長文 3.4週
1. 【1】祝う言葉という依頼いらいなのだが、いきなり「バンザイ」とくると下品だろうか。たしかに最近では、選挙に勝った場面とか、とにかく多勢で酔っぱらっよ    て両手をあげている姿しか浮かばう  ない。
2. 【2】しかしこれはもともと中国の正月の習慣で、五岳ごがく(注・中国で古来から崇拝すうはいされている五つの名山)の一つである泰山たいざん皇帝こうていが登り、「万歳
3. すなわち悠久ゆうきゅうの平和を祈るいの 儀式ぎしきに由来している。今の平和に感謝しつつ、それが一万年も続きますようにという祈りいの の言葉なのである。 【3】ところで私が祝いの言葉として「バンザイ」を挙げたのは、これが心底思いを込めこ て使われた場面に接したからである。
4. 気仙沼けせんぬまのお寺の和尚おしょうが住職になる儀式ぎしきだったが、修行時代の師匠ししょうである老師が本山から招かれ、「祝辞」という段になった。【4】その際、老師はしばし沈黙ちんもくし、ぴったりとくちびるを閉じて虚空こくうをにらみ、それから大声で「バンザーイ」と大声をあげた。それだけである。
5. 長々とした祝辞が多いなかで、それは鮮やかあざ  な場面として今も脳裏によみがえる。伝わるものは言葉にしなくても伝わる。【5】いや、へたに言葉にする以上のものが伝わることがある。何人かの涙ぐむなみだ  人々を見ながら、私はそう思ったものだった。
6. しかしこれは極めてまれな例である。おそらく何度か見てしまえば、感慨かんがい薄れるうす  のかもしれない。【6】通常は、祝う心を丁寧ていねいに表現しないとそれは伝わらないし、それどころか、表現することで無意識だった気持ちまで引きだされたりもする。
7. 「愛でたい」という気持ちを、わざわざ言葉に出して表現することを、日本では古来「ことほぐ(言祝ぐ)」と言う。【7】「寿ことぶき」は、その名詞形である「ことほぎ」がさらに訛っなま たものだ。
8. ぜんではこの「言祝ぎ」が重視される。なによりもまず自分の生まれた場所や親は選べなかったわけだから、そこから言祝いでしまうのである。この町に生まれて佳かっよ  た。【8】この両親のもとに生まれて佳かっよ  た、そこから始まって「今日は佳いよ 台風だ」「今の私は素敵な年齢ねんれいだ」「歯が痛いのもしみじみして味わい深い」などと、自∵分の立っている足許の状況じょうきょうをすべて肯定こうていしていくのである。
9. 【9】むろん文句をいえば状況じょうきょうが変わるというなら、言ったらいい。しかし大抵たいてい状況じょうきょうは、文句を言うと更にさら その不満が強く意識されるだけで、あまり意味がない。だから言っても仕方がない文句は言わず、言祝ぐことで「今」を安定させる。それがぜん的な意味での「足るを知る」ということだ。

10.【0】(中略)

11. バンザイと叫んさけ だところで、その事態が「万歳」続くとはだれも思っちゃいない。しかし志さえ揺らがゆ  なければ、人生はさまざまな「ゆらぎ」さえ風流と味わえる。その人間の知恵ちえに、私はバンザイを言いたいのである。

12.(玄侑げんゆう 宗久そうきゅう釈迦しゃかに説法』による)