長文 1.1週
1. 【1】思想を持てば、思考の力はその分おとろえる。ものを考え続けるためには、すでに考えられてしまったことを、そのつど打ち捨てていかなくてはならない。でも、ひとりでそれをやるのはとてもむずかしい。【2】だから、自分にかわってそれをやってくれるひとだけが、つまり有効な批判をしてくれる人だけが、
哲学上の友人(=協力者)なのだ。だから、真の友人を求めるかぎり、批判者を批判しつづけなければならない。
2. では、批判が有効であることの基準は何か。【3】それは有効な批判が出てきた時点ではじめてわかることだ。有効な批判の成立そのものが批判の有効さの基準をはじめて作りだす。これは
哲学的議論のひとつの
特徴であり、弁証法という
奇妙な訳語で知られるディアレクティークという語のもっとも深い意味だ。【4】それはいわば、
闘争の勝敗を決める基準そのものが、その
闘争の中で生み出されるような
特殊な
闘争なのだ。それでもそれが
闘争でないのは、その未知の基準を生み出すために、
お互いが協力しあうからである。
3. 【5】たいていのひとは、議論するということを相手の考えを論破して自分の考えを弁護することだと思っている。政治的議論のようなものなら、もちろんそうだろう。たとえば原発とか消費税といった問題についてなら、どのような思考過程をへてであれ、いま自分と同じ結論に達しているひとこそが自分の友人であろう。【6】そして、自分と同じ主張を別の
論拠から
擁護してくれるひとは、最もたのもしい協力者だろう。だが、
哲学においては、
論拠がちがう同じ主張なんてものはそもそも存在しない。たまたま字面のうえで同じ結論を主張するひとがいても、
彼は友でも敵でもない【7】(もちろん原発や消費税についても
哲学的に考察することはできるが、それは結論を得るということに本質的な興味をもたない場合にかぎられる)。
4.
哲学の議論は、思想を持つ者どうしの通常の討論とは逆に、自分では気づかない自説の難点や弱点を相手に
指摘してもらうことだけをめざしておこなわれる。【8】ぼくの経験した
範囲では、
大森荘蔵さんと議論したとき、
彼が
完璧に
哲学的であると感じた。大森さんは現在の自説が有効に
論駁されることにしか興味を持っておられないようであった。こういう
純粋に
哲学的な態度は、議論における公∵正な態度と誤解されがちだが、そうではない。【9】実は、単に利己的なだけなのだ。
哲学とはまったく利己的なものなのだが、幸いにしてその利は、だれも他に欲しがるひとがいない自分だけの利であるため、あたかも公正な態度のように見えるのである。
5. 【0】だから、
哲学の場合、友人と論敵はぴったり
一致する。同じ問いを共有し、協力してそれを
徹底的に解明し
尽くしたいと思う友人としか、そもそも敵対することができないからだ。それ以外の場面では、
哲学はひとと論じあうべき理由はないし、そもそもほんとうは公表すべき理由さえないのだと思う。
哲学というものは本来、
黙って墓場へ
携えていき、持ち主の死とともに
消滅してよいものなのではないだろうか。思想は公表されなければ意味がないが、
哲学はちがう。賛同者がふえることは、思想にとっては最も望ましいことであろうが、
哲学にとっては本質的な意味はないだろう。
6.(『「子ども」のための
哲学』
永井 均)
長文 1.2週
1.完ぺき主義
2. 【1】君たちは今、のびるさかりだ。
3. おとながそばでみていると、その成長が目にみえるので、うれしさのあまり、つい注文をつけたくなる。
4. あっちをのばせ、こっちをもうすこしひろげろ、などという。
5. 【2】それが、どこそこが足りないというふうに表現される。
6. 数学は七〇点だ、もうすこしがんばれ。
7. おとなが、そういいたくなるのは、君たちがのびる力をもっていて、のばさないでいるようにみえるのが、はがゆいからだ。
8. 【3】のびる力があるのに、のばさないのでは損だ。
