ベニバナ2 の山 2 月 1 週 (5)
★(感)お正月   池新  
お正月

 【1】元日はおかしな日だ。きのうまでいそがしく動きまわっていたおとなたちが、映写機の故障でフィルムがとまったように、おちついて笑顔をみせている。
 【2】お正月なんか、ちっともおめでたくないや、おとなが勝手にきめて、酒をのむ口実をつくってるだけじゃないか、と思っている人もあると思う。
 お正月に、そういう感じをもつ人は、昔からいた。一休和尚という坊さんがそうだった。【3】室町時代のおわりちかく、京都の大徳寺の住職をしていた。この人は正月に、
  正月は冥途の旅の一里塚
     めでたくもありめでたくもなし
 という歌をつくって、おめでたい、おめでたいといっている人をからかった。
 【4】人間は年をとって死ぬのが当然だから、正月は死に一歩ちかづく里程標だというわけだ。
 人間の世界は何ごとにも、喜ぶべきことと、悲しむべきことが、両方ふくまれている。
 【5】どうせ死ねばだれでも無になってしまうのだ。それだからこそ、めでたいほうに賭けるべきではないか。正月は、そういう賭けの季節だ。
 自分は才能があるのかも知れぬ、ないのかも知れぬ。それだったら正月は、才能のあるほうに賭けるときだ。
 【6】去年、仲たがいした友人があるとしよう。人間は一〇〇パーセント意地悪ということはない。意地悪をしたとしても、その人間のなかにある善良なものが、ゼロになったということではなかろう。そうなら、仲たがいした相手のなかの善良なものに賭けるべきだ。
 【7】去年は、何かで親と争って、親をばかにしている人があるとしよう。いちど、ぐあいがわるくなると、親子のあいだは、非常にばつのわるいものだ。わるうございましたなどとあやまるのは、最高にてれくさい。【8】だが、正月は、親も子も、去年のことを忘れるほうに賭けていいときなのだ。
 正月は人間のつくりあげたフィクションであることは、まちがいない。∵
 【9】だが、そのフィクションによって、いいこともするが、わるいこともする人間、つよいときもあるが、よわくもなる人間が、世界中一ぺんに軌道修正をするというのだったら、正月というフィクションも、人間の知恵といっていいではないか。【0】

『人生ってなんだろ』(松田道雄)より