長文集  1月4週  ○われわれを取り巻く環境は  yube2-01-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/10/20 15:39:45
 【1】われわれを取り巻く環境は、あっと
いうまに人工化し、急速に自然が破壊されて
しまった。昭和三〇年頃(ごろ)までは、東
京都の二三区内でもトンボやカエル、バッタ
などの野生小動物がけっこうたくさんすんで
いた。【2】ところが、三〇年から四〇年ま
での間に、それらはすっかり姿を消し、農村
でも農薬の大量使用によって急速に動物たち
は消滅してしまった。戦後生まれの人たち 
も、しばらくの間はセミやトンボ捕りに興じ
、川あそびや木登りに夢中になって、自然と
たわむれた記憶をもっている。【3】しかし
そうした幼少年時代を支えていた環境が一挙
に崩壊し、子どもたちは自然とのつきあいを
断ちきられてしまうことになった。
 一昔前は、道路には子どもたちが群れてい
た。今は自動車が道路を占領し、子どもたち
はそこからすっかり駆逐されて、家の中に閉
じこめられてしまった。【4】多くの子ども
は小さな家で飼育さ れ、学校では厳しい管
理の下に画一的な教育で締めつけられてい 
る。そして、テレビやオーディオセット、フ
ァミコンなどの電子器具に埋もれ、無機的な
世界の中で密室文化に耽っている。【5】ま
るでクモの巣にかかった蝶が、もがきながら
体液を吸いとられていくように、子どもたち
は過剰な情報の網目の中で、もがきながら精
神を衰弱させていく。
 進歩は無欠の善なるものであり、進歩こそ
人間を幸福にする呪文であると信じられてき
た。【6】その呪文にしたがって、文明の進
歩はすさまじいほどに加速度を増して、まっ
しぐらに走り出しはじめている。その進歩の
加速度を測定する方法もないし、文明の利器
が人類を乗せてどこへ向かって走っているの
か、だれも予測できない。
 【7】この状況は、文明を乗せている乗物
を思い浮べれば、ある程度理解できるだろう
。人類は肉体の能力を超えた速度をわがもの
にし、自由に操作できることに憧れてきた。
乗馬はある程度それを満たしてくれたが、や
はり生物的限界がある。【8】機械だったら
その限界を突破しうるだろう。自転車が発明
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されたが、それはまだ人力によって動く機械
だった。自動車、プロペラ飛行機が発明され
るに及んで、乗物はしだいに人間の操作能力
を超えた自動性をもつよう∵になった。【9
】しかし、その自動性の中で、人は多くの場
合、どうすれば何が起こるか予知できるし、
何が危険であるのかを知っている。自分の知
覚や感覚の能力で操作が可能だからである。
 われわれは現在、音速に近い旅客機で旅を
している。【0】機内は完全に空調され、ゆ
きとどいたサービスを受け、豪華な飲食を楽
しんでいる。飛行機は動いているのか静止し
ているのか、機内では感覚的には全くわから
ない。何か危険なことが起こっていようと、
乗客にはなんら察知することができない。し
かし、ごくわずかのミスがあれば、乗員の意
志とは無関係に、全員が一挙に死亡する事態
が発生することは確実だ。
 われわれが乗っている、文明という高度に
技術化された乗物も、ジャンボ機と同じよう
な運命を担って走り続けていると、私には思
われてならない。このまま加速度が増してい
けば、いつかカタストロフが待ちかまえてい
るだろう。その兆しはあちこちにもう見えは
じめている。

(『子どもと自然』河合雅雄 岩波新書)