9. だが、損得をはなれて、おりちゃっているものもいる。
10. そういう、おりちゃった人にちょっといいたい。
11. いまはおりてるけれど、はじめはやる気があったと思う。【4】ところが、いざ、やってみると、完ぺきにはほど遠い。
12. そこへもってきて、あれも足りないじゃないか、これも足りないじゃないかといわれると、どうしていいかわからなくなっちゃう。それで、勝手にしろということになったのじゃないかな。
13. 【5】私は完ぺき主義というのはきらいだ。
14. 経験からそうなったのだ。高校のとき、ドイツ語のポケット字引きを一冊まるまるおぼえてやろうと思って、半分ぐらいまでカードにしたことがある。とてもつらかった。
15. 【6】だけど、そんなことをしていたら、一日が三十時間あっても足りないことがわかった。
16. 人間は完ぺきでなくたって生きていけるんだということが、おとなになってから、やっとわかった。
17. 【7】年をとった今は、完ぺきではないほうがいいんだ、と思うようになった。
18. 完ぺき主義がこまるのは、水泳のまえに、準備体操ばかりやっていて、つかれて泳げなくなってしまうようなことがあるからだ。
19. 【8】だから、完ぺきにできないからだめだ、と思うのはまちがっている。
20. 完ぺき主義なんてものは、もともと実行できないか、実行したら役にたたないものなんだ。
21. 【9】結果がどうあろうと、やってみることだ。
22. 君らしくやれば、それでいいんだ。【0】
23.『人生ってなんだろ』(松田
道雄)より
長文 1.3週
1.
孤独について
2. 【1】君は
孤独を感じたことがあるか。
3. もし、それを感じたことがあったら、それは君が成長したしるしだ。悲しむことはない。
4. 【2】いつも、まわりのおおぜいの友人といっしょになって、先生の失敗をはやしたてたり、流行歌を合唱したりして、それで毎日がたのしいというのは、自分の個性を自分でみつけていないのだ。
5. 【3】あるいは、個性をそだてることがおっくうなので、おおぜいのなかにとけこんでごまかしているのだ。
渡り鳥が群れをつくってとんでいるようなものだ。おおぜいのいくところについていけばいいという気持ちだ。
6. 【4】ところが、自分はおおぜいにはついていけないという気持ちがおこってくる時がある。
7. 自分にだけ能力があるという、えらそうな気持ちからでなく、そうなる時がある。
8. そして、おおぜいからすこしはずれたところにでていって、はじめて救われたようになる。
9. 【5】これを、
孤独病という病気のように思うことはない。みんなにとけこめない自分を悲しく思うことはない。
10. 人間はめいめい個性をもっている。それが中学生のころになると、急に成長するので、ほかの人とあわないところがでてくる。
11. 【6】それぞれちがった個性が一度に開花してくるのだから、ほんとうは中学の時代は、まとまりのわるいものだ。ところが、いまは受験勉強というもので、みんなに同じような生活が強いられている。
12. 【7】みんながおなじ
模擬テストをうけ、おなじ宿題をやらされ、おなじように時間がたりないところにおいこまれている。みんながおなじようなことをかんがえ、おなじようにさわぐのは、受験勉強にたいする共通した反応だとかんがえていい。【8】受験勉強のために、個性の開花はおさえられている。
13. そのなかで、自分の個性の成長を感じ、自分はすこしちがうと思いはじめるのが、
孤独なのだ。
14. 自分のような
孤独な人間が生きていけるだろうかなどと思うのは、まちがっている。【9】個性的であるという点で、人間はみんな
孤独なのだ。∵
15. 人間は
渡り鳥のような個性のないものでない。めいめい
孤独なのだと自覚し、
孤独だからこそ連帯が大事だということになって、はじめてほんとうの連帯が生まれるのだと思う。【0】
16.『人生ってなんだろ』(松田
道雄)より
長文 1.4週
1. 【1】われわれを取り巻く
