長文集  1月1週  ○思想を持てば  yube2-01-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/10/20 15:37:16
 【1】思想を持てば、思考の力はその分お
とろえる。ものを考え続けるためには、すで
に考えられてしまったことを、そのつど打ち
捨てていかなくてはならない。でも、ひとり
でそれをやるのはとてもむずかしい。【2】
だから、自分にかわってそれをやってくれる
ひとだけが、つまり有効な批判をしてくれる
人だけが、哲学上の友人(=協力者)なのだ
。だから、真の友人を求めるかぎり、批判者
を批判しつづけなければならない。
 では、批判が有効であることの基準は何か
。【3】それは有効な批判が出てきた時点で
はじめてわかることだ。有効な批判の成立そ
のものが批判の有効さの基準をはじめて作り
だす。これは哲学的議論のひとつの特徴であ
り、弁証法という奇妙な訳語で知られるディ
アレクティークという語のもっとも深い意味
だ。【4】それはいわば、闘争の勝敗を決め
る基準そのものが、その闘争の中で生み出さ
れるような特殊な闘争なのだ。それでもそれ
が闘争でないのは、その未知の基準を生み出
すために、お互いが協力しあうからである。
 【5】たいていのひとは、議論するという
ことを相手の考えを論破して自分の考えを弁
護することだと思っている。政治的議論のよ
うなものなら、もちろんそうだろう。たとえ
ば原発とか消費税といった問題についてなら
、どのような思考過程をへてであれ、いま自
分と同じ結論に達しているひとこそが自分の
友人であろう。【6】そして、自分と同じ主
張を別の論拠から擁護してくれるひとは、最
もたのもしい協力者だろう。だが、哲学にお
いては、論拠がちがう同じ主張なんてものは
そもそも存在しない。たまたま字面のうえで
同じ結論を主張するひとがいても、彼は友で
も敵でもない【7】(もちろん原発や消費税
についても哲学的に考察することはできる 
が、それは結論を得るということに本質的な
興味をもたない場合にかぎられる)。
 哲学の議論は、思想を持つ者どうしの通常
の討論とは逆に、自分では気づかない自説の
難点や弱点を相手に指摘してもらうことだけ
をめざしておこなわれる。【8】ぼくの経験
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した範囲では、大森荘蔵()さんと議論した
とき、彼が完璧に哲学的であると感じた。大
森さんは現在の自説が有効に論駁されること
にしか興味を持っておられないようであった
。こういう純粋に哲学的な態度は、議論にお
ける公∵正な態度と誤解されがちだが、そう
ではない。【9】実 は、単に利己的なだけ
なのだ。哲学とはまったく利己的なものなの
だが、幸いにしてその利は、だれも他に欲し
がるひとがいない自分だけの利であるため、
あたかも公正な態度のように見えるのであ 
る。
 【0】だから、哲学の場合、友人と論敵は
ぴったり一致する。同じ問いを共有し、協力
してそれを徹底的に解明し尽くしたいと思う
友人としか、そもそも敵対することができな
いからだ。それ以外の場面では、哲学はひと
と論じあうべき理由はないし、そもそもほん
とうは公表すべき理由さえないのだと思う。
哲学というものは本 来、黙って墓場へ携え
ていき、持ち主の死とともに消滅してよいも
のなのではないだろうか。思想は公表されな
ければ意味がないが、哲学はちがう。賛同者
がふえることは、思想にとっては最も望まし
いことであろうが、哲学にとっては本質的な
意味はないだろう。

(『「子ども」のための哲学』永井 均)