長文集  9月1週  ★人間には人それぞれの(感)  yabi2-09-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】人間には、人それぞれの基本的な行
動のパターンのようなものがあるようだ。た
とえば、何か新しい場面に出合うと、はしゃ
いでしまって、ついしなくてもよいようなこ
とまでやってしまうとか、逆に、どうしても
ひっこみ思案になってしまうとか。【2】し
かし、このようなことに気がつくと、あんが
いそれは変えられるもので、他人にもあまり
気づかれないくらいにはなる。
 だが、自分もだいぶ変わったかな、などと
思っていても、いざという場面──緊急のと
きとか思いがけないことが生じたとき──に
なると、知らぬ間に以前の型にかえってしま
う、ということはよくある。【3】それは突
発的に起こり、自分でも気がつかないときさ
えあるが、傍らで見ている人には明瞭に見え
るものだ。このような人間の行動の「回帰現
象」とでも言えるようなことがあるのを知っ
ておくと、便利であると思われる。
 【4】個人の行動の型だけでなく、ある程
度は文化的な型もあると思われるが、ここで
も同様のことが生じる。たとえば、日本人だ
と、すぐには自己主張をせずに、全体との関
連を考えたり雰囲気に合わせたりしながら、
ゆっくりと間接的に自分の考えを表明してゆ
くが、欧米では自分の意見を最初から明確に
表現することが期待される。【5】あるいは
、日常的な例をあげると、贈り物をするとき
でも、日本人は「お気に入らないかと心配し
ています」というような表現をするが、欧米
だと「お気に入っていただくと嬉しいです」
という表現になる。
 【6】こんなことがわかってくると、私な
どは欧米に行くと、必要に応じて『スイッチ
』の切り替えをして、ある程度は欧米式でや
ってゆくようにしている。【7】しかし、む
しろ大切なときとか何か圧力を感じるときな
ど、知らぬ間にスイッチが切り替わって「回
帰現象」を起こしているのに気づき愕然とす
ることがある。【8】このようなことは、相
当ベテランの外交官やビジネスマンでも外国
人相手の交渉のときに経験するのではないだ
ろうか。
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 先日マンスフィールド・センターから招か
れて話をしたとき、このような「回帰現象」
についても少し触れようと思った。【9】し
かし、それほど一般的なこととして言えるか
どうか心配でもあったの∵で、栗山駐米大使
の招宴の際に、前駐日大使のマンスフィール
ドさんの横に座ったので、以上のことについ
てどう思われるかを、お聞きしてみた。【0
】「それは当然のことです」と彼は言われ、
「私自身も経験しました」と静かにつけ加え
られた。
 それ以上は言わなかったが、この短い言葉
のなかにマンスフィールドさんが日米の間の
架け橋として相当に苦労されたことが、私に
は強く感じられて、さすがは、と感心させら
れた。おそらく、日本式の考え方や感じ方も
よくわかり、ときにはそれに合わせてゆこう
としつつ、知らぬ間に回帰現象を起こしてい
る自分に気づいたり、アメリカ人と同様に話
し合えると思っていた日本の外交官が、いざ
というときにまったく「日本的」に行動する
のを見て驚いたりされたのではなかろうか。
 何しろ、この現象は、大切なときに生じる
上に、それが生じていることを本人が気がつ
かない場合があるので、なかなか厄介なので
ある。このようなために、取りかえしのつか
ない失敗が起こることもある。
 しかし、野球の際の投手のけん制球が、不
用意に盗塁されるのを防ぐように、自分の心
のなかで、「回帰現象に注意」というけん制
球を投げていると、これもだいぶ防げるよう
である。あるいは、回帰現象を起こしても、
自分で気づいて、それについて相手に説明し
て了解してもらったり、自分の姿勢を立て直
すなりすることによって、決定的な失敗を免
れることができるようにも思う。スポーツと
同様、人間関係も訓練によって少しずつ上達
するようである。

(河合隼雄「おはなしおはなし」より)