環境は、あっというまに人工化し、急速に自然が
破壊されてしまった。昭和三〇年
頃までは、東京都の二三区内でもトンボやカエル、バッタなどの野生小動物がけっこうたくさんすんでいた。【2】ところが、三〇年から四〇年までの間に、それらはすっかり姿を消し、農村でも農薬の大量使用によって急速に動物たちは
消滅してしまった。戦後生まれの人たちも、しばらくの間はセミやトンボ
捕りに興じ、川あそびや木登りに夢中になって、自然とたわむれた
記憶をもっている。【3】しかしそうした幼少年時代を支えていた
環境が一挙に
崩壊し、子どもたちは自然とのつきあいを断ちきられてしまうことになった。
2. 一昔前は、道路には子どもたちが群れていた。今は自動車が道路を
占領し、子どもたちはそこからすっかり
駆逐されて、家の中に閉じこめられてしまった。【4】多くの子どもは小さな家で飼育され、学校では厳しい管理の下に画一的な教育で
締めつけられている。そして、テレビやオーディオセット、ファミコンなどの電子器具に
埋もれ、無機的な世界の中で密室文化に
耽っている。【5】まるでクモの巣にかかった
蝶が、もがきながら体液を吸いとられていくように、子どもたちは
過剰な情報の
網目の中で、もがきながら精神を
衰弱させていく。
3. 進歩は無欠の善なるものであり、進歩こそ人間を幸福にする
呪文であると信じられてきた。【6】その
呪文にしたがって、文明の進歩はすさまじいほどに加速度を増して、まっしぐらに走り出しはじめている。その進歩の加速度を測定する方法もないし、文明の利器が人類を乗せてどこへ向かって走っているのか、だれも予測できない。
4. 【7】この
状況は、文明を乗せている乗物を思い
浮べれば、ある程度理解できるだろう。人類は肉体の能力を
超えた速度をわがものにし、自由に操作できることに
憧れてきた。乗馬はある程度それを満たしてくれたが、やはり生物的限界がある。【8】機械だったらその限界を
突破しうるだろう。自転車が発明されたが、それはまだ人力によって動く機械だった。自動車、プロペラ飛行機が発明されるに
及んで、乗物はしだいに人間の操作能力を
超えた自動性をもつよう∵になった。【9】しかし、その自動性の中で、人は多くの場合、どうすれば何が起こるか予知できるし、何が危険であるのかを知っている。自分の知覚や感覚の能力で操作が可能だからである。
5. われわれは現在、音速に近い旅客機で旅をしている。【0】機内は完全に空調され、ゆきとどいたサービスを受け、
豪華な飲食を楽しんでいる。飛行機は動いているのか静止しているのか、機内では感覚的には全くわからない。何か危険なことが起こっていようと、乗客にはなんら察知することができない。しかし、ごくわずかのミスがあれば、乗員の意志とは無関係に、全員が一挙に死亡する事態が発生することは確実だ。
6. われわれが乗っている、文明という高度に技術化された乗物も、ジャンボ機と同じような運命を担って走り続けていると、私には思われてならない。このまま加速度が増していけば、いつかカタストロフが待ちかまえているだろう。その兆しはあちこちにもう見えはじめている。
7.(『子どもと自然』河合
雅雄 岩波新書)
長文 2.1週
1.お正月
2. 【1】元日はおかしな日だ。きのうまでいそがしく動きまわっていたおとなたちが、映写機の故障でフィルムがとまったように、おちついて笑顔をみせている。
3. 【2】お正月なんか、ちっともおめでたくないや、おとなが勝手にきめて、酒をのむ口実をつくってるだけじゃないか、と思っている人もあると思う。
4. お正月に、そういう感じをもつ人は、昔からいた。一休
和尚という
坊さんがそうだった。【3】室町時代のおわりちかく、京都の大徳寺の住職をしていた。この人は正月に、
5. 正月は
冥途の旅の
一里塚
6. めでたくもありめでたくもなし
7. という歌をつくって、おめでたい、おめでたいといっている人をからかった。
