長文集  12月3週  ★絵画と音楽とが(感)  wapu2-12-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】絵画と音楽とが二〇世紀にたどって
いった道と数学の歩みとは、もしかすると重
なり合うことがあるかもしれない。現代数学
の抽象性をキュービズムや無調音楽となぞら
えて捉えたくなっても不思議ではない面が確
かにある。【2】数学的対象のもつある側面
を取り出して強調すること、とくにひとつの
対象のもつ種々の側面を現代数学の立場から
説明することは、ひとつの対象をさまざまな
角度から見たものをひとつのカンバスに描く
ピカソの絵とどこか似かよっている。【3】
また、例えば個々の関数のもつ性質を一切無
視してヒルベルト空間の元と捉えるところに
しても、無調音楽に通じる無機的なものを感
じることができよう。【4】さらに、長い長
い抽象的な議論を経て結論へたどり着くこと
の多い現代数学の議論は非人間的だと思いた
くなることもあるだろう。そうした意味で、
絵画や音楽に現れた時代の影響を見て取るこ
とができる。
 【5】しかしながら数学と音楽・絵画とは
決定的に違う側面がある。それは数学のもつ
普遍性である。数学の定理はひとたび証明さ
れれば万人共通の真理となる。このことが過
ぎると、カントの哲学のように数学の真理に
対する誤った信頼さえ生じる。【6】われわ
れの住む空間はユークリッド幾何学の成立す
る空間であると頭から信じて哲学の基礎とし
たカントの強い影響力のもとで、非ユークリ
ッド幾何学をガウスは用心深く隠す必要を感
じていた。【7】数学者の無理解だけを恐れ
たのではなかったようである。われわれの住
む空間の幾何学は物理の実験によって確かめ
ることができるというリーマンの主張は、今
日では当然のことと思われるが、当時は極め
て勇気のいる主張でもあった。
 【8】こうした数学に対する信頼は今世紀
に入って数学が抽象的になるにつれてなくな
っていった。たとえばユークリッド幾何学に
対する感覚的信頼と類似の感覚的信頼を現代
数学に対して持つためにはそれなりの訓練が
必要となる。【9】ユークリッド幾何学にし
ても複雑な定理は決して感覚的に自明なわけ
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ではなく、こみいった証明が必要になる。そ
うした意味では同じ面もあるが、基礎的な部
分では∵間違いなく理論を感覚的に信頼する
ことができる。【0】もっとも、古代ギリシ
ャ人の偉大なところは感覚的な信頼を論理的
な信頼に高めたところにある。ユークリッド
の『原論』が長い間、学問の記述の手本とさ
れたのもこうした点にある。しかしながら、
論理的な信頼だけで最初から最後まで議論を
押し通すことはかなりの忍耐を必要とし、通
常は感覚的な助けが必要となる。
 今世紀に導入された数学上の基本的概念を
最初に学ぶ際に理解しづらいのは、簡単には
感覚的に捉えることが難しいことにも一因が
あるように思われる。訓練することによって
一種の感覚が生まれてくるのであるが、そこ
に至る道には個人差が大きい。時として苦行
を強いられるように感じられることもある。
いずれにせよ、数学を美しいと感じることが
できなくては本当に数学が分かったという気
にはなりにくいであろう。そこに至る道が困
難な道であり、少数の人しか到達できないと
すると、十二音技法の上手さに感心する作曲
家や技術的な困難を克服して演奏するように
なった演奏家と数学者とは近い存在というこ
とになる。事実、パリティ非保存の法則の発
見でノーベル賞を受賞した物理学者のヤンは
、彼の学生であったミルズとともに創始した
ヤン―ミルズの理論が数学でのファイバー束
の接続の理論と関係していると数学者に指摘
され、この数学理論を勉強したときの感想を
「現代数学者の言語は、物理学者にとっては
あまりに冷たく抽象的だ。」と記している。
 こうした感想は現代数学を勉強した多くの
人たちが共有するものであろう。こうした無
機的なものを現代数学がもっていることは確
かである。それを克服する道は、現代数学の
基本的考え方を日常の言葉で表現する努力か
ら始めるしかあるまい。それがどんなに困難
であっても、数学が再び大きく飛躍するため
には、避けて通れない道である。幸いにも現
代数学は大きな内部運動をひとまず終了し、
いま諸科学との交流のもとで新たな発展を見
せつつある。二一世紀の数学が、数学の美し
さ、楽しさを身近に感じさせてくれる学問へ
と深まっていくことを期待したい。

(上野健爾(けんじ)「誰が数学嫌いにした
のか」)