ヤマブキ2 の山 4 月 2 週
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○自由な題名
○本

○There is nothing(感) 英文のみのページ(翻訳用)
There is nothing new about people cutting down trees. In ancient times, Greece, Italy, and Great Britain were covered with forests. But those forests were cut down, and now almost nothing is left.
Today, trees are cut down faster and faster. About 100 acres of rain forests are cut down in a minute. That is fast enough to cut down all the world's rain forests in only twenty or thirty years. Although rain forests cover only a small part of the Earth, they are home to more than half the world's plants and animals. Many of them are losing their homes. Why are the rain forests cut down? There are important reasons for cutting down trees, but there are also dangerous influences upon life on earth.
One important reason for cutting down trees is that every country needs wood. In developed countries, people are using more and more wood for paper, furniture, and houses. There is not enough wood in these countries. So they have begun to take wood from the forests of Asia, Africa, South America, and even Siberia. A lot of wood is also needed as firewood in developing countries. In many areas, people depend on wood to cook their food. When the number of people goes up, the need for wood becomes great, too. But when too many trees are cut at once, forests are destroyed. When some trees in a forest are left, the forest can grow back. But only if it is not cut again for at least 100 years. Small farmers who have great need for land move in. They cut down the rest of the trees and burn them. In this way, many millions of acres of forest are destroyed every year. But the land of forests is not good for farming. So these poor farmers are as poor and hopeless as before.
But the poor and hopeless people are not the only ones to cut and burn forests. In Brazil and Central America, large landowners want to keep lots of farm animals to sell their meat to the U.S. and other countries. Some fast-food restaurants use this cheap meat to make hamburgers. The landowners put too many farm animals on too little land. When that land has been damaged badly, they burn parts of the forests. Then they move the animals into the forest land. This way both land and forest are destroyed.
When rain forests are destroyed, it influences first the people living there. But it also has other influences far away. For example, on the mountainsides, trees help to take in heavy rains. When the trees are cut down, the rain goes all at once into the rivers and there are terrible floods. This has happened to the Ganges, the Mekong, and other large rivers in Asia. But finally, the loss of forests may have an influence on the temperatures of our planet. Together with worse pollution, it can make temperatures higher, and the weather may change all around the world. Nobody knows clearly what influences this will have on our lives. But for many people the influences will probably be terrible.
You must and can help to stop this. Don't buy things made of rain forest wood. When you go to a fast-food restaurant, ask the people who work there where the meat they use comes from. Explain to them why you are asking. Learn and teach about the wonderful and interesting plants and animals of the world's rain forests. Talk with others about the importance of saving the rain forests.

★ある作家の話によると(感)
 【1】ある作家の話によると、いまの読者は、すでに長編小説を読むだけの時間の集中力を失っているそうだ。いまの読者が、いちばん気軽に読むのは短編、それも原稿用紙で一五枚ないしニ〇枚の短編小説なのであるらしい。【2】ながい時間の持続に、われわれは堪(た)えきれないのである。
 その原因は、ひょっとするとテレビの影響なのではあるまいか、とその作家はいった。われわれがよく知っているように、ラジオ、テレビなど、こんにちの放送文化というのは、一五分を単位にしてうごいている。【3】テレビを見ているわれわれのからだのなかには、一五分を単位にした一種の体内時計のごときものがいつのまにか内蔵されてしまっていて、一五分たつと、なにかほかのことをしないではいられなくなっているのだそうである。【4】一五枚ないし二〇枚の短編小説を読むのに必要な時間もちょうど一五分ぐらいだ。短編小説がよく読まれるのは、テレビで一五分きざみの体内時計が仕込まれているからだ、とかれはいうのである。
 それが真実であるのかどうかは、わからない。【5】しかし、おしなべて、現代のわれわれが落ちつきを失っている、というのは、体験的にいって、事実であるように思われる。ひとつのことに専念して、何時間も、何日も、精神を持続させることが、われわれにはできなくなった。【6】分断されていることこそが、われわれにとってあたりまえのことなので、分断されていない時間は、かえって不安ですらあるのだ。われわれは、一五分きざみで、人と会ったり、テレビを見たり、新聞を読んだり、という生活のリズムにすっかりはまりこんでしまっているのである。【7】意味のある情報にとりかこまれた現代に生きるための、それはひとつの知恵なのかもしれない。
 そのうえ、われわれは、あたらしい情報、すなわちニュースというものへの異常なほどの関心を、ほとんど第二の天性にしてしまっている。【8】あたらしいことが発生しないと、さっぱりおもしろくないのである。むかしから、「便りのないのはよい便り」などという。べつだん「かわりがないのが、うれしいことなので、「かわったこと」があるのは、不安のタネでありこそすれ、けっして喜びではなかった。【9】しかし、われわれは、その逆である。われわれは、毎日が「かわったこと」の連続だと信じこんでいて、「かわったこと」がなければ、平凡で、日常的で、さっぱりおもしろくない、とかんがえる。鉄道が、時間どおりに安全に運行されているのは結構なことなのだが、それでは、われわれを満足させることはできない。【0】われわれは、大きな鉄道事故が起きて、たくさんの死傷者が∵出たりしたときに、はじめて満足するのである。
 一七世紀のおわりに、はじめてアメリカで発行された新聞は月刊であり、特別なニュースがあるときには号外を出す、というのんびりした形式のものであった。ひと月の時間幅()をとっておけば、かわったできごともいくつか起きるだろうというのがその基本的なかんがえかたであって、それは、常識的にみて、たいへんに、健全な態度というべきであった。号外が出ない、というのは大きな異変がない、ということなので、号外などはないにこしたことはない――一七世紀の新聞の読者はそうかんがえた。まさしく「便りのないのはよい便り」だったのである。
 しかし、新聞が日刊になったときから、事態はかわった。ニュースは、毎日、発生しなければならないのである。われわれは、新聞をひらいて、第一面に初号活字をつかった大きな見出しのついている日にはいささか興奮するが、大見出しのない日には、なんとなく失望する。だから、新聞のつくり手たちは、発生したできごとのなかに大ニュースがないときには、ニュースをつくる習慣をいつのまにか発明した。ベテラン記者はいう――「成功した記者とは、たとえ地震や暗殺や内乱がなくてもニュースを見つけ出すことができる人間のことである。もしもニュースを見つけ出すことができなければ、著名人をインタビューするとか、月並みな事件から驚くべき人間的興味を引き出すとか、「ニュースの背後にあるニュース」を書くとかの方法によって、ニュースを作り出さなければならない。」
 その努力によって、新聞はニュースにみちている。だが、新聞がニュースにみちているということは、かならずしも、世界ができことにみちているということではない。現代のマス・メディアの技術が、世界をニュースにみちたものとしてわれわれのまえに提供してくれるのである。

(加藤秀俊『情報行動』による。本文を改めたところがある)