長文集  9月2週  ★クローン羊のドリーが(感)  yabi2-09-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】クローン羊のドリーが誕生してしま
った。これは画期的なことである。一個の受
精卵を分割して、本来は一個の個体になるべ
きところを、一卵性十六児」や一卵性三十二
児」を作る要領で作った動物はほかにもある
が、ドリーは違う。【2】ドリーは、体細胞
起源のクローンであり、乳腺細胞という特別
な働きをする細胞に分化してしまったあとの
、おとなの羊の細胞から作られたのだ。
 【3】このことは、発生学の従来の考え、
つまり、いったん成熟して機能分化してしま
った細胞の遺伝子のスイッチを入れ直してま
た始めからやり直させることはできない、と
いう考えを覆すものである。【4】多細胞生
物のからだのすべての細胞には、からだの全
部を作る遺伝子が含まれているが、細胞は、
それぞれの機能に応じて、自分の役割に関す
る部分の遺伝子だけを活性化して使ってい 
る。
 【5】しかし、そもそもの始まりは卵と精
子であり、ここからすべての機能分化した細
胞が出現してくる。そこで、細胞分裂してぞ
れぞれの細胞ができてくるとき、活性化する
べき遺伝子だけに次々と時系列にそってスイ
ッチがはいっていって、【6】機能が分化し
た細胞が作られるので、そうやってできあが
ったものを、また、もとの未分化の状態に戻
すことはできないと考えられていたのであ 
る。
 【7】「たまごっち」という奇妙なゲーム
が、一時、非常にはやっていた。これは、プ
レイヤーが疑似生物に対してさまざまな情報
を入力していき、最終産物にまで育てるゲー
ムだそうだが、時系列にそった情報入力がう
まくないと、疑似生物がうまく育たない。【
8】そこで、どうも具合が悪くなると、「リ
セット」にして、また育て直すのだそうだ。
 現実の子育てには、「リセット」ボタンは
存在しない。こんな子に育てるつもりはなか
ったのにと思っても、時間の経過は一方向だ
けである、【9】細胞の機能分化の過程も、
同様に時間的に一方向性だと考えられてきた
のが、ドリーの誕生で覆された。「リセッ 
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ト」は可能だったのである。
(中略)
 【0】科学という営みは、世界について知
りたいという人間の好奇心に基づいている。

 するとここに、好奇心とは別の人間の本性
の一つである「欲望」が出てきて、欲望を満
たす手段として科学技術が利用される。
 ところが、この説明の体系は、どういうわ
けか実世界と本当に対応しているらしく、こ
の説明原理を応用すると、さまざまなものを
実際に作り出すことができる。
 科学が明らかにするのは、世界はどのよう
に作られているのかという説明の体系である

 その結果として出現するのが、科学技術で
ある。
 人間が欲望をコントロールするすべをしっ
かり身につけないかぎり、科学は両刃の剣(
つるぎ)となる。
 ミルクが欲しければミルクが異常に出る牛
を作るのがよいのか、どうしても子どもが欲
しいという個人の欲求の実現は、あくまでも
尊重されるべき権利であるのか、生き延びた
ければヒヒを殺して肝臓をとってもよいのか
。「それをすることは可能ですよ」とささや
くのは科学であるが、「では、やってくれ」
と欲するのは人間である。
 優しい顔をしたドリーはすくすくと育って
いるが、彼女の存在は私たちに難問を突きつ
けている。

(長谷川眞理子『科学の目 科学のこころ』
による)