長文集  9月3週  ★以前から、わが国の若者には(感)  yabi2-09-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】以前からわが国の若者には政治や社
会に対する意見がとぼしく、これが諸外国の
人々と議論する際にあいまいだとされる理由
になることは、しばしば話題にのぼってきた
。【2】「日本の政府はどのようなヴィジョ
ンを持っているのか」「日本における女性の
地位はいかなるものか」「きみの信仰はどの
あたりにあるか」「日本文化とは何か」、こ
うした矢つぎばやの質問に即答できる若者が
まれであるのは、私自身、毎年の授業を担当
していて痛感するところだし、【3】さまざ
まな国の友人から、「日本の若者は…」と苦
言を呈されたことも一度や二度にとどまらな
い。だがしかし、こうしたオピニオン(主義
・主張)の問題にはふれずともすでに日常的
な会話の端々から、あいまいさは指摘されて
いるようだ。
 【4】ひとつには、こういうことがあるだ
ろう。たとえば、私がパリの知人たちとおし
ゃべりする際、彼らからの質問で、よく「あ
なたの生まれた高知というのは、東京からど
のくらいの距離のところにあるのか」とか、
【5】「その高知にはどれくらいの人が住ん
でいるのか」とか、具体的な数値をたずねら
れることが多いが、これは私たち日本人がも
っとも苦手とする質問なのではあるまいか。
【6】私たちは、自国ではほとんどの場合、
「かなり」とか「けっこう多くの」といった
表現で間にあわせているのだが、それはそう
いった大ざっぱな表現に対する「暗黙の了解
」を共有しているからである。【7】「古池
や蛙(かわず)とびこむ水の音」という一句
を聞いても、この池が一〇〇メートル四方も
ありはしないことや、巨大な蛙(かわず)が
何匹(びき)もとびこむわけではないこと 
が、私たちには当然のように了解されている
わけだ。
 【8】なるほど、東京での「けっこう広い
宅地」が五〇坪であったりすることは、ビバ
リーヒルズ(ロサンゼルスの高級住宅地)の
住人には予測しようもあるまいし、「かなり
の混雑」が東京のラッシュ時の殺人的な電車
のものであることなど、サハラの遊牧民にと
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っては想像を絶してもいるだろう。【9】し
たがって、人種の坩堝であるパリでは、数値
にたよるしかないのが当然であるということ
とともに、逆にまた、日本がいかに横並びの
均質な社会となり、ビバリーヒルズをもサハ
ラをも想像しえない所となってしまっている
かということにも、私たちは気づかねばなる
まい。【0】つまり、私たちは、∵多くの場
合、外国人には日本の実情を理解することな
ど不可能だと考えるため、外部の人々に対す
るあいまいさをかもし出しているのである。
 あるいはまた、もうひとつには、こういう
こともあるのではないか。それは皆さんもし
ばしば経験されるにちがいないし、テストの
落とし穴としても頻繁に用いられている否定
疑問文への答えが、欧米と日本とではまった
く逆になるという事実に見られるようなこと
である。つまり「これこれのこと、ご存じな
いのですか」と聞かれて、日本語では、「え
え、知りません』あるいは「いいえ、知って
います」とこたえるべきところ、欧米では、
「ノー、知りません」「イエス、知っていま
す」になるという、あれである。
 結局のところ、日本語は、質問者の質問の
しかたに即し、その意図にそっていれば「え
え」とこたえ、反していれば「いいえ」とこ
たえるわけだが、欧米では、肯定疑問であろ
うが否定疑問であろうがそんなことにはおか
まいなく、返答する者が知っているか否かに
よってのみイエス・ノーが決められている。
こうしてわが同胞は、外国に行って否定疑問
文を浴びせかけられるたびに、どぎまぎしな
がら「はい、いやちがった、いいえ」「いい
え、いや、はい」などとやって、ますます「
あいまいな日本人」という神話をはびこらせ
てしまいもするのだろう。
 このような否定疑問へのこたえ方にかいま
見られるのは、自己中心的な欧米流の思考法
と、外部指向的なわが国の思考法とのちがい
にほかならない。そのうえ、そもそも私たち
はきっぱりとは「ノーと言えぬ」やさしき日
本人なのである。つまり、私たちのあいまい
さは、多分に、他人への配慮からも生じてい
るわけだ。