長文集  11月1週  ★テレビゲームが(感)  wapu2-11-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】テレビゲームが伝統的なおもちゃと
決定的に異なっている点とは、「遊び相手」
として機能することである。宇宙人のいない
インベーダー、追いかけてくる敵がいないパ
ックマンは成立しな い。【2】一人プレイ
のゲームでも、敵キャラがいないゲームでさ
え、ゲームである限り、プレイヤーの行動は
ルールに照らし合わせてチェックされている
。直接的な「相手」がいない場合でも、コン
ピュータは審判のような形で遊びをサポート
している。【3】つまり、テレビゲームとは
、遊びに必要な三つの要素、遊び道具と遊び
場、そして遊び相手が、すべて一体となった
ものなのだ。
 【4】既存のおもちゃや道具の中にも、た
とえばバッティングセンターのように、メカ
ニカルな仕組みがヒトの代替として「相手を
してくれる」ものがないことはないが、対戦
プレイの相手、あるいはチームの味方として
「ヒトのようなふるまい」をすることはな 
い。【5】また、テレビや本といった伝統的
なマスメディアは、情報の伝達が一方向であ
るがゆえに、「相手をしてくれる」状態には
ならない。電話のような双方向メディアは、
常に実際のヒトを必要としてきた。【6】つ
まり、おもちゃであれメディアであれ、ヒト
以外の存在が「ヒトのようにふるまい、相手
をする」現象はこれまでなかった。
 【7】機械に組み込まれたソフトウェアが
「遊び相手」をすること、そしてソフトウェ
アであるがゆえに複製、大量生産が非常に簡
単だったこと。これこそが、メディアとして
のテレビゲームのユニークさなのである。
 【8】テレビゲームが既存のメディアとど
う異なるのか、別の角度から明らかにするた
めに、既存メディアの性質を比較してみた 
い。それぞれのメディアを、実際のヒトの行
為に置き換えてみる と、どのような状態と
いえるのだろうか。
 【9】テレビ番組や映画の多くは、目の前
で「演じているヒト」をメディアに載る形式
にして複製したものである。音楽CDやラジ
オは「演奏するヒト」のメディア化であり、
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
本、ラジオ、テレビは「演説」のメディア化
ということができる。これらはすべて、舞台
の上から一方向的に演じられる形式のものだ

 【0】テレビゲームはどうだろう。映像も
音楽もテキストも含まれているため、「演じ
られる」部分もあるが、決定的な違いは、自
分自身も舞台に立っていることだ。演じるの
も演奏するのもゲームをす∵るのも、英語で
はすべて「プレイ」である。しかし、既存メ
ディアの場合、プレイするのは「彼、彼女た
ち」である。主語が「自分」になるのは、テ
レビゲームだけなのである。
 そして、ゲームをヒトに置き換えるとすれ
ば、やはり「遊び相 手」のメディア化とい
うのがふさわしい。その「相手」は、遊び場
と遊び道具を用意し、遊び方を教えてくれ、
あるときは頼もしい同志、ときには極悪非道
の「敵キャラ」にもなる、変幻自在の遊び相
手なのである。しかも、こちらがスイッチを
切らないかぎり、何時間でもつきあってくれ
る。
 これは、産業革命が「労働」に与えた影響
と同質のものといえるのではないだろうか。
産業革命の本質は、前期においてはハイパワ
ー化、後期においては規格品の大量生産(フ
ォーディズム)だと思われるが、ゲーム世界
において、何にでも変身できるパワーを持っ
た「遊び相手」が大量生産されたことは、遊
戯に革命を起こしたといっても過言ではない

 ここで、マクルーハンのメディア概念が有
効になる。テレビや映画、ラジオ、本といっ
た既存メディアは、受け手から考えたとき「
眼と耳の拡張」である。視覚、聴覚の情報を
時間と空間を超えて届けてくれる。産業革命
が起こした変化は「手足の拡張」ということ
ができる。石炭掘削機も自動車も、ヒトの手
足をハイパワー化したものなのだ。そして、
遊び相手のメディア化であるテレビゲームと
は、「脳の拡張」といっても差し支えないだ
ろう。もちろん、コンピュータ技術自体が、
もともと「計算するヒト」の機械化であり、
筋肉や骨ではなく、脳の拡張としての要素を
持っていたのだが、それを最初に大衆化した
のがテレビゲームであるという事実の重要性
が揺らぐものではない。

(桝山寛()「テレビゲーム文化論」より)