8. 【4】人間は年をとって死ぬのが当然だから、正月は死に一歩ちかづく里程標だというわけだ。
9. 人間の世界は何ごとにも、喜ぶべきことと、悲しむべきことが、両方ふくまれている。
10. 【5】どうせ死ねばだれでも無になってしまうのだ。それだからこそ、めでたいほうに
賭けるべきではないか。正月は、そういう
賭けの季節だ。
11. 自分は才能があるのかも知れぬ、ないのかも知れぬ。それだったら正月は、才能のあるほうに
賭けるときだ。
12. 【6】去年、仲たがいした友人があるとしよう。人間は一〇〇パーセント意地悪ということはない。意地悪をしたとしても、その人間のなかにある善良なものが、ゼロになったということではなかろう。そうなら、仲たがいした相手のなかの善良なものに
賭けるべきだ。
13. 【7】去年は、何かで親と争って、親をばかにしている人があるとしよう。いちど、ぐあいがわるくなると、親子のあいだは、非常にばつのわるいものだ。わるうございましたなどとあやまるのは、最高にてれくさい。【8】だが、正月は、親も子も、去年のことを忘れるほうに
賭けていいときなのだ。
14. 正月は人間のつくりあげたフィクションであることは、まちがいない。∵
15. 【9】だが、そのフィクションによって、いいこともするが、わるいこともする人間、つよいときもあるが、よわくもなる人間が、世界中一ぺんに
軌道修正をするというのだったら、正月というフィクションも、人間の
知恵といっていいではないか。【0】
16.『人生ってなんだろ』(松田
道雄)より
長文 2.2週
1.内村
鑑三のこと
2. 【1】君は内村
鑑三という人を知っているかい。
3.「少年よ、大志をいだけ」
4. といったクラーク先生の
開拓精神を校風とする
札幌農学校(今の北大の前身)の第二回卒業生だ。【2】のちアメリカにわたって、キリスト教を勉強し、日本にかえり、どの教会にもぞくしないキリスト教をひろめた。学者でもあり、文学者でもあった。
5. 【3】アメリカでは、精
薄施設の看護人もしたくらいで、生活は楽でなかった。
6. あるとき、いよいよ金にこまって、以前に、こまったときは来なさいといってくれた米人のことを思いだし、雪の降る夜、ぬかるみに足をとられながら、たずねていった。
7. 【4】その家のまえまできて、その人のいる
書斎の窓の灯をみつめて、
彼はかんがえた。
8. 待てよ、もし、ここで金をめぐんでもらったら、日本へかえってキリスト教をひろめるとき、
9.「あの福音には金のにおいがするぞ」
10. といわれるだろう。
11. 【5】
信仰を生活のたよりにしてはならない。そう思った
彼は、むしろ
飢えをがまんしたほうがいいと、きびすをめぐらして、雪の道をひきかえした。
12.
彼の
選択は正しかった。【6】日本にかえってから、
彼の人間としての清潔さが、おおくの人の信用をえて、たくさんの信者が
彼のまわりにあつまった。
13. 日
露戦争のとき、内村
鑑三は平和主義の立場から非戦論をとなえて、戦争に反対した。【7】反戦牧師だったわけだ。そのころ、国民のほとんどが軍国主義者だったから、戦争に反対するのは、たいへんなことだった。けれども
彼は平和主義をまもりとおした。
14. 【8】自分の信念をまもろうとしたら、かんたんに人から
援助をうけてはいけない。
15. 人間が人間を信じるのは、そのいっていることが本心からでているときだけだ。∵
16. 【9】どんなに、りっぱなことをいっても、どんなにえらそうな口をきいても、それが本人の心の底からの声でなく、他人から金をもらったり、いい役につけてもらったりしているからだったら、信用してもらえない。世間から提灯持ちだとか、「男めかけ」だとか、いわれるだろう。
17. 人間は、自主独立ということが、いちばん大切だ。【0】
18.『人生ってなんだろ』(松田
道雄)より
長文 2.3週
1.尊敬する人物
2. 【1】君はいままでに、
3.「あなたはどんな人物を尊敬していますか」
4. などという質問をうけたことはないか。
