長文 2.1週
1.お正月

2. 【1】元日はおかしな日だ。きのうまでいそがしく動きまわっていたおとなたちが、映写機の故障でフィルムがとまったように、おちついて笑顔をみせている。
3. 【2】お正月なんか、ちっともおめでたくないや、おとなが勝手にきめて、酒をのむ口実をつくってるだけじゃないか、と思っている人もあると思う。
4. お正月に、そういう感じをもつ人は、昔からいた。一休和尚おしょうという坊さんぼう  がそうだった。【3】室町時代のおわりちかく、京都の大徳寺の住職をしていた。この人は正月に、
5.  正月は冥途めいどの旅の一里塚いちりづか
6.     めでたくもありめでたくもなし
7. という歌をつくって、おめでたい、おめでたいといっている人をからかった。
8. 【4】人間は年をとって死ぬのが当然だから、正月は死に一歩ちかづく里程標だというわけだ。
9. 人間の世界は何ごとにも、喜ぶべきことと、悲しむべきことが、両方ふくまれている。
10. 【5】どうせ死ねばだれでも無になってしまうのだ。それだからこそ、めでたいほうに賭けるか  べきではないか。正月は、そういう賭けか の季節だ。
11. 自分は才能があるのかも知れぬ、ないのかも知れぬ。それだったら正月は、才能のあるほうに賭けるか  ときだ。
12. 【6】去年、仲たがいした友人があるとしよう。人間は一〇〇パーセント意地悪ということはない。意地悪をしたとしても、その人間のなかにある善良なものが、ゼロになったということではなかろう。そうなら、仲たがいした相手のなかの善良なものに賭けるか  べきだ。
13. 【7】去年は、何かで親と争って、親をばかにしている人があるとしよう。いちど、ぐあいがわるくなると、親子のあいだは、非常にばつのわるいものだ。わるうございましたなどとあやまるのは、最高にてれくさい。【8】だが、正月は、親も子も、去年のことを忘れるほうに賭けか ていいときなのだ。
14. 正月は人間のつくりあげたフィクションであることは、まちがいない。∵
15. 【9】だが、そのフィクションによって、いいこともするが、わるいこともする人間、つよいときもあるが、よわくもなる人間が、世界中一ぺんに軌道きどう修正をするというのだったら、正月というフィクションも、人間の知恵ちえといっていいではないか。【0】

16.『人生ってなんだろ』(松田道雄みちお)より