【1】交換の起源はおそらく再分配にある 。たとえば人類学者の山極寿一(じゅいち) は、類人猿と人間との違いは狩猟採集したも のを巣に持ち帰って再分配するか否かにある と言う。【2】その場で食べたいという欲望 を抑え、他者が獲得したものと合わせて、そ れらを分配し直すことをするか否かにあると いうのだ。【3】会食は人間にとっていまも きわめて意味の濃い行為だが、会食すなわち 再分配ができるようになるには、他者の気持 ち、他者の欲望を理解できなければならない 。というより、他者になってしまわなければ ならないのである。 【4】現生人類の飛躍の鍵はここにあるよ うに思える。クロマニヨン人はネアンデルタ ール人をはるかに凌駕して、他者になること ができたのだ。他者に、すなわち自分自身に 。 【5】言うまでもなく、自分を意識すると は他人の目で自分を見るということである。 他人の立場に立たなければ、自分というもの はありえない。自分になることと他人になる こととは、一つのことであって二つのことで はない。【6】逆に言えば、自我とは、自分 というひとりの他者を引き受けることにほか ならないのである。ただ人間だけが名づけら れ、その名を自己として引き受けるのだ。こ の授受にすでに交換が潜んでいる。 人間とは他人になった動物である。【7】 だからこそ、人間は自分が自分であるという 事実に驚愕し、恐怖さえ覚えるのである。こ れこそ、人間が装身具に血道を上げるほかな くなった理由なのだ。装身具とは、自分が自 分であることの恐怖に耐える方法にほかなら なかったと言うべきだろう。【8】自分とは 一つの空虚であり、この空虚こそが、名への 、装身具への、交換への、所有への欲望をも たらしたものなのである。この空虚を、むろ ん魂と呼んでもいい が、しかし同時に、経 済行為の萌芽と呼んでもいいだろう。 【9】クロマニヨン人とともにシャーマニ ズムが登場する。シャーマニズムが他者にな るための洗練された技術である以上、これは |
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まさに必然というべきだろう。【0】ここで エリアーデをはじめとするシャーマニズムを めぐる煩瑣な議論を紹介するわけにはいかな いが、シャーマニズムによって、どのような 他者にでもなれる人間というものの仕組みが 、一つの制度として目に見えるものになった のであ∵る。要するに、人間は、熊にでも、 鹿にでも、木にでも、岩にでもなれる存在な のだ。自分自身になれるとはそういうこと だ。同じように、王にも皇帝にもなれるし、 国家そのもの、共同体そのものにもなれるの である。あるいは奴隷にも、市民にも、国民 にも、国際人にも、なれる。アイデンティテ ィを問うという病がこうして発生した。ある いは、社会という病がこうして発生したので ある。 繰り返すが、シャーマニズムは決してオー リニャック期のクロマニヨン人にのみ見られ るものではない。いま現在、いたるところに 見られるというべきだろう。人はいまなお、 化粧によって、衣裳によって、所有物によっ て、社会的地位によって、自己を確認する。 テレビ・ショッピングでも、インターネット によるカタログ販売でもいい。そこで売買さ れる商品は、「黒海から七〇〇キロメートル も離れた中央ロシア平原の遺跡まで交易網を 通じて運ばれていた」化石琥珀と、何ら変わ るところはないのである。四万年前とまった く同じように、ここでもまたメディアが欲望 を生んでいるのだ。そしてその欲望は、空虚 としての自己のあらわれにほかならない。 (三浦雅士「考える身体」による) |