5. 私は小学校や中学校のとき、よくそういう質問をだされた。【2】そして、いつもこまったことをおぼえている。尊敬するということが、あまりはっきりしたことばでないからだ。
6. ところが、先生のほうは、この生徒はどういう人物になりたがっているかが、それでわかるように思っているらしかった。
7. 【3】えらいなあと思うことと、そういう人に自分もなりたいと思うこととは別だ。
8. 野口英世がよく勉強したことは、えらいにはちがいないが、自分も野口英世みたいにがんばって勉強できるかどうかわからない。【4】また、勉強したとしても、おなじように有名になるとは思えない。
9. 野口英世の伝記を読んで感心したことは、野口英世を尊敬することではない。伝記をかいた人が、読者を感動させるように、うまく書いたこともあるからだ。
10. 【5】それでも「わが尊敬する人物」を中学生にかかせた統計は、いまでもある。たいてい、きまっている。トップは、男の子は、むかしはリンカーンだったのが、いまはケネディだ。女の子は、ヘレン・ケラーかナイチンゲールだ。
11. 【6】生徒のほうで先生の読心術をやって、こうかいておけば、先生は安心するだろうと思って、あんなふうに書くのだろう。
12. 人間は、めいめいが天分をもち、それを生かして生きるしかないのだから、他人の天分にそんなに感心することはない。【7】だから、尊敬する人物はいなくてもいいが、理解する人物はいないといけない。
13. まず第一に、自分の両親を理解することだ。
14. 人間を理解するのは、やさしいようで、むずかしい。【8】有名な
哲学者のへーゲル(一七七〇〜一八三一)は「従者にとって
英雄はない」といったが、どんなえらい人物もその日常に密着してみていたら、ふつうの人間とかわらないという意味だ。
15. 【9】あまり近くにいると、その人物のいいところがわからない点で、親子は損だ。
16. 人間は、欠点をもちながらも、けっこうたのしく、平和に生きていけるものだ。それがわからないと、人間を理解できぬことを忘れてはならぬ。【0】∵
17.『人生ってなんだろ』(松田
道雄)より
長文 2.4週
1. 【1】言葉というものは、具体から
抽象へと発達するものだと私はいったが、それはそのまま思考の成長の過程でもある。その成長過程は言葉や思考の「
乳離れ」といってもいい。
2. そもそも言葉とは命名から出発した。【2】子供が生まれると名前をつけるように、人間は自分とかかわりのあるものに
片っ端から名を
与え、こうして言葉はつぎつぎにふえていった。したがって、当初、言葉はかならず現実の具体的な事物に対応していた。【3】けれども、もし言葉がそれをあらわす現実の個々の事物と一対一の対応関係をつづけていったなら、言葉は無限にふえつづけねばならない。ひとたび、そうした
一般化に気付けば、言葉はすくすくと成長する。【4】
一般化したものをさらにまとめて
一般化し、それをもっと広い
類概念にくくってゆくというふうに。そして、この
一般化によって言葉も思考ももの
離れし、現実の個々の事物から独立して、言葉独自の世界をつくりだすことに成功したのである。
3. 【5】具体的な動作、あるいは事物の
状況や性格についても同様であった。たとえば、考えるという動詞は「考え」という名詞に
抽象されることで実際の動作から
離れてひとつの
概念になり、美しいという性状は「美しさ」というふうに
一般化されることによって具体的な対象から
抜けだして独立の観念へと成長した。【6】「考える」から「考え」への変質は、言葉のうえではきわめてかんたんのように思えるであろう。「美しい」から「美しさ」への一歩前進はいとも容易にみえるかもしれない。けれども、その一歩こそ、
千鈞の重みを持っていたのである。【7】それは新しい
概念の
獲得であり、高度な観念の誕生であった。
