長文集  12月4週  ○ある中学生は(感)  wapu2-12-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/08/23 18:57:54
 【1】ある中学生は今の受験勉強をめぐっ
て次のような作文を書いている。
 現在の勉強と将来の関係といっても、今の
日本の現状でいうと、勉強して成績が良けれ
ば一流といわれる高校に行き、そこでも成績
が良ければ一流といわれる大学に行き、一流
といわれる企業に入ると決まっている。【2
】で、一流の企業へ入れば一般にその人は幸
せとされる。本当かどうかは知らない。この
状態がいいのか悪いのかもわからない。しか
しそれに従うしかない。従わなければ生活で
きないからである。
 【3】私の接する今の大学生もそうである
。外部欲望説に立てば受験競争はより有名な
学校に進学して大企業に入社したいという安
定した生活への功利的欲求に根ざしていると
いうことになる。【4】しかし、それは読み
が逆立ちしている。というのは、自分はファ
ッション関係に進みたいなどといっている学
生が、就職シーズンになると、せっかく一流
の○○大学生だから、やはり××銀行のよう
な手堅く伝統のある企業に就職することにし
ようとするからであ る。(中略)
 【5】しかし、日本の傾斜的選抜システム
も近年その仕掛けの力が揺らいできている。
細かな学校ランキングによって競争に巻き込
まれることが従来よりは少なくなり始めた。
【6】ノン・エリートたちがその罠にやすや
すと陥らなくなったからである。従来であれ
ば、偏差値五十といわれた者はなんとか頑張
って五十五の高校や大学への進学をめざそう
とした。【7】しかし、今では、それより 
も、五十のランクの間の学校の中で自分に合
う学校を選ぼうとする傾向が出てきている。
選択の基準が制服や学校所在地やキャンパス
の好みではあっても、細かな学校ランクによ
って競争に巻き込まれることが従来よりは少
なくなり始めた。
 【8】受験産業も試験突破の「傾向と対策
」を伝授するだけではない。「学部・学科徹
底研究」「職業別学部選び」などを特集し始
めている。偏差値や学校ランクだけではない
大学選択の兆しを反映した記事である。【9
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】微細な「記号」(偏差値や学校ランク)に
踊らされる愚を悟り、「実質」(何を学び、
何になるか)への回帰が始ま∵ったともいえ
る。ヴィジョンなきただの競争人間がこれか
らの人材ではないこと。【0】自分の意見を
持ち、何をしたいかのはっきりした人でなけ
れば、これからの時代はマズイし、アブナイ
と人々が思い始めたからではないだろうか。
 かつてアメリカの社会学者デビッド・リー
スマンは『孤独な群衆』(一九六四)で、社
会的性格つまり時代の適応人間類型を第一次
産業から第二次産業へ、第二次産業から第三
次産業への産業構造の変化との対応で論じた
ことがある。農業社会においては、「伝統」
を墨守する人間像が、初期工業社会では、新
しい社会状況に満ちているから、剛直で個性
がある「内部志向」人間が、第三次産業を中
心とした時代には、物質問題ではなく他人が
重要になるから、他者の動向に敏感なレーダ
ーを持った「他者志向型」人間が社会的性格
=適応人間となる、と。
 リースマンがこのような類型を描いてから
三十年以上たった。今やマルチメディア化な
どによって職場環境や組織構造が大きく変わ
りつつある。それに伴って適応人間類型も変
容している。専門的技能を持たず、同じ企業
にずっと勤め、人あたりの良さを資本に生き
ていく時代に陰りが見え始めている。ハイパ
ー資本主義時代にはすべてにマイペースであ
っても、仕事にのめりこむような奇人や変人
も満更捨てたものではない? これからは明
るい「おたく」の時代ではなかろうか、とさ
え思う。近年の受験をめぐる意識変化の兆し
は小さなものではあるが、社会の構造変動に
対応した人々の無意識の人材観と相関してい
るだけにしたたかな変化が始まったとはいえ
る。「偉くなりたい」の時代や「競争のため
の競争」の時代を通過して「何をしたいか」
の時代への変化がゆっくりではあるが確実に
始まったように見える。
 その意味でこれからは新しい立身出世の時
代の開幕となってほしいと思う。というと唐
突に聞こえるかもしれない。少し説明をして
結びとしたい。
 最近、私は授業の中で、「チップス先生さ
ようなら」(監督ハーバート・ロス、主演ピ
ーター・オトウル)のビデオを学生に見せ 
た。そのあと感想文を書かせた。チップス先
生の少し意固地だが、誠実な人柄に多くの学
生が好感を持った。しかし、チップス先生が
∵校長になることにこだわり、校長任命時に
一喜一憂する場面に当惑を覚えたという感想
があった。なるほど、戦後日本においては出
世主義は悪である。教師や官僚、会社員にな
る若者に将来、校長になりたいか、官僚のト
ップになりたいか、社長になりたいかと聞く
と、「そんなこと考えていません」ととりあ
えず答えるのが戦後日本人の正しい回答であ
る。しかし、このような社会はどこか病んで
はいないだろうか。教師になる人が、あるい
は官僚になる人、会社員になる人が将来自分
だったらこうしてみたいという気持があれ 
ば、校長になりこんなことをやってみたいと
か、次官になってこうしてみたい、社長にな
ってこうしてみたいと考え、胸を張っていう
若者がいるのは当然であろう。戦前もそうだ
ったように、立身出世を単なる欲望としてだ
けで見るべきではない。栄耀栄華でも脱落の
恐怖でもない、構想力という希望を背景にし
た新しいアンビションの時代の開幕を願うも
のである。

(竹内洋『立身出世主義』)