップの水には「ありがとう。だいすき。愛。」という言葉を書いた紙を見せ、もうひとつのコップの水には「ばかやろう。死ね。」という言葉を書いた紙を見せたのです。「ありがとう。」という言葉を見た水は、美しい結晶になったけれど「ばかやろう。」という言葉を見た水は、バラバラにゆがんだ結晶になってしまったのです。
 人間の体は、70パーセントが「水」でできています。みんなの体はほとんど「水」なんだよね。だから、「ばかやろう。」とか「死ね。」とか・・・悲しい言葉をたくさんかけられると体の中の水の結晶がばらばらになってしまいます。でも、「がんばろう。」とか「だいすき。」とか「ありがとう。」という優しい言葉をたくさんかけられると、体の中の水はキラキラとかがやきます。ゆがんだ結晶より、キラキラ美しい結晶の方が絶対にいいよね!作文だけでなく、みんなは毎日たくさんの「言葉」を使って生活しています。たくさんたくさん優しくてすてきな言葉を使って、生きていきましょう。これからも、みんなの心からの「言葉」がたくさんつまった作文を、先生は楽しみに待っています!
子供を待つ姿勢の大切さ(みかん/ななこ先生)
 今回は、お父様お母様へのお便りです。
 先日、ふと目にした教育雑誌にこんなことが書いてありました。
『何に対しても「別に・・・」とか「どっちでも・・・」とか「微妙・・・」などと言って、自分の考えをはっきりさせない子どもが増えている。他の人と同じならそれでいいという他人まかせの考えはどうなのだろう。』
『よく大人は、「〜しなければならない」とか「〜でなければならない」などと言いがちで、子どもが考える前に先回りして言ってしまうことが多い。これが子どもたちの伸びようとする芽を摘んでしまうことになる。』
 私自身、二人の子を持つ親ですが、この「子どもが考える前に先回りして言う」ということを、つい、やってしまっているなと反省しました。子ども自身に考えさせるためには、「あなたは、どう思う?」と、親が子どもを待つ姿勢が必要なのではないかなと。
 自分の頭で考え判断し、自分の言葉で表現できる力が、これからはますます大切になってきます。親子のコミュニケーションの場が、何より身近で最良の訓練の場であると思います。
 自分の頭で考えたことを自分の言葉で表現する喜びを、生徒のみなさんに感じてほしいです。そして一週間に一度の作文にその思いをどんどんぶつけてきてくれると、とてもうれしいなと思っています。


                     
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