4. どのような民族にあっても、言葉はこのような形で育ち、思考はそれとともに発展した。つかむという動作はドイツ語でベグライフェンbegreifenという。【8】何か物をつかむというその具体的な動作から、やがてベグリフBegriffという
抽象名詞が生まれた。ベグリフというのは「
概念」のことであり、つまり、手で物をつかむように、頭で事物をつかむ、それこそが「
概念」なのである。∵
5. 【9】もしわが国が他国の言葉の
影響をこうむることなく、日本語を独自に育てあげることができたとしたならば、日本語にはもっとやさしい形で多くの
抽象名詞がつくりだされたことであろう。【0】つかむという動詞は手づかみなどというように、つかみという名詞を生みだし、それがドイツ語の場合とおなじように「
概念」という
抽象名詞になったかもしれない。ところが、幸か不幸か、日本語はいわば初期の発展段階で、いってみれば幼児期に、すでに高度な文化を持っていた中国語に深く
影響された。それは日本語もまだ
充分に使いこなせない
幼稚園の段階で、いきなりむずかしい外国語を教えこまれたようなものである。中国から文物を受け入れた
奈良時代の日本人が、漢語をどのように
扱ってよいのか、それにどんな和語をあてはめたらいいのか、
途方にくれたであろうことは察するに難くない。
6. おなじとまどいは明治になって
西欧の文化を輸入したときの日本人の対応においても見られる。英語やドイツ語やフランス語を明治の知識人たちは漢字の造語力を利用して苦心
惨憺のすえ独特の和製漢語におきかえた。そして、第二次世界大戦後、日本人は三たびおびただしい外国語の海にただよう破目になった。この国を
浸したアメリカ語の
氾濫である。しかし、このときには日本人はもはや漢字の造語力によってそれを和製漢語に置きかえる努力を
払わなかった。アメリカ語をそのままカタカナに表記してすませたのだ。その結果、日本語はおびただしいカタカナ語をかかえこむことになった。このようにして、日本語は、三たびにわたる外国語の流入のなかで
悪戦苦闘してきたのである。
7.(森本
哲郎の文章による)
長文 3.1週
1.規格はずれ
2. 【1】君は電機メーカーの工場の流れ作業をみたことがあるかい。
3. ベルトの上に部分品がのっかってはこばれてくる。ベルトのまえにすわっている人が、そこから部分品をとって、組み立てている電気器具にはめこんでいく。
4. 【2】部分品は、寸法がきちっと統一されていて、組み立てている器具の、きめられた部分にぴったりあう。
5. こういうふうに、部分品の規格が統一されているので、大量生産ができるのだ。
6. 【3】君の学校にも、いろいろ規則があるだろう。学校のどこそこの場所には勝手に立ち入ってはいけないとか、服装は、こういうのに
違反してはならないとか、いろんなきまりがあるだろう。
7. 【4】何百人もの生徒を、毎年、きまった日に卒業させようと思うと、そういう規格の統一が必要になるのだ。
8. しかし、それは、学校という限られた場所で、何百人もの卒業生を、きまった年限でつくりだす必要上できている約束だ。
9. 【5】人間は鋼鉄製の部分品でないから、そうきちっと寸法がきまらない。あっちがとびだしたり、こっちがへこんだりする。
10. じっさい社会にでてから役に立つのは、その人間に特有なとびだしたところだの、へこんだところなのである。
11. 【6】学校を卒業して社会にでてくる人間が、どれもこれも、寸法がおなじ規格品だったら、社会はぜんぜんおもしろくなくなる。
12. テレビのコマーシャルでもいろいろちがうからおもしろいんで、あれがすべて、君のんでますか、君つかってますか、と商品をつきだされるんだったら、やりきれない。
13. 【7】それだから、君が学校できめられた規格にあわないところがあっても、気にしないことだ。
14. 学校の図書室に大人物の伝記があるだろう。読んでみたまえ、みんな規格はずれだ。
15. 【8】だが、伝記をかく人間は、中学の図書室にならべてもらいたいので、規格はずれではあるが、いまの学校の規格にあうようなところに力をいれてかいている。
16. 【9】だから、どうも自分は規格はずれだと思っているんだったら、学校の図書室にない、かわった人物の伝記も読んでみるんだな。
17. 規格からはずれるのは、人間としてのエネルギーのあふれている人におおい。【0】
18.『人生ってなんだろ』(松田
道雄)より
長文 3.2週
1.伝統について
2. 【1】君は伝統ということばをきかされたことがあるだろう。とくにスポーツの部員になっている人は、
3.「わが○×中学の野球部の伝統をけがしてはいけない」
4. などと
先輩からいわれただろう。
5. 【2】以前から代々うけついできた生活の様式とか、芸術の手法とか、ものの考え方とかを伝統というのだが、
先輩がハッパをかけるときにいう伝統は、まえの人がやってきた、
名誉になることを意味していた。
6. 【3】いいことばかりを、その気になってうけついできたものが、目のまえにあるような感じで、
先輩はハッパをかける。
7. 私も中学のとき、テニス部の部員として
先輩から、また野球の
応援団として
応援団長から、伝統ということばを、そういう意味でなんどもきかされた。
8. 【4】だが年をとって、家のなかにひっこんで、つきあいらしいつきあいもなしに暮らしていると、伝統ということばの感じがちがってきた。
9. 【5】伝統をなにかいいもの、その気になってうけつがないといけないもののようにいうのは特別な集団に他人をしばりつけようとする有力者の手だてなのだ。
10. 野球部の
先輩は、自分がコーチをしている野球部から選手がにげださないように、伝統をもちだしてくるのだ。
11. 【6】うっかりさそわれてスポーツの部員になったが、やってみると、からだはつかれる、好きな本はよめない、いつも
監視される、これではたまらない、もっと自由に生きたいと思う人だってある。【7】そういう人が、自分が野球部にはいっていることにはたして意味があるだろうかと疑うことは、わるいことではない。
12. 【8】それにたいして伝統をもちだす
先輩は、野球部の伝統は、いいもの、
名誉あるもので、自分個人をかんがえることは、わるいもの、
不名誉なものという調子でたたみかける。
13.
先輩が伝統をふりまわすのは、
彼のほうが有力者だからだ。
14. 集団にはたいてい有力者がいて、そういうことをする。∵
15. 【9】集団からはなれて、自由に暮らしていると有力者にであわない。もう伝統をまもれとは、いわれない。そうなると伝統は、いいものばかりでないことがわかってくる。すすんでまもるべきものどころか、いやでもしばられる、へんなものだっておおい。【0】
16.『人生ってなんだろ』(松田
道雄)より
長文 3.3週
1.整とんということ
2. 【1】身のまわりをきちんと片づけておくことを整とんという。小学校、中学校と、ずいぶんやかましく整とんをするようにいわれた。
3. いちばんやかましくいわれたのは、兵隊にとられて、兵舎で生活したときだ。
4. 【2】軍隊では、兵隊は所持品の数がきまっていた。全部「官給品」といって、一時貸してもらってつかうのだ。シャツが二枚、ズボン下が二本、クツ下が三組というように、だれにもおなじ数だ。
5. 【3】それを、
寝るときにはたなの上の物入れのどこに、どんなふうにたたんで入れるかが、ちゃんときまっていた。
6. 兵舎の中を、週番士官がみてまわるから、練兵場に訓練にいったるすに、整とんがわるいと、あとでひどくしかられた。
7. 【4】
寝るまえも、朝起きたときも、整とんをしらべられた。
8. そんなにやかましく整とんをしつけられたのだから、さだめし整とんをうまくやっているだろうと思うかもしれないが、まったく逆だ。
9. 【5】私の、本をよんだり、ものをかいたりする部屋はいつもちらかっている。二か月に一度ぐらい大整理をやるが、すぐちらかってしまう。
10. 自分の部屋で、自分の好きなことをすると、整とんはできないのだと思うようになった。
11. 【6】会社とか学校とか、よその建物をかりて、みんなで使っているときは、整とんも必要だろうが、自分の部屋は、自分のはたらきいいようにしておけばよい。
12. 本だって、いちいちしまいこんでおいては、すぐによめない。【7】自分以外の人がみれば乱雑かもしれないが、自分では、何がどこにおいてあるか、ちゃんとおぼえている。うっかり整とんされてしまうと、てんてこまいしなければならない。
13. 【8】いろんなものが、自分の行動にしたがって、あちこち自然に配置されていることが、自分の部屋にいるという安定感をあたえる。
14. もっとも、性分ということもあって、使ったら何でも、もとのところにかえさないと気がすまない人もある。【9】だが、そんなのは少数派だ。
15. 人間は、自分の部屋で仕事をすればするほどちらかるのだ。だから、中学生や小学生が、
16.「せっかく勉強室をたててやったのに、整とんがわるい」
17. といわれるのをきくと、まったく同情する。【0】∵
18.『人生ってなんだろ』(松田
道雄)より
長文 3.4週
1. 【1】祝う言葉という
依頼なのだが、いきなり「バンザイ」とくると下品だろうか。たしかに最近では、選挙に勝った場面とか、とにかく多勢で
酔っぱらって両手をあげている姿しか
浮かばない。
2. 【2】しかしこれはもともと中国の正月の習慣で、
五岳(注・中国で古来から
崇拝されている五つの名山)の一つである
泰山に
皇帝が登り、「
万歳」
3. すなわち
悠久の平和を
祈る儀式に由来している。今の平和に感謝しつつ、それが一万年も続きますようにという
祈りの言葉なのである。 【3】ところで私が祝いの言葉として「バンザイ」を挙げたのは、これが心底思いを
込めて使われた場面に接したからである。
4.
気仙沼のお寺の
和尚が住職になる
儀式だったが、修行時代の
師匠である老師が本山から招かれ、「祝辞」という段になった。【4】その際、老師はしばし
沈黙し、ぴったりと
唇を閉じて
虚空をにらみ、それから大声で「バンザーイ」と大声をあげた。それだけである。
5. 長々とした祝辞が多いなかで、それは
鮮やかな場面として今も脳裏によみがえる。伝わるものは言葉にしなくても伝わる。【5】いや、へたに言葉にする以上のものが伝わることがある。何人かの
涙ぐむ人々を見ながら、私はそう思ったものだった。
6. しかしこれは極めて
稀な例である。おそらく何度か見てしまえば、
感慨も
薄れるのかもしれない。【6】通常は、祝う心を
丁寧に表現しないとそれは伝わらないし、それどころか、表現することで無意識だった気持ちまで引きだされたりもする。
7. 「愛でたい」という気持ちを、わざわざ言葉に出して表現することを、日本では古来「ことほぐ(言祝ぐ)」と言う。【7】「
寿」は、その名詞形である「ことほぎ」がさらに
訛ったものだ。
8.
禅ではこの「言祝ぎ」が重視される。なによりもまず自分の生まれた場所や親は選べなかったわけだから、そこから言祝いでしまうのである。この町に生まれて
佳かった。【8】この両親のもとに生まれて
佳かった、そこから始まって「今日は
佳い台風だ」「今の私は素敵な
年齢だ」「歯が痛いのもしみじみして味わい深い」などと、自∵分の立っている足許の
状況をすべて
肯定していくのである。
9. 【9】むろん文句をいえば
状況が変わるというなら、言ったらいい。しかし
大抵の
状況は、文句を言うと
更にその不満が強く意識されるだけで、あまり意味がない。だから言っても仕方がない文句は言わず、言祝ぐことで「今」を安定させる。それが
禅的な意味での「足るを知る」ということだ。
10.【0】(中略)
11. バンザイと
叫んだところで、その事態が「
万歳」続くとは
誰も思っちゃいない。しかし志さえ
揺らがなければ、人生はさまざまな「ゆらぎ」さえ風流と味わえる。その人間の
知恵に、私はバンザイを言いたいのである。
12.(
玄侑 宗久『
釈迦に